81・嫉妬と修道女
大地の国において、どこの国にも属さない地域が存在する。
底の国に通じるとされる巨大な大穴の周囲がそれに該当し、いわく神の加護を失った土地とされている。
神の加護がない、つまり神から見放された土地として、人々はこの地を忌み嫌い近づかない。
草一本すら生えていない岩だらけのこの土地に一つの教会があった。
ただ、その教会は酷く老朽化しており廃墟と言われても納得してしまいかねない程だ。
大地の国で広く信仰されている星神教のそれとは違い、この教会の屋根に飾られているシンボルは三つの円形が重なった物だった。
太陽をイメージして作られたというこの三つの円形のシンボルが示すのは再生と不滅と永遠であり、何度沈んでも再び昇ってくる太陽を神と崇める宗教組織、太陽教のシンボルだ。
神から見放された土地にあるこの太陽教の教会で一人のシスターが祭壇に向かって両の膝を折り、目を閉じたまま両手を組んで熱心に祈りを捧げていた。
「今日もまた世界が太陽の恵みの元、平和でありますように」
シスターは所どころがつぎはぎの修道服を着ており、財政的にかなり厳しい暮らしをしているのが見て取れた。
「今日も熱心に太陽神様にお祈りをしているのですね、シスター・ソネミー。貴女の祈りはきっと太陽神様に届く事でしょう」
祈りを捧げるソネミーの背中にしわがれた老女の声がかけられた。
ソネミーは祈りをやめる事なく、老女の声に応える。
「ありがとうございます、シスター・オウカーネ」
オウカーネはソネミーの隣に立ち、祭壇にある三つの円形のシンボルに目をやる。
そして、胸の前で円を三回描いてから、両手を組んでソネミーと同じ様に祈り始めた。
「この地に神の加護をもたらさんと、太陽神様の教会を建ててはや五十年。長くもあり短くもあった年月ではありましたが、いまだ神の加護はこの地にもたらされない。それでも諦めずに祈り続けるのです。国を追われ、行き場を失った者たちが集まり、小さな町となったこの地に住まう者たちに、どうか神の加護があらん事を」
祈りを終えたオウカーネはソネミーの肩にそっと手をやり、ニコリと笑う。
その様子を教会の暗がりから見つめる者が居た。
ボロボロの長椅子に横になり、まだ昼間だというのに酒瓶を片手に干し肉をつまむ怪しい人物がソネミーとオウカーネの二人をジットリとした目で見つめていた。
「はん、神様にお祈りたぁ素晴らしい事ッスねぇ。こんなしけた土地で神の加護なんざ期待するだけ無駄ッスよー。底の国の魔力の影響で大地の国の法則がねじ曲がってるんスからねー」
その人物はソネミーとオウカーネの二人を鼻で笑い、手に持っている酒瓶をグイっとあおる。
「シスター・ジェロジア、また貴女は昼間からワインを飲んでいるのですか。神に仕える身である修道女にあるまじき姿ですよ。それに、神の加護は万物に分け隔てなく降り注ぐものなのです。底の国に通ずる大穴が近くにあるからと言って、神がこの地を見放す訳がありません」
オウカーネの言葉にジェロジアはケラケラと笑って応えた。
「シスター・オウカーネ、全能なるいと高き神々ならば、底の国の魔力なんて屁でもないんスけどね。貴女が、というか太陽教が信奉する神がすでにこの世には現存していないってのはご存じッスよね? 肝心かなめの神がいないのに、神の御心にすがるってのは無理な話じゃないッスか?」
相手を蔑むような目でオウカーネを見るジェロジアをソネミーが悲しそうな目で見つめる。
「神は人の心に寄り添い、支えてくれる存在です。シスター・ジェロジア、そこに確かに存在する神々の力は確かに偉大であり強大です。しかし、神が居るから祈る、居ないから祈らない、という様な事ではないのです。祈りとは神に誓う行為、それを自身の手で成し遂げてみせると、自分と神に誓う為のモノ。祈りとはそうあらねばならないのです」
「信仰は自分よりもはるかに強大な存在に、人の力ではどうにもならない事を何とかしてほしいという思いから生まれた究極的な他力本願の極地ッスよ、シスター・ソネミー。その点で言えばアンタの祈りは根本的に信仰のそれとはかけ離れてるッス」
「他者の言葉で私の行いを定義付けなど出来ようはずはありません。祈りとは神へ捧げる自身が叶えるべき願いの灯。その思いを消さず持ち続ける事が神への信仰と私は心得ております」
「はいはい、これだから狂信者は。羨ましい限りッスねぇ、あちしにはそこまで神を信じ切る事なんかできないッスね。自由意志を持った大災害の権化と手に手を取って仲良しこよしなんかゾっとするッス」
ジェロジアはそう言って酒瓶を口に運び、中身が空っぽな事に気づくと教会の入り口へフラフラとした足取りで歩きだした。
「シスター・ジェロジアどこへ? これから炊き出しを行う時間ですよ」
「命の水がなくなったんでー、調達に行ってくるッス。あちしなんか居なくても、お二人と他のみんななら問題ないッスよ」
オウカーネとソネミーがジェロジアの背中に声を投げかけるか、ジェロジアはそれらを無視して酒場へと向かった。
そして、数秒後もの凄い勢いで走って戻ってきた。
「ぴゃあああああああああああああ!!!! た、助けてほしいッスーーーー!! あの悪魔から招集の知らせが来たんス!! 助けて、シスター・オウカーネ、シスター・ソネミー!!」
顔面蒼白で土下座するジェロジアを見て、オウカーネは思い当たる節があるのか首を横に振る。
「シスター・ジェロジア、貴女が言う悪魔とはあの王女殿下の事ですね。ならば、貴女はあの場に戻らねばならないという事でしょう。私にはどうする事もできません」
ソネミーはジェロジアがここまで狼狽しているのを今まで見た事がなかった。
何があの堕落しきっていたジェロジアをこれ程に追い詰めているのか、少し気になった。
「シスター・オウカーネ、何故シスター・ジェロジアはここまで慌てているのですか?」
「修道院に来る者はみな、誰にも言えない過去があるのです。貴女も覚えはあるでしょうシスター・ソネミー。とは言え、シスター・ジェロジアの場合はかなり特殊ではありますが」
「申し訳ありません、今までシスター・ジェロジアがここまで慌てふためいているのを見た事がなかったもので」
オウカーネとソネミーの会話など耳に入っていないジェロジアは頭を抱えてうずくまり、ガタガタと震えている。
「嫌じゃーーー!! なんでこんなド底辺陰キャ生物があんなキラキラ輝いてる陽キャの世界に行かなきゃならないんスかーーーー!! 何もかも無理ってなってせっかくここまで逃げてきたのに、だいたいなんでアイツここにあちしが居るってわかってるんスかーーーー!!」
「もちろん、私が内密にお伝えしておりました」
「なんでッスか、裏切り者ーーーー!! 素性も過去も詮索しないからって条件でいっぱい寄付とかしたのにーーーー!!」
「もっと大金積まれましたからね、ハハッ」
「うわ、めっちゃいい笑顔、超腹立つッスーーーー!!」
ゴロゴロと床の上を転がりまわるジェロジアはピタリと動きを止め、勢いよく立ち上がった。
「逃げるッス。あの悪魔の招集ッス、ぜーーーったいろくな目に合わないッス」
「シスター・ソネミー。シスター・ジェロジアを捕らえ、そのまま寄り合い馬車乗り場まで連行を」
「はい、シスター・オウカーネ」
ジェロジアが走り出すよりも早くソネミーはジェロジアの腕を掴んでひねり上げて、即座に身動き一つ取れない状態にした。
「ほんぎゃああああああ!! 痛い痛い痛いーーーー!! 折れる、折れる!! いやもうこれ折れてる、絶対二、三本腕の骨折れてるッスーーー!!」
「ご冗談をシスター・ジェロジア。この程度で折れる程、人間の体はやわではありませんよ。それで、シスター・オウカーネ、行先は?」
ソネミーは動きを封じているジェロジアをヒョイっと肩に担いだ。
痛みでジタバタと暴れるジェロジアを完全に無視して、オウカーネは懐から小箱を取り出して中身をソネミーに手渡した。
「これはシスター・ジェロジアの身内の方より預かった指環です。これに魔力を込めるとそのお方の居場所を示してくれるでしょう。私はこの地を離れる訳にはいきません。シスター・ソネミー、私の代わりにシスター・ジェロジアを連れ、この指環をそのお方にお返しするよう」
渡された赤い宝石の付いた指環はその道に詳しくない者が見てもかなり高価な物だというのが分かった。
自分の指にはめる事がためらわれたソネミーはとりあえず、ジェロジアの指にその指輪を無理やりはめようとした。
「痛ってぇえええ!! 指環の大きさ考えてほしいッス!! この輪の大きさだと、小指くらいしか無理ッスよね!? なんで親指!? だから痛いってぇええええ!! なんでもう一回試した!? 見て分かれお馬鹿ーーー!!」
「諦めてはいけませんシスター・ジェロジア。無理を通せば道理が引っ込むと異世界から伝わるありがたい言葉があるではありませんか」
「そんなアホな理論であちしの指をダメにされたらかなわないッスよ!! 無理な物は無理なんスよ!! 小さい鎖か何かを穴に通してネックレスにしたらいいじゃないッスか!!」
「その手がありましたね。そうしましょう」
大声を出し過ぎたのと、指の痛みからかジェロジアがゼーハーと荒い息をする。
「そんな事もあろうかと、ネックレス用の鎖は準備しています」
「先に出せッス!!」
ニコニコと微笑みながら、オウカーネは指環にネックレス用の鎖を通し、ジェロジアの首にかける。
そして、オウカーネが指環に魔力を込めると、指環の宝石が淡く光出した。
淡く光る指環はゆっくりと浮かび上がり、ある方向に向けて物凄い勢いで飛んでいこうとした。
「ぐぇえええええええ!! 首、首がやばいッス!! 」
飛んでいこうとする指環に通されている鎖がジェロジアの首に思い切り食い込み、かなり絵的に危険な状態となる。
「指環の飛んでいこうとする方角からすると、恐らくプラテリアテスタでしょうか」
「やはり、そうですか。シスター・ソネミー、シスター・ジェロジア、どうか気をつけて行ってきなさい」
オウカーネが少し寂しそうな顔でソネミーと青白い顔になっているジェロジアを見る。
「貴女たちの未来が良い物でありますよう。……行ってらっしゃい」
「……行ってきます、シスター・オウカーネ」
ソネミーは意識を失いかけているジェロジアを肩に担いだまま、寄り合い馬車乗り場に向かった。




