10:トレイスと死なない少女、あと機動兵隊の少女②
「さあさ、入ってくれたまえ」
そうやって案内されたのは、アルビソラの町で最も高級な宿だった。しかもセシリアが借りていたは、その最奥。三階のおよそ半分を使用した特別仕様の部屋であった。王都の高級宿と比べてしまうのは可哀想だけれども、まあこの町なりに頑張っている部屋だと言える。
当然ながら、こんなの一兵卒に与えられる部屋ではない。
「そう言えば、まだ君たちの名前を聞いてなかったな」
セシリアは部屋に入るなり、着ていた甲冑の半分を脱ぎながらこちらに名を尋ねる。
よく手入れされた金髪のショートボブに、白い肌。紫がかった瞳に、ハッキリとした目鼻立ち。なんだか全体的にくすんでる感のあるルースとは違い、各パーツの主張が大きく派手な印象があった。胸元にぶら下がった金色のロケットペンダントの所為も相まってか、機動兵隊で剣を振るう少女というよりも社交界デビューしたての小生意気な少女……と言った方がしっくりくる。
「あー……俺は、レイス。こっちの赤いのは――」
「ルース」
「――――ッ!?」
なにサラッと言ってんだよこのバカチンが。素性の知れていない俺はともかく、お前はあの村から行方不明になってるんだぞ。『ルース』なんて特に珍しい名前でもないけれど、コイツの赤髪やら赤目は結構目立つ。名前と特徴から目を付けられる可能性だって、無視できるほどじゃあない。
すぐさまルースの首根っこを掴み、小声で忠告をする。
「お前なぁ! ……いいか、間違ってもクリフデンの名前とか出すんじゃねえぞ!? 今度やったらぶっ殺すからな!? ご飯抜きだぞ!」
「了解」
冷や汗をかきながらセシリアの方を向き直る。
「そうか、レイスにルースか。――よし、ルース。一緒に風呂に入るぞ」
「ふろ? さっき、水浴びはした」
「とはいってもな。失礼だが、少し臭うぞ」
「くせぇか」
「……ルース。女の子があまりそういう、人を蔑むような汚い言葉を使ってはいけない」
「くせぇというのは人を蔑む汚い言葉なのか、トレイス?」
「あーそうそう。一つ賢くなったな。分かったんならとっとと風呂入ってこい」
「了解。入浴する」
「……む、トレイス?」
あっ、しまった。確かに、そっちは禁止してなかったわ。
「むむむ、すまない。どうやら聞き違いをしていたらしい。トレイス、だな」
「あー……ははは。ソウデス」
もはや笑うしかないトレイスだった。
「トレイスは、しばしそこでくつろいでいてくれ。テーブルの菓子であれば、食してしまっても構わない。それで私たちの後、トレイスも風呂に入るといい。済んだところで、夕食に出よう。……万が一にもしないとは思うが、くれぐれも覗くんじゃあないぞ」
「そりゃあもう」
気付いていないフリをされているのか、それともまだルースの名前までは知られていないのか。いずれにせよ、やるべきことはやっておくか。
トレイスは二人がシャワールームへと消えるのを確認すると、部屋の中を物色し始める。
特別仕様とは言っても、多くの調度品がある訳ではない。ベッドや机やソファなどの家具類を良質のもので揃えた、といった体の部屋だ。部屋そのものの規模が大きいだけあって、窓の数も多い。流石に外敵の襲来までは想定されていないらしく、強固な格子や魔法トラップのような仕掛けは無さそうだ。窓の下も大通りに面しており、その気になれば隣の建物にも飛び移れるだろう。
という事は脱出ルート自体にかなりの融通が利き、また窓を割っての脱出も容易だという事だ。
「……そう焦ることもなさそうだな」
一通り部屋の構造を把握した時点で、トレイスは部屋中央のソファに身を預ける。
それにしても、セシリアと言ったか。謎な人物だ。さっきは一瞬、機動兵隊でも上の地位の者かと思ったけれども……どうにも奇妙に思える。
まず、さっきの甲冑。あれは機動兵隊で広く使用されている甲冑で、入団して間もなく支給されるような品だった。あれだけ見れば、単なる一兵卒だと思うのは当然だろう。
しかし、となると変なのはこの部屋だ。無論、一兵卒にここまでの部屋は用意されない。にもかかわららず、セシリアはこんな部屋で過ごしている。ちぐはぐしているというか、なんというか。
気になることは、まだある。
「確かアイツ、『ダビルシム機動兵隊』って言ってたよな……」
機動兵隊とは、国の力で組織され国の命令でのみ動く『軍隊』とは別系統の組織の名称だ。各自治体の協力の下に組織され、治安維持に努めている。『機動兵隊』という名が示す通り、小さな事象にも俊敏に対処できるのが機動兵隊。逆に鈍重ではあるものの、パワーが強いのが軍隊……といったイメージか。
よほど小さな集落や僻地の村でもない限り、大抵の地域にはその機動兵隊が組織されている。アルビソラの規模であれば、この町にも機動兵隊は存在する筈だ。しかしセシリアはダビルシムの機動兵隊所属と自称していた。ダビルシムというのは、王都近郊の都市の名称だ。ここからは、船で海を渡る必要がある場所なのだ。そんな離れた場所の機動兵隊が、何故ここに?
「お待たせした」
ふとシャワールームの方を見遣ると、ほんのりと湯気を立てたルースとセシリアが立っていた。風呂から上がったようだ。二人とも、色違いのバスローブを身に着けている。
いやしかし、すらりと細長いルースと比べると……セシリアの小ぢんまりさが際立つというか。女の子としての成長具合は、セシリアの方が圧倒的そうだけれども。
「いや、別に。待ってねぇよ」
「トレイス」
「……なんだよ」
「セシリア、ぷるぷるだった。あれはなんだ」
「お前だって随分つるつるしてそうじゃねえか。同じようなモンだよ」
「そうなのか」
ルースの戯言を軽く流しておくと、何故だか気恥ずかしそうに頬を染めたセシリアが軽く咳払いをした。
「うおっほん。……空きっ腹にいきなり食事は毒だと聞く。だからこちらで少し菓子でも摘まんでおこう、ルース」
「菓子。甘いのか」
「む、もしや甘いものは苦手か?」
「苦手ではない。トレイス、これは食べても良いものか?」
「あー……いいんじゃね? 程々にしとけよ」
「了解、いただきます。セシリア、イイヤツだな」
上手い具合に餌付けされたルースは、心なしか勇ましく頷いた。相変わらず、イイヤツの判定が犬猫レベルだこと。
「嫌いではないのか。ならよかった。――さあトレイス、そちらも風呂に入れ」
「まあ、そうしますか……」
トレイスは若干の迷いを覚えつつも、風呂の誘惑には勝てなかった。脱衣所でそそくさと服を脱ぎ、まだ湿気の濃いバスルームへと踏み入って行く。
こうやって部屋にバスルームが設けられているというのは、ランクの高い部屋の証明みたいなものだ。何故なら水やお湯を放出したり、自動で湯船に湯を張ったりするのには魔具のサポートが必須だからだ。水の生成から加熱処理まで出来る魔具は高価だし、購入した後も定期的に魔力の注入を行わなければならない。そこまで考えると、一般市民がこの恩恵に与れるのは大衆浴場くらいなのだった。
張り直した湯にどっぷりと漬かりながら、トレイスはそんな思いを巡らせる。誰が入ったか知れたもんじゃない大衆浴場の風呂より、やはりこちらの方が落ち着く。
トレイスは決してキレイ好きではないし、風呂だって頻繁に入りたいタチでもない。でもそれはそれ、これはこれ。妙なこだわりがあるのだった。
入浴を終えバスルームから出ると、そこには既に着替えを完了した二人の姿があった。セシリアは兜なしの甲冑姿。ルースはいつもの服装だったけれども、随分と綺麗にクリーニングされている。そして浴室の出入り口には、汚れの取れたトレイスの服も置いてあった。
「これは……」
クリーニングのスキル持ちか。しかもこの短時間で二着分も終わらせているという事は、なかなか高レベルのスキル保持者に違いない。そんな職員を抱えているとは、流石はアルビソラの町でも最高級の宿を名乗るだけのことはある。
「勝手で申し訳ないが、洗濯をお願いした。……迷惑だったか?」
「いや、別に。どうも」
ピンピンになった服に袖を通しながら、トレイスの目は自然とセシリアの方へと向いてしまっていた。再び甲冑を身に着けていたその姿に。
「あー……確か、今からメシ行くんだよな?」
「うむ、その通りだとも。良い店がある、案内しよう」
えいやと胸を張るセシリア。しかしいくら起動兵隊だとはいえ、ほぼフル甲冑でメシに行く奴なんざ居ない。
「で、なんで甲冑?」
「私は機動兵隊の一員だからな」
「ふうん」
随分と仕事熱心なことで。トレイスはそんな言葉を噛み殺しながら部屋を後にし、セシリアに案内されながら飲食店や商店が立ち並ぶ表の通りへと歩を進めた。