62・異邦の少年と侍従長
ふんわりと良い匂いに包まれているのを感じながら、ボクは眼をゆっくりと開けた。
「あれ、ここ何処だろう……?」
「ッ!? お目覚めになられましたかソラタ様ッ!!」
目の前にティグレさんの顔があったので、ちょっと驚いた。
その時、ふと違和感に気付いた。
何故か体が上手く動かない。
何故だろうと思い、自分の状況を確かめてみる。
「……ティグレさん」
「はい、なんでしょうソラタ様」
「なんでボクはティグレさんの服の中にいるんですか?」
ボクの顔以外が何故かティグレさんと向かい合う形で服の中に入っていた。
赤ちゃんを抱く時に使う、抱っこ紐の様な物をつけられている気がする。
どうりで良い匂いがする訳だと、寝起きのボクはぼんやりと思った。
「安全の為です。仕方のない事なのです。他に手立てなどもなく。お眠りになられていたソラタ様のお体を第一に思っての事、私利私欲などフヒ、微塵もフヒヒ、ありません」
「うん、ありがとうティグレさん、でももうボク目が覚めたから大丈夫だよ」
「そ、そんな――、あと五分……、せめてあと十分」
涙目になるティグレさんをよそに、ボクは体に結びついている紐をほどいてティグレさんの体に触れない様に、見ない様に服の中から外へと出た。
「あぁ、殺生な……。あ、でもソラタ様の匂いが服に残ってる……フヒ」
気のせいか残念がっているティグレさんが目に入ったけれど、今はそれよりもずっと大変な存在が嫌でも目に入る。
「あれが魔王種、なんですか……?」
雲まで届きかねない程の全身が黒い巨人、魔力感知なんか使わなくても肌に突き刺さる様な凄みを感じた。
ブルッと肌が震える。
こんなに離れているのにその桁違いの大きさが嫌でも分かった。
時折、黒い巨人のあちこちで爆発や竜巻、色んな属性の魔術の光が見え、ライトニングさんや他の人たちが戦っている事がなんとなく分かった。
たぶん、プラテリアテスタの王様もあそこにいるのだろう。
ヴルカノコルポの王様の魔力も感じるから、プラテリアテスタの王様と一緒に戦うくらいには仲直りが出来たのだと、ボクは少し嬉しくなった。
「恐らく。今まで出現したモノと姿形は異なりますが、複数のチート能力者でも倒しきれなかった事を考えれば、魔王種以外には考えられません。私たちは今、国境の港町マッスールから離れ、避難している最中です。マッスール付近まで進軍してきていたプラテリアテスタ軍は転進、今はラージュ様の指揮の元、周辺住民の王都への避難勧告を始めています。それが終わり次第、本格的な魔王種討伐戦に移行するでしょう。……せっかくソラタ様がヴルカノコルポとの戦争を止めるきっかけをお作りになられたというのに、次は魔王種との戦いになるとは、残念で仕方ありません」
草原の中、ティグレさんの魔術でボクたちの周囲は明るいけれど、まだ夜中なのは月の浮かぶ空を見ればすぐに分かった。
空一面に大きな魔術陣が広がっていたが、ティグレさんが言うにはどうやらアレはボクがやった事らしい。
癒しの魔術を使った時、ボクは世界と繋がった様な気がしたけれど、今ははっきりとは思いだせない。
夢の中での出来事だったような気さえする。
夢、夢と言えばさっきまで見ていた夢の中でタマコに似た毛並みの黒ネコが出てきた事を思い出した。
首元に手をやると神域と冥域の魔力で作った白と黒の重なった輪がなかった。
夢の中で白と黒の輪は別々になり、黒い輪は消えてなくなったけれど、白い輪の方は確か夢の中で会った黒ネコにあげたはず。
そんな事を考えていると「にゃあ」とボクの足元から久しぶりに聞くネコの鳴き声が聞こえた。
足元を見ると、顔の無い全身真っ黒な黒ネコがボクの足に頭をすり寄せていた。
その頭には白い輪がプカプカと浮いている。
「やっぱり、君もこっちに来てたんだね。一緒に扉を通ったから、もしかしたらって思ってたんだ」
「にゃー」
黒ネコを抱き上げようとした瞬間、ティグレさんが凄い顔でボクを抱き上げて凄まじい速さで走り出した。
「ティ、ティグレさん、どうしたんですかいきなり!?」
「ソラタ様が今お抱きになろうとしたものは、私が最初に見た魔王種そのもの!! チート能力者たちですら、殺し尽くせなかった埒外のバケモノです!! 私では命を賭したとて時間稼ぎにすらなりません、今はただ、少しでも距離をッ!!」
「ティグレさん、あの子は違うよ、ボクはあの子と夢の中で会ってるんだ。その時にあげた白い輪があの子の頭の上に浮かんでるから、間違いないよ」
「夢? それに白い輪? いったい何を――ッ!?」
ティグレさんが急に立ち止まる。
その少し前にあの子が、白い輪を頭の上に浮かべた黒ネコがいた。
「にゃあ」
「くッ、追いつかれた!? 全力で走っていたのにッ!?」
黒ネコはちょこんと座ったまま、ペロペロと前足を舐めている。
ティグレさんはボクを抱いた上げたまま、黒ネコを警戒して動けないでいた。
ボクの耳に遠くで鳴り響く爆発音が入る。
あの黒い巨人とみんなが戦っている音だ。
まだ、戦いは終わっていない。
「ティグレさん、さっきも言ったけどあの子は大丈夫だよ。夢の中でボクに出口を教えてくれたいい子なんだ。だから、ティグレさんが見た魔王種とはちょっと違うよ。だからボクを降ろして、お願い」
「しかし……」
「お願い、ティグレさん。ボクを信じて」
「……わかりました。ですが、私の側を離れないでください、それが条件です」
「うん、ありがとうティグレさん」
ティグレさんは優しくボクを地面に降ろしてくれた。
ボクはしゃがんで黒ネコと視線を合わせ、手を差し出した。
「君はあの魔王種ってモノと似てるけど、違うよね。ボクは戦いが嫌なんだ。出来たら、あの黒い巨人の魔王種さんには元の場所に帰ってほしいんだけど、手伝ってくれるかな」
「……」
黒ネコはジッとボクを見つめたまま、動かない。
「あ、そうだ。ボクは山田 空太っていうんだ。君の名前はなんて言うの?」
「にゃー」
「そっか、生まれたばかりで名前がないんだね。だったらボクは名前を付けてもいい?」
「にゃ」
「うん、わかった。えっとね、元の世界で飼っていた子がねタマコって言うんだ。君はそのタマコに似てるから、タマコの名前をちょっと変えてコタマ。どうかな」
「……にゃあ」
「ありがとう、コタマ。よろしくね」
魔力感知の要領で黒ネコとなんとなく雰囲気で会話を続け、黒ネコは仕方がない、という感じではあるけれどコタマという名前を認めてくれた。
その時、コタマの頭の上の白い輪がピカッと光った。
何が起こったのだろうとボクが思っているとコタマがゆっくりと近づいてきて、ペロリとボクの頬を舐めた。
いつの間にかコタマに口が出来ていた。
口の端を三日月の様に吊り上げて、コタマは笑った。
「にゃはは、よろしくご主人」
「え、コタマ喋れるの?」
コタマが急に話し出した事にボクが驚いていると、ティグレさんが更に驚いた顔でなんだか変な動きをしだした。
「はぁあああああッ!? 精霊獣だったのアンタ!? ソラタ様に名付けてもらった事で魔力のラインが通って、契約が成立した!? 私だってまだソラタ様の熱い滾るような魔力を中に出してもらった事ないのにッ!! ずるい!! 私もソラタ様の欲しいッ!!」
「落ち着いて、ティグレさん。何を言ってるかよくわからないけど、言っておきたい事があるんだ。ボクはみんなを助けに行こうと思うんだ」
変な動きをしながら、コタマと取っ組み合いをしていたティグレさんがピタリと止まり、真面目な顔付きになってボクの顔を見た。
きっと、ティグレさんはボクを止めようとすると思う。
でも、ボクは――
「分かりました。ですが私もお供させていただきます」
「え?」
止められるものとばかり思っていたボクはティグレさんの言葉に驚いてしまった。




