65・黒ネコと侍従長
博愛の勇者ソラタの発動した癒しの奇跡を肩代わりしたコタマが苦し気に顔を歪める。
コタマは魔王種から分離する際にその魔力の半分以上を奪っていたが、癒しの奇跡を維持しているだけで奪い取った魔力の大半が消費されていた。
コタマは維持できても精々五分と言ったが、このままでは二分と持たずに枯渇し干からびてしまう。
どうしたものかと、思案しつつコタマは頭の上の白く光る輪をちらりと見た。
ソラタは知る由もないが、この白い輪は製造法は違えど天使の輪と言っても差し支えない代物だった。
他者に与える事で他者を天使に変換し、強大な力を授ける神の力の具現たる光輪。
ソラタは天の国で神核を取り込んだ事で、神の作る光輪と似て非なる物を生み出す力を得ていた。
コタマはその光輪を得た事で天使の属性に転換され、魔王種という枠組みから解き放たれた。
魔王種という巨大な力を持つ存在を制御する為、底の国で分解され天の国に昇るのを待つだけだった精霊獣の魂の欠片だったコタマは魔王母胎樹に回収され、利用された。
その状態から偶然であろうと、救ってくれたソラタの恩に報いたい。
魔王種から奪った魔力が底をつく前に、黒い巨人の姿になった魔王種を倒せれば万々歳なのだがそれは難しいだろう。
癒しの奇跡を維持し続けた事に加え、短期間の間にチート能力者級の者たちを何度も完全回復させた事で
ソラタの体が限界に達しているのは誰の目にも明らかであった。
ティグレに抱きかかえられているソラタはぐったりとしており、意識が朦朧としている様に見える。
仕方がない、とコタマは頭上の光輪を魔力リソースとして使用する事にした。
白い光輪は神域の魔力を凝縮させて作られた物である以上、膨大な魔力を内包している。
しかし、光輪の魔力を使い切った場合、コタマは天使という属性を失う事になり存在が消失してしまう危険性がある。
ソラタと契約した事でその在り方を感覚的に理解したコタマはソラタがそれを絶対に望まない事を察知しているが、主であるソラタを守る為ならばとコタマは覚悟を決めた。
「まぁ、にゃんとかにゃるにゃー。魔王種の中で感知した権能反応が正確なら、たぶんギリギリ間に合うはずにゃー」
「クソ精霊……コホン。コタマ様、間に合うとは何が?」
ティグレがわざわざコタマを様付けして、コタマの言葉の意を問う。
ティグレにとってコタマはどうにも気に食わない上に腹立たしい事この上ない存在ではあるが、ソラタと契約している以上はコタマはソラタの一部と言っても過言ではない。
プラテリアテスタの侍従長としての矜持によって、ティグレはなんとかコタマに様を付けて呼ぶ事を我慢出来た。
内心は穏やかではないが。
「うわー、凄い嫌々そうな感じにゃー。まぁいいにゃ、ご主人にとってお前も大切な存在には違いないにゃー。簡単に言うと勇者と魔王が近づいてきてるにゃ」
「勇者と魔王が? 勇者はともかく、何故魔王が? 魔王母胎樹討伐についての話は七人の勇者全員が揃ってから魔王たちと行う、と伺っていましたが……」
「うちが知る訳にゃいにゃー。魔王が来たら本人に聞けばいいにゃ」
その時、パキッとガラスが割れる様な音が響いた。
それはコタマの頭上にある光輪の一部がヒビ割れた音であり、光輪の魔力すら枯渇しつつあるという証左であった。
「にゃー、もう少しは持つかと思ったんだけどにゃー」
「光輪にヒビ!? あんた、魔王種からかすめ取った魔力を使ってるんじゃなかったの!? 今は何の魔力を使ってソラタ様の癒しの奇跡を維持してるの!?」
「にゃー、うるさいにゃー。元々ギリギリのつにゃ渡りだったにゃ、それだけこの癒しの奇跡がとんでもにゃいって事にゃ。さすがコタマのご主人だにゃー」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ!? 光輪が完全に壊れたら、あんたどうなるの!?」
「まぁ、天使の属性が消失するから、うちも存在を保てにゃくにゃるにゃー。存在が消えるまでにゃんとか癒しの奇跡を維持して見せるから、心配しにゃくていいにゃー」
「ソラタ様はそんな事を望む訳がないでしょうバカ精霊獣!!」
「分かり切った事を言うにゃ虎女」
光輪のヒビ割れが段々と広がっていく。
このままなら、完全に光輪が壊れるまであと三十秒と持たないだろう。
限界を感じつつ、コタマは叫ぶ。
「悪いにゃーお前ら、癒しの奇跡はあと二、三十秒の維持が限界にゃー。その後はなんとか頑張るにゃ、ご主人の願いを叶えてやってほしいにゃー!!」
コタマの叫びを聞き、黒い巨人と戦っている者たちはその思いを受け、今この瞬間に全てをかけ限界を越えて更に力を尽くす。
チート能力者級の者たちの奮戦によって、黒い巨人の体に変化が現れていた。
黒い巨人の体のあちこちから黒い霧が噴き出している。
体を構成している魔力因子の維持が出来なくなってきているのだ。
制御の要であったコタマが体内から消え、魔力の大半を奪われた事で長時間の活動は不可能となっていた黒い巨人は残る魔力を暴走させる事で短時間の間だけ爆発的な戦闘力を発揮していたが、それも限界が近づいてきている。
だが、それでもコタマが肩代わりしている癒しの奇跡が消え去るよりも長く存在出来るのは確実であった。
癒しの奇跡が消えてしまえば、もう自動完全回復は見込めない。
攻撃に十割つぎ込んでいる魔力を防御にも回さねばならなくなる。
自分を守るので手一杯になってしまう可能性が高い。
そんな状況で、この場で最も弱い存在であるソラタがもし黒い巨人に狙われたとしたら、誰かが自分の身を犠牲にでもしなければ守り切れないだろう。
だからこそ、癒しの奇跡が維持されている今この瞬間に倒さねばならない。
チート能力者級の者たちの全身全霊を込めた一斉攻撃が黒い巨人を粉砕し、砕かれた黒い巨人だった黒い塊が大地に降り注ぐ。
「ギリギリ、にゃんとかにゃったかにゃー」
コタマの頭上の光輪が音もなく光の粒となって消えていく。
そして、空一面に広がっていた魔術陣も消え、癒しの奇跡が終わった。
体の端が塵になり、大地の魔力へと還っていくのを感じながらコタマはどこか満足げだった。
「短い間ではあったけれど、契約獣も悪くにゃかったにゃー。ご主人さよにゃらにゃー虎女も元気でにゃー」
「クソ精霊獣、そんな勝手な事を許す訳がないでしょう!! あんたは知らないだろうけれど、私は絶界聖域でソラタ様の癒しの魔術の影響を間近で受けた、その魔力の残滓がまだ残っている!!」
ティグレは消えてつつあるコタマに全魔力を与え始めた。
絶界聖域で受けたソラタの癒しの魔術、その魔力の残滓と自身が持つ古き獣の魔力をまとめて。
常人からしてみれば、膨大とも思える魔力量ではあるけれど、光輪が内包していた魔力には残念ながら到底足りなかった。
ティグレがその全魔力をコタマに与えたとしても、数秒その存在を保つのが精々だった。
「やめとくにゃ、虎女。そんな事してもほんの少しうちが塵になるのを先送りするのが精一杯にゃ」
「だからと言って、見殺しになど出来る訳がないしょうがッ!!」
この場にいる他の者たちは黒い巨人との戦いで全力を出し切っており、コタマに与える程魔力が残っていなかった。
もはやコタマの消滅を止める手立てはない。
誰しもがそう思った。
「諦めちゃダメだゾ!! 希望はここにあるんだから!!」
聞き覚えの無い子供の声がその場に響いた。
コタマの目の前に、フリフリの沢山ついた真っ白なロリータ服を着た金髪金眼の女の子が立っていた。
「わたしは希望の勇者!! その名も時女 喜々良ちゃん!! あなたに希望の花を咲かせるわッ!!」




