色気のない会話
知らないところで進んでいた結婚話。
急に話だけが先へ先へと進んでしまい、私はだいぶ後ろの方に取り残されていた。思わず、半笑いで冗談っぽく、疑問符をぶつける。
しかし、返ってきたのは真剣な表情だけ。これは、笑える冗談なんかではないようだった。
信じられない気持ちでいっぱいになりながら、実際、酔っぱらった勢いでお見合いの件をばらしている手前、ありえない話ではない。どうも、信じざるを得ないようだ。
「まったく記憶にはないんですけど.....。」
私は、ひとまずコーヒーを飲んで気持ちを落ち着かせながら、そう切り出す。
「昨日の私がそんな話をしたんだとして、あなたの目的を教えてください。」
そして、今は一度、この話を受け入れてみることにした。
「さっき、お互いの目的って言いましたよね?利害の一致?それなら、私と結婚することであなたにもメリットがあるんでしょ?なんなんですか?」
営業なんてしたことないけれど、なんだか気分は商談の場。
相手が自信満々に正論をつきつけてきたおかげで、なぜかこちらも負けてはいられないという気にさせられた。
「フッ...」
緊張感も束の間。私の顔を見て、なぜか吹き出すように笑う彼。前のめりだった体から力が抜けたように、ゆったりソファの背にもたれかかった。
「結婚の話してるって言うのに、色気のない会話。」
「ちょっ、それはそっちが先に!」
「強いて言うなら、愛のない結婚かな。」
すると、急に空気が変わった。笑っていた顔からはスッと表情が抜け、私を見つめながら真顔で言った。
「この年になるとさ。親は結婚結婚うるさくて、今までいろんな子紹介されてきた。けど、たいして知りもしないのに好きだって言ってきたり、愛だの恋だの求めてきたり、うんざりなんだよね。」
恋愛なんて諦めたと言わんばかりに、希望も何もないような目をして、瞳の奥は真っ暗。彼の表情からは、闇さえ感じた。
その時、なんとなく、彼が私を選んだ理由が分かった気がした。
私は、彼を好きにならない。お互いの目的のためにする偽装結婚。それは、割り切った関係。
きっと、それが彼の望む形だった。
「初めて顔合わせた時、君は俺のことを一瞬で苦手認定した。」
「あ、いや、それは......」
「結局さ。普通の結婚したら、どうやっても言い出すんだよ。本当に愛してるの?って。でも、この結婚なら違う。腐った家族から抜け出したい女と愛のない結婚をしたい男。最低最悪の結婚条件だけど、今の俺らにはぴったりじゃないか?」
その時、なんだか急に怖くなってきた。知らない男の部屋で、私は何の話をしているのだろう。
突然我に返り、冷静になった。
「私、帰ります。」
近くに置いてあったカバンを手に取り、立ち上がる。
お見合いを回避したいってところから、どうしてこうも話が逸れていったのか。こんな突拍子もない話をさっきまで普通にしていたなんて、自分でも不思議だった。
「じゃあ、諦めるんだ。お見合いするの?」
「違います。でも、あなたと結婚しないことは確か。普通に考えて、昨日今日初めて会ったような人とこんな話して、結婚だなんてありえない。普通じゃない。」
半ばムッとしながら、そう言い放つ。真面目に話を聞いていた自分が、馬鹿みたいに思えた。
それから玄関へと急ぎ、慌てて靴を履く私。
「親に言われたんだろ?"彼氏を結婚させちゃえば、諦めるしかなくなると思った"って。だから俺と結婚して、やり返したかったんじゃないの?」
その間、後ろに立つ彼がそう言って、私の心を揺さぶってきた。
「さっき、昨日今日初めて会った相手って言ってたけど、お見合い相手と俺......何が違うの?」
もう二度と会わない相手。
彼の言葉なんて無視して、急いで家を出てしまおう。そう思ってドアノブに手をかけたのに、トドメの一言が飛んできて、手が止まってしまった。
言われてみれば、その通りだ。
何も言い返せなくなり、耳が熱くなった。
「父の、友達の、息子さんです。」
挙げ句の果てにはムキになり、なぜか結婚したくもないお見合い相手を盾に戦おうとする。
「俺は、零士の友達だけど?」
でも、彼もああ言えばこう言う。
私は振り返りもせず、無視してそのまま家を出た。扉がゆっくりと閉まっていく間、その一瞬の隙間で聞こえてきた言葉。
「すぐに戻ってくると思うけど。」
閉まる扉の音を聞きながら、預言者のような言葉に体がぞくっと震える。
もう二度とくるもんか。そう思いながら、私は扉を睨みつけた。
マンションの共用廊下。家を出た先は、明るいダウンライトで照らされているだけの、窓もない廊下だった。
「もう、最悪.......。」
どこかもわからないその場所とあの男のせいでいらだちながら、そう呟いて歩きだす。すると、すぐ曲がった角の先に明かりを見つけ、同時にエレベーターも発見した。
ホッと安堵し、明かりに近づいて行ったその時。その先の景色を見て、二度見してしまう。
「嘘......、え、高っ。」
窓から差し込める太陽の光。その大きな窓から下を見下ろすと、針の穴ほどの小さな人や米粒ほどの車の数々。近くの建物すら小さく見える。
窓にへばりつき驚く私は、振り返ってエレベーターの近くに表記されている数字を見る。
『30』
「嘘でしょ....」
私は今、30階にいた――
口元を押さえながらボタンを押し、来たエレベーターに乗り込む。1階に降りていく箱の中で、動揺を隠しきれなかった。
それから、本日2度目のセリフ。
「だから、ここどこなの....」
マンションを出た瞬間、見たこともない景色が目に飛び込んできた。緑に囲まれた高そうな住宅街。通り過ぎていく人は、品のある奥様ばかり。
仕方なく携帯の地図アプリを開き、位置情報を確認する。
すると、出てきた地名。
「南高嶺!?」
驚きのあまり、声に出てしまった。