感じの悪い男
頭が、割れそうに痛かった。
フカフカのベッドの上。でも、いつもと少し違う寝心地。起き上がる私は、辺りをキョロキョロと見渡して、見慣れない風景に困惑する。
モノクロで、殺風景な部屋。ゆっくりと周りを見渡した。
「ここ、どこ.......」
頭の整理がつかないまま、ベッドから降り、自分の格好を確認する。とりあえず、着ているものは昨日と同じ。
私は近くに姿見を見つけ、鏡の前に立った。
少しパサついている栗色の髪にスッと指を通しながら、顔も髪型も服装も、昨日と何一つ変わっていない様子に安堵した。
「イタタタタ.....」
重い頭に手を置き、恐る恐る一つしかないスライド型の扉を開けた。眩しいほどの光が差し込みギュッと目を瞑る。
すると、次に目を開けた時、思わぬ光景に絶句した。
「あ、起きた?」
目の前は、リビングルームらしき部屋。左手に見えるキッチンカウンターで、1人の男性が優雅にコーヒーを飲んでいた。
それは、あのバーにいた"感じの悪い男"だった。
反射的に、私はすぐに扉を閉めた。
思考が停止し、今自分が置かれている状況を、いまいち理解できなかった。これは、頭の痛みを忘れるくらいの衝撃。人はあまりの衝撃を受けると、意外と冷静になるらしい。
静かにベッドへ潜り込み、頭まですっぽりと布団を被る。そして、もう一度目を瞑ってみた。
「悪い夢....悪い夢.....」
そう唱えながら勢いよく起き上がり、そしてまた扉を開けに向かう。
「何してんの?」
しかし、状況はそう簡単に変わるはずはなかった。キッチンカウンターにいる彼の顔は、変わらずそこにあって、景色も全く同じ。
「なんで?私。なんでここにいるの?」
やっと声が出た。私は、冷静期を通り越して混乱期。構わずリビングで大きな声を出すと、彼は涼しい顔をしてこちらへくるりと椅子を回した。
「覚えてない?酔いつぶれたの。タクシーに乗るまでは起きてたのに、家の住所言う前に寝ちゃうから。うちに連れてくるしかなかったんだよ。」
それだけ言うと、ゆっくり立ち上がりキッチンへ向かった。
「コーヒーは?飲める?」
呆然とする私に、マグカップなんて見せながら平然と言う彼。こんな時に、呑気にコーヒーなんて飲んでいられない。そう思っていると、なぜかだんだん嫌な予感がしてきた。
コーヒー。朝。日課。病院。
連想ゲームのように、一つずつ浮かんでくる言葉。だんだんと血の気が引いていくのが分かり、顔が青ざめていく。
「今、何時....?」
「7時半。」
「大変、仕事!!!」
思い出したかのように、その場で大慌て。無駄にジタバタと動き、何からしたらいいかパニックに陥りながら、辺りを見渡した。
「ねえ、あのさ......」
「鞄。私の鞄は!?」
「そこだけど.....、ねえ。」
今から家に戻ってシャワーを浴びて、化粧をして......
頭の中で時間を逆算しながら、携帯と財布の存在を確認する。呼びかけてくる彼の声なんて耳にも届かず、慌てて玄関に続く長い廊下を走り出した。
「待って、今日休みっ!!」
その時、力強く腕を掴まれた。
「昨日言ってたけど。祝日だから、明日は休みだって。」
立ち止まり、思考が停止する。鞄はするりと地面に落ち、慌てて止めにきた彼と目が合いながら、へなへなと足の力が抜けた。
ホッと胸を撫で下ろし、私はその場にしゃがみこんだ。
「祝日。早く言ってくださいよ.....。」
「言おうとしたけど、無視するから。」
そんな私に手を差し伸べてくれる様子もなく、非情な彼はスッと顔を背けていなくなる。
"感じの悪い男"は、どこまでも嫌な男だった。