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ほんのちょっとだけの物語

作者: 抹茶

 朝食に出てきたのはベーコンハムエッグ。豚は家で育てていないから、こんな風に朝に食べることはほとんどない。くすんだ色のテーブルにきれいな赤色が加わった。久しぶりのご馳走に「僕」はわくわくした。僕は家族とともに華やかな食卓を囲む。

「いただきます」

 食事の前にそう言うのが我が家のルール。いつもより早口で言い終わった僕は真っ先にベーコンエッグへ手を伸ばす。

「待ちな。食べる前に話があるよ」

 思わず手が止まる。目の前に座る「叔母さん」が手を机の下から出さないままいきなりそう言い始めた。僕はこの叔母さんが好きではなかった。何かと口うるさく文句を言ってくるからだ。昨日だって、牛舎の扉を閉めるときの音で叱られた。そして大抵こんな風に叔母さんが食事の場で話し出すときは僕に文句を言ってくるのだ。きっと叔母さんはみんながいる場で昨日の事を言うに違いない。僕は机の上に手を置いたまま、叔母さんを睨むように見た。

「あんた……昨日牛の数を確認しなかっただろ? 昨日扉閉めてすぐに家に帰って寝ちまってたからね。南の窪地に子牛が一匹置き去りだったよ。これで何度目だい? ちゃんとやれって言ったろ」

 体が一気に熱くなった。まずい。気づかなかった。子供の牛はよく見ておけと言われていたのに、昨日叔母さんに叱られていらいらしてさっさと家に帰ってしまった。前もそれをやって叔母さんに怒られた。でも昨日は扉を閉めようとした時に、牛の数を数えようとしていた。その時に叔母さんに叱られてそのことを忘れてしまったんだ。もしあの時叔母さんに文句を言われなかったら僕は子牛がいないことに気付いて探しに行ったんだ。叔母さんがあの時何も言わなかったら僕はそんなことはしなかったはずだ。そう言ったら叔母さんは鼻をフンと鳴らしてさらに僕に文句を言ってきた。

「そんな訳あるかい。あんたがいつも適当に仕事してるからだろ。それなのにあたしのせいにするなんて図々しいにも程があるよ」

 僕は何も言えなかった。叔母さんの言うことが正しいと思ったからじゃない。僕の言い分を聞かずに一方的に僕が悪いと決めつける叔母さんに腹が立ったからだ。結局僕は母さんに反省としてベーコンエッグは食べさせてはもらえなかった。もっと叔母さんが嫌いになった。






 その日の夕方、僕は牛舎の見回りをしていた。朝に言われたとおりに牛の数を確認してから扉を閉める。ただ、今日はいつも以上に仕事に集中できなかった。一緒に仕事をする叔母さんの姿が目に入るたびにどうしようもなく憎くなった。叔母さんなんて嫌いだ。牛舎に鍵をかけようとしたときにふとあることを思いつく。叔母さんの失敗を皆に言えばいいのではないか。僕を虐めた仕返しだ。次の日から僕は仕事中に叔母さんをずっと見るようにした。叔母さんのミスを見逃さないために。叔母さんは牛舎での仕事の他に鶏も飼育していた。僕も以前は鶏の世話をしていたが、鶏小屋を開けっぱなしにして鶏たちを逃がしてしまったことがあり、父さんに牛の世話だけをするように言われていた。しかし叔母さんを見ると、餌やり、糞の処理、散歩をきっちりとこなし、数の確認、鍵閉めも忘れていなかった。僕は内心焦っていた。どうして忘れないのか、どうして失敗しないのかが分からなかった。その時、陰でこっそり見ていた僕に叔母さんが気付いた。

「なんだいあんた。まだ見てたのかい。ちゃんとやるべきことは忘れてないだろうね?」

 いつも通りに軽く流す叔母さん。その様子にますます僕は叔母さんが嫌いになる。僕がこんなに困っているんだ。どうしてこの人は分からないんだ。考える程にむしゃくしゃする。ふいと後ろを向いて仕事に戻ろうとした時、叔母さんがポツリと呟いた。

「ま、あんたの気持ちもわかるけどね……。私も若い頃は親が嫌いだったさ。あれこれ勝手に言ってきて、こっちの気持ちなんて知ろうともしないと思ってたからね。でも到底同じように仕事は出来なくてね。それがまた悔しかったよ。あんたが私をどう思ってるかは知らないけど、あたしらは生きるために仕事してんだ。牛も鶏もいなくなったらあたし達は食べていけなくなってしまうんだ。……あんたにはそれをわかってもらいたいんだ」

 思わず振り向いて叔母さんを見る。平然と仕事に戻っていたが、僕に意識を向けていることだけは分かった。今の話がどうしても頭から離れず、僕はしばらくそこから動けなかった。





 ある日、母さんと話をした。母さんの妹である叔母さんが昔はどんなだったかの話を。母さんによると、叔母さんは昔は遊びまわっていてろくに動物の世話をしていなかったらしい。仕事をするときも、いつも適当に済ませてあとは走ってどこかへ行ってしまうことが多かったという。しかし伝染病で飼育していた動物たちの多くが死んでしまい、家計が苦しくなった時、叔母さんは残り僅かなお金を持ってどこかに逃げてしまったらしい。何年かたって叔母さんが久しぶりに家に帰ってきたら見た目はすごく痩せていて、目もくぼんでいたらしい。その時の叔母さんの話では金を持って町に言ったはいいが、ろくに仕事も見つけずに遊びまわった結果、食べ物を買うのにも困るようになり、借金も膨らんでいたらしい。当然母さん含む家族は叔母さんを非難して家から追い出したそうだけど、叔母さんが何度も頼み込んだことで借金をすべて無くすことを条件に住まわせることにしたという。叔母さんはその時から休むことなく仕事をつづけ、今では借金も返し終わったという。あの叔母さんにそんなことがあったのか。僕は話を聞き、自分なりに今の叔母さんがどうしてあの話を僕にしたのかを考えた。とんでもない過ちを犯した後、苦しい生活を経験した叔母さん。失敗した後に苦しい思いをしてようやく解放された叔母さん。そして過去を捨てず、今でも仕事を欠かさずにしている叔母さん。では、僕はどうだろうか。自分の失敗を見つめず、叔母さんのせいにする自分。自分のために、叔母さんの失敗を願う自分。あれだけ望んでいた叔母さんの失敗の話を聞いても、自分のことを嫌いになるだけだった。






 平原にて牛たちを散歩させていた時に南の窪地まで来てみた。底は僕の首元ぐらいまで深く、子牛ならば隠れて見えなくなるだろう。僕はこんなところに小さい牛を置き去りにしていたのか。牛を見ておくことは僕の仕事だったんだ。やるべきこと。そう考えた時に叔母さんの話、その前に言われたことを思い出した。やるべきことはちゃんとやったんだろうね──僕の「やるべきこと」とは一体何だろうか。牛たちの世話をすることか、きちんと戸締りをすることか……いや、それだけじゃない。きっと叔母さんはそれ以上の何かを伝えたかったはずだ。自分の失敗から僕に何かを伝えたかったはずだ。それが何かは今は分からない。けれどもいつか分かるのだろうか。やるべきこと、仕事に向き合うことで何かをつかめるのかもしれない。夕暮れ、牛たちを牛舎に帰し、数を数える。全員そこにいた。その後に扉を閉め、鍵をかけた。そこに叔母さんがやってきた。

「ああ、今日はちゃんとやってるみたいだね。明日も頼むよ」

 たまに叔母さんは僕にこう言う。僕は今「やるべきこと」ができていて、そう言ってくれているのだろうか。この人の気持ちは僕には分からなかった。ただ、そういわれた時は不思議と気分が良かった。夕焼けが赤々と僕と叔母さんを照らす。弾んだ気持ちを隠しながら叔母さんと僕は並んで家に帰った。







 


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