58・王女と勇者
「あー、アロガンシアちゃんアロガンシアちゃん、ちょっといいでございますか?」
「魔王種が出現した件でも報告にきたか怠惰なる姉君」
「あら。やっぱり、アロガンシアちゃんにも分かってたでございますか。わたくしはちょっとソラタ殿に仕込んでいるアレとかソレでなんとなくの状況把握してたでございますが、空一面の魔術陣が展開される直前に計器類がぶっ飛んじゃったでございますよ。そのせいでノイズがひど過ぎて、端々の音声しか拾えなかったでございます。正確な状況はティグレ殿からもたらされた情報でなんとかって感じでございます」
「……ソラタに妙な物を仕込むでないぞ怠惰なる姉君。妾は世界序列一位、世界と繋がっておる以上、世界が揺れれば多少なり察する事くらいは造作もない。今回の魔王種は妾がこの世に産まれ落ちて初めて生じたモノ、規模としては小型といってもおかしくはなかろうが……」
豪華なソファーに横になりながら、アロガンシアはプラテリアテスタとヴルカノコルポの国境がある方向に目をやる。
その顔はなんとも複雑そうな表情をしていた。
「なんとも面妖な顔をしてるでございますねぇ、アロガンシアちゃん。ソラタ殿が心配なのは分かるでございますし、助けに行きたい気持ちも理解するでございますよ」
「フン、誰がソラタの心配なぞするものか。あやつは言ったぞ、自分の我がままな願いを、傲慢なる望みを叶える為に行くと、そして絶対に戦争を止めて帰ってくるとな。ならば妾はその帰りを待つ、ソラタの言葉を信じてな。友ゆえに、だ」
「アロガンシアちゃん友達いないでございますからねぇ、初めてのお友達が出来て嬉しいのは分かるでございますが、今は事が事でございますし、無理せず助力に向かっても良いと思うのでございます」
「よーし、怠惰なる姉君、一発ぶん殴るから動くでないぞ、動くと殴る」
「わー、超理不尽でございますー」
アロガンシアとトレイクハイトが騒いでいると、そこに侍従長補佐であるウルスブランがおどおどとした様子で部屋に入ってきた。
その手にはティーポットや軽食の乗ったトレーがあった。
「し、失礼いたします。騒がしくありましたので、何かあったのかと……。その、ノックをしてもご返事がなかったものですから」
「あぁ、ウルスブラン気にしないでいいでございます、姉妹同士のじゃれ合いでございますから。だから、アロガンシアちゃん、その拳をしまうでございます。ホント、マジで」
「そ、そうですか。……あ、あのアロガンシア様、トレイクハイト様、聞き耳を立てていた訳ではないのですが、その、ソラタ様に何かあったのでしょうか……」
ウルスブランの言葉にアロガンシアは少しだけ考えて、ため息をついた。
「侍従長補佐であるとは言え、一人の侍女にわざわざ教える必要もないが、うぬはソラタの世話係でもあるゆえ、教えても構わぬが、他言は無用であるぞ」
「は、はい、我が内に秘する事を誓います」
「そうさな、まずはこの空一面に広がる魔術陣はソラタの魔術である。もはや魔法の域に達していような。効果は強制完全修復、傷も痛みも消費した魔力すら強制的に修復、しかも他者への攻撃の為の魔力の収束を感知し霧散させるおまけ付きよ。攻撃の無効化をもってソラタは戦争を事実上止めてみせた。が、その後少々面倒事が起こってな、今はティグレがソラタを連れて、避難しているさなかであろう」
「ソラタ様がこの空をおおう魔術陣を作り、戦争止めたというのはにわかには信じがたい事ですが、アロガンシア様が仰られるのなら信じるほかありません。しかし、ティグレ様が付いておられるのに避難するしかないというのは一体……」
ウルスブランにとってティグレは上司であり、かなりの実力者という認識である。
ウルスブラン自身も大型魔獣を相手に負けない程度の実力を持っているが、ティグレはそのウルスブランすら手玉に取る程の戦闘能力を持っている。
そのティグレが、ソラタを守らねばならないとはいえ、逃げの一手というのが納得できなかった。
「あー、それに関しては相手が余りにも悪すぎるのでございます。仮にティグレ殿が完全獣化したとしても、恐らく手も足も出ずに終わるでございましょう。なにせ相手は魔王種でございますし」
「魔王種!? 国を滅ぼす狂獣、魔王に匹敵する大災害の権化ではありませんかッ!? それが現れたとと!?」
トレイクハイトの口から出た魔王種という言葉にウルスブランは慌てふためく。
魔王種、ひいては魔王種を産む魔王母胎樹の討伐は大地の国の為に必ず成さねばならない事ではあるが、実際に魔王種と戦った経験のあるも者は少ない。
口伝や記録水晶などで残っている情報から、たった一体で国を滅ぼすだの、チート能力者が数人束になっても敵わない、と言った話が伝わり、しまいには神ですら喰い殺すという話になっている。
大地の国に暮らす者の大半は魔王種こそ世界を滅ぼす七つの脅威の一つと考えているが、魔王種と魔王母胎樹は世界を滅ぼす七つの脅威には含まれていない。
「あまり大きな声を出すなウルスブラン。どこから話が漏れるかもわからぬからな。民に無用な恐れを抱かせてはならぬ。安心せよ、と言っても無理からぬことよな、だが勝算はあるのだ」
「勝算、ですか? あの魔王種を相手に?」
「ソラタの力ゆえに今は人的被害は出ておらぬが、これ程の規模の力の行使、いつ消えてもおかしくなかろう。ソラタは勇者ではあるが神ではないからな。無尽蔵に神域、冥域から魔力を引き出せると言っても限度はある。ソラタの力が尽きぬ果てぬ内に他の者共が間に合えば、魔王種の討伐も無理ではない」
「他の者とは、誰の事でしょうか? それに、あの、お言葉ですがアロガンシア様はソラタ様をお助けには行かれないのですか?」
「フン、怠惰なる姉君にも言ったがな、妾はソラタを待つと決めたのだ。ソラタの望みであった戦争を止めるという望み自体は既に叶っている。永遠に戦争を止めるというなら、人を滅ぼした方が早いがな」
アロガンシアはウルスブランの持つトレーからティーカップを取り、紅茶を注いでグイっと一気に飲み干した。
「ソラタの行った癒しの奇跡は戦争を止める為のモノ、今は結果として魔王種と戦う者たちの助けとなっている、つまりソラタは人々を守る為に博愛の力を振るっているという事だ。博愛の勇者がその力を正しく発揮しているのだ、ならば別の勇者がその力に引かれぬはずはなかろう」
大地の国と底の国の中間に位置する何処にも属さない地中の領域、そこに存在する巨大な大空洞クリミナル・パラダイスと呼ばれる犯罪者たちの楽園がその日壊滅した。
ただ一人の闖入者、正義の勇者ユクミチ・マッスグの手によって。
「なんだかよく分からないけれど、いきなり襲いかかって来るなんて良くないぞ!! あと、人間とか獣人とか魚人とか鳥人とか蟲人とか竜人とか精霊とか、奴隷として売り買いするのもおれはどうかと思う!! みんな解放したから自由にすればいいって言っても奴隷紋があるから無理って事だし、全員おれが主として契約するけど、いいかな!!」
「は、はい……それで結構ですので、どうかもうご勘弁を……殺さないで、金ならいくらでもある、女だって、頼むなんでもするから……」
地下の大空洞クリミナル・パラダイスの支配者にして裏の世界の重鎮として名を知られる巨大犯罪組織モネータ・サングイノーゾのボスであるディバン・コレーダッケは総勢千人を軽く越える手下や雇った凄腕の傭兵全員を叩きのめされ、切り札として繰り出した錬金術の禁術で生み出された合体魔獣オメガ・キマイラも一瞬で腹を見せて服従のポーズを取ったのを見て、全てを諦めざるを得なかった。
ディバンは目の前に立つ正義の勇者ユクミチ・マッスグに恐れおののき、失禁しながら命乞いをした。
「殺しなんかする訳ないだろう。金も女も必要ないよ、でも、なんでも……か」
「あ、あぁなんでもする、だから命だけは!!」
「じゃあ、プラテリアテスタに行きたいんだが、どっちの方角か分かる?」
「へ? あ、あっちの方角ですが……」
ディバンはプラテリアテスタの方角を振るえる指で大まかに指し示した。
「あっちか、うん、ありがとう。これからはまっとうに生きるんだぞ、じゃないと、またおれと会う事になるからな、じゃ!! あ、奴隷だったみんなをおれが世話になってるフォレスタピエーデまで送っておいてくれよな!!」
「は、はい、分かりました……」
マッスグは指し示された方角に向かって走り出す。
目の前にある壁を拳で砕き、地上まで一気に掘り抜いて、夜空一面い広がる魔術陣を目にする。
「おーすっげぇなッ!! この感じは博愛の権能か!! ん? それにこれは強敵の気配だな!! 正義の権能が疼くぞ!! あっちの方角だな、いっくぞーーー!!」
正義の勇者ユクミチ・マッスグはプラテリアテスタとヴルカノコルポの国境がある大河ポワ・ディ・フルーヴへ向かって、全速力で、音すら置き去りにして走り出した。




