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ホオズキの花 〜偽りから始まった恋の行方〜  作者: 静間 弓
プロローグ
2/41

今日ここで終わりにしよう


「晴日?」


式場に戻った私は、自分の居場所を見つけられず、ひたすら控え室の前をウロウロとしていた。


その時、後ろから聞こえてきた透明感のある澄んだ声。見なくても分かる。紛れもなく、桜の声だった。



「晴日、ちょっときて?」


少し開いていた控え室の扉。私は振り返り、騒つく胸を落ち着かせながら、冷静なふりをした。


部屋に入った瞬間、純白のドレスに身を包む美しい桜の姿が目に映る。その時ばかりは、全てを忘れて純粋に思った。


「すごく綺麗。」



少しだけ視線を落とし、しゃがみ込む。彼女の手を取り、私はにっこり微笑みかけた。


車椅子に座っている、桜に向かって――。



桜は、生まれつき体が弱かった。未熟児として生まれ、ずっと新生児集中治療室と呼ばれる、NICUのカプセルの中にいた。


大人になって障害が残ることはなかったけれど、免疫力が弱く、激しい遊びはもちろん、少し走るだけでも体を壊してしまう。繊細な体だった。


だから、こうして車椅子生活を強いられている彼女。私が物心ついた時から、この状態だった。



「矢島さんのこと、知らなかったの?」


すると、桜は唐突にそう言った。眉のあたりで切り揃えられた前髪によって、はっきりと見える表情。眉尻を下げ、潤んだ瞳が見上げてくる。しゃがみ込む私を不安げに掴んだ手は、とてもひんやりとしていた。


さすがに、それにはどう反応したらいいか分からず、笑って誤魔化すしかなかった。



「そうなのね?私、お父さんから、晴日と矢島さんは別れたって。晴日もこのことは承諾してるって、そう聞いてたの。でも、違ったの....?」


桜は、何も知らなかった。戸惑う彼女を見て、確信した。全ては父の策略。どんな意図があってのことかは分からないけれど、私たち2人を騙していた。


「私、どうしよう......」


そう言いながら、急に胸を押さえ出した桜。過呼吸のように苦しそうな息を吐き、顔は真っ青だった。



「誰か!先生!」


慌てる私は、いつも桜についている主治医の先生を呼ぼうと、部屋を飛び出す。でも、いるのは式場のスタッフだけ。


私は震える手を押さえながら、叫び続けた。その瞬間、タイミング良く到着した矢島さん。目が合い、事態を察知した彼が、慌てて部屋に入っていった。




体の弱い桜が、小さい頃は羨ましかった。


母の注意はいつも桜に向けられていて、私のそばにいたのはベビーシッターのお姉さんだけ。大きな病気もしなければ、滅多に風邪も引かない。健康体そのものの私。



母の口癖は、"晴日ちゃんなら大丈夫"。


その一言だった。



本当は、桜のことを妬んで、嫌いにでもなりたかった。でも、できなかった。私が一人で泣いている時、真っ先に気づいてくれるのは、いつでも桜だったから。こっそりと自分の部屋を抜け出して、私に会いにきてくれた。


父に怒られた時も、あの家で息が詰まるような時も、いつも支えてくれていたのは桜だった。桜だけが、誰にも話せない弱音を聞いてくれた。



だから、私にとって桜は、世界で一番大切な人になった。




「軽い過呼吸のようですね。もう大丈夫です。」


主治医の先生がすぐに到着し、矢島さんの処置も早かったことから、桜は大事には至らなかった。壁にもたれかかり、その言葉を聞いてホッと安堵する私。


「桜!!」


「桜ちゃん!?」


父と母が慌てて飛び込んできたのは、そのすぐ後のことだった。



それから開口一番。父の怒りは私に向けられた。


「晴日、何か言ったのか。この大事な時に、桜を動揺させることでも。」


冷たい目。静かにそう言う父は、私を疑っているようだった。



でも、疑われるのも無理はない。父は、私が矢島さんと結婚したかったことを知っているから。それを分かっていて、桜と結婚させたのだから。



「待って、お父さん違うの。」


黙り込む私を庇うように、今にも消えそうな声を出す桜。車椅子でゆっくり進んでくると、私たちの間に割って入った。


「晴日は、私が呼んだの。ドレスを見て欲しくて。そしたら急に苦しくなって、晴日のせいじゃない。先生と矢島さんを呼んでくれたのは、晴日なの。」



桜は自分の体が弱いせいで、瀬川家の娘としての重圧を、私一人に全ておわせてしまったと責任を感じている。だから、私が責められそうになると、必ず庇おうとする。


昔からずっとそうだった。



「桜.....」



「そうか。それならいい。」


父は、それだけ言うと部屋を出た。隣であたふたとする母も、先生と矢島さんに会釈をして、父を追っていってしまった。



「晴日、ごめんなさい。私....」


「花嫁がそんな顔しちゃだめ。先に行ってるね。」


式が始まるまで、あと20分。今更この結婚がどうこうなるはずもなく、いろんな思いをギュッ堪えて、そう言うしかなかった。



"妹に、式をめちゃくちゃにされた花嫁"


桜がそんな白い目で見られるようなこと、私にはできない。恥をかかせるなんてもっての外だった。



「晴日っ!」


控え室を出て、すぐに後を追ってきた矢島さん。


「あとで、ちゃんと話したい。これには訳が.....」


この期に及んで、まだ弁解しようとする。それが、ただただ悲しかった。


立ち止まり、私はくるりと振り返る。



「矢島さんは、私と結婚したかったんじゃない。"瀬川家の娘"なら、誰でもよかったんだよ。」



彼だけはあの病院の中で唯一、私を一人の人間として見てくれていると思っていた。"瀬川院長の娘"でなく、"瀬川 晴日"個人として見てくれていると信じていた。でも、違ったようだ。


何も言い返せない彼の様子が、全てを物語っている。本当は、今すぐ言い返してくれるんじゃないかと期待した。訳とやらを、聞かせてくれるんじゃないかと期待した。


でも、そんな淡い期待もすぐに崩れさり、ショックを受けた感情だけが手元に残る。早くこの場を立ち去りたかった。



「桜まで傷つけたら、許さない。」


「晴日......」


「さようなら。」



私は泣きたい気持ちをグッと堪え、そう告げる。今はまだ泣けない。泣いたら負けだ。必死にそう言い聞かせた。



去り際、下瞼の内側に溜まり込んでいた涙が溢れ出すように、ツーっと一筋頬を伝った。これで最後。そう決心し、振り返らない。彼は、もう人のものになってしまったのだから。



矢島さんとの恋は、今日ここで終わりにしよう。





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