57・騎士団と避難
プラテリアテスタ騎士団団長ウィルフレッドは港町マッスールが目で見える距離まで来た辺りで、異常な光景を目にする事になった。
対岸にある港町ニックリーンの上空で大爆発が起き、空を一瞬赤く染め上げたのだ。
ただでさえ、空一面に広がる恐ろしく巨大な魔術陣に困惑していた所に、戦闘行為としか思えない巨大な魔力の波動を肌で感じ、何が起こったのかを考えていると次は巨大な拳に見える炎の塊が何かを攻撃し、爆炎と共に先程以上の爆発を起こす。
大河を隔てた場所であるというのに、ズンと重く響く爆発音と衝撃、そしてわずかな炎の熱を感じた。
ヴルカノコルポがチート能力者を連れてきているという情報はすでに手に入れていたが、これ程の事が出来るのかとウィルフレッドは身震いする。
そこでようやく、ヴルカノコルポは何と戦っているかという事に思い至った。
「まさか、マチョリヌス国王陛下はすでに国境を越えて!?」
空に広がるソラタの癒しの魔術陣の効果で生半可は攻撃は瞬時に回復され、戦闘行為は無意味な物になっている事をまだウィルフレッドは気づいていない。
ソラタを救う為に国境を越えてヴルカノコルポ兵、恐らくチート能力者の誰かと戦っているのだと、ウィルフレッドは判断した。
「クッ、王自らが戦線を開いたのならば、我らも続くのみ!! ラージュ様へ伝達、ヴルカノコルポとの戦線は開かれた、我らも王に続くと!!」
「ハッ、ただちにっ!!」
その時、ニックリーンの上空で幾十もの魔術陣が一瞬で展開された。
複数の魔術陣を同時に操るのは魔術師の中でも相当な技量のある者だけにしかできない。
絶位と呼ばれる魔術師のトップクラスの者たちでさえ同時に扱える魔術の数は十を越えれば天才や賢者と呼ばれる程である。
今、ニックリーンの上空で展開されている魔術陣の数はそれを軽く越えていた。
そんな事が可能な人物をウィルフレッドは一人知っている。
「大賢者……、まさかこれ程とは……」
更に、魔術陣から放たれた魔術は様々な属性魔術である事が見てとれた。
通常、魔術師には得意属性というものがある。
得意な属性魔術は威力、精度も高くなる傾向があり、大抵の者は一属性、四属性を越える属性魔術が使える魔術師は稀と言われている。
大地の国においても四属性を越える属性魔術が使え、更に異なる属性魔術を複数同時に扱うなど、片手で数えられる程度しか存在しない。
大賢者は明らかにそれらを遥かに凌駕している。
ガチャガチャとうるさい鎧の音に気付き、ウィルフレッドは自分が震えている事を自覚した。
恐れにも似た感情に支配されそうになっている事に、ウィルフレッドは歯噛みする。
放たれた属性魔術が一か所に集中し、何色とも分からぬ色んな色が混ざり合った混沌めいた色の爆発を巻き起こす。
その直後、今まで見た事もない規模の巨大な魔術陣が夜空に広がる。
空一面に広がる魔術陣と比べれば、小さなモノとして映るが、大河を挟んだこの位置から見ても魔術陣の中に書き込まれた魔術式がはっきりと見る事が出来る程なのだから、その巨大さは異常というには十分であった。
「……」
想像を絶する光景の連続で、ウィルフレッドを含めた精鋭の騎士団員たちも絶句する他なかった。
チート能力者のすさまじさは話には聞いていた。
だが、個人ならまだしも部隊を組んで戦うのならば、まだ手の届く範囲の存在だと、どこかで思っていた。
しかし、眼前に広がる光景がそんな妄想を叩き壊し、現実のチート能力者のすさまじさをまざまざと見せつけてくる。
十年、二十年と研鑽を続け、時には血反吐を吐く思いで厳しい訓練に耐え、鍛え練り上げてきた力が人生が、何の価値もない物だったと思い知らされた。
一人の騎士団員がボソリと呟く。
「なんなんだよ、これ……。あんなバケモノ相手に勝てる訳がないじゃないか……」
本来ならばウィルフレッドは騎士団長という立場上、そんな言葉は否定せねばならない。
否定せねばならないのだが、その言葉は今この場にいる全員が胸に抱く共通の思いでもあった。
信念はへし折れ、戦意も地に落ちた。
直接戦いすらしていないのに、ただその力を見ただけで絶望に支配されてしまった。
(どうする……この状況で私たちに何か出来る事などあるのだろうか……)
士気などもはや無いに等しい状態、マチョリヌスに追随するなど出来ようはずもなく。
むしろ、あのような人智を遥かに超えたチート能力者の力の前では既にマチョリヌスは死んだのではないかとすら思えた。
ウィルフレッドは不安や絶望を振り払うようにブンブンと首を振り、視線を港町マッスールに向ける。
「住民の避難は完了していると聞いている。まずはマッスールの先遣隊と合流、編成を整え次第、マチョリヌス王の援護に向かう」
絶望に打ちひしがれている部下に向かって指示を出す。
「チート能力者が相手とはいえ、レガリア・オブ・プラテリアを持つマチョリヌス王が容易く敗れるはずもない。我らは栄えあるプラテリアテスタ騎士団、その精鋭。戦う前に心を折ってどうする!!」
自分に言い聞かせるようにウィルフレッドは部下を鼓舞する。
しかし、部下の顔は暗い。
チート能力者と自分の実力差を遠目で見ただけで分かってしまった。
心を落ち着けるには時間が必要だが、今の状況でそれを許せるほどの余裕などない。
士気が上がる様な何かがなければ、戦闘すら難しいだろう。
その時、対岸に業火をまとった竜巻が現れた。
大賢者の魔術が発動した様子はない、つまりあの竜巻は大賢者以外の誰かの魔術であるという事。
大賢者以外であれほどの竜巻を生み出せるのはそう多くはいない。
「あの竜巻はマチョリヌス王の……まだ戦っておられるのか……」
グッと拳を握り、ウィルフレッドは声を張り上げる。
「あの竜巻を見よ!! 我らが王は敵地の中、チート能力者たちと戦っておられる!! まだ、戦いは続いているのだ!! 顔を上げ前を向け、我らの行く先に王がいらっしゃるぞ!!」
マチョリヌスの竜巻を見て、ウィルフレッドを始め騎士団の精鋭たちが拳を突き上げて叫び声を上げる。
ウィルフレッドは部下の様子を見て、その勢いのまま港町マッスールへと急いだ。
マッスールに入ったウィルフレッドを出迎えたのは先遣隊としてこの町に派遣されていた魚人ギョナルド・ギョギョンであった。
「ウィルフレッド騎士団長、まさか貴方が先頭に立ってここまで来られるとは思いもしなかったギョ。いや、今はそれよりもお伝えせねばならぬ事がありますギョ、ラージュ様には先程通信を入れたのですが、今現在マッスールは多少混乱しておりますギョ」
「どういう事だギョナルド? 我らは急ぎ王の援護に向かわねばならぬ」
「は、マチョリヌス国王陛下が少し前にこのマッスールを真っすぐ通過し、対岸まで向かいましたギョ。先遣隊である我ら魚人隊もそれに続くべく、後を追ったのですギョ。マッスールの防衛にはマチョモス辺境伯の私軍とこの町の自警団と雇い入れた傭兵に任せましたが、先程の爆発を合図にしたかの如く、傭兵の中に紛れていたヴルカノコルポの兵が暴れ始めたのですギョ」
「なんと、ならばまずそのヴルカノコルポ兵を抑えねば!!」
「いえ、それは解決したといいますか、今現在、戦闘行為は無意味な物となっておりますギョ」
「それは一体どういう――」
ウィルフレッドとギョナルドが会話をしていると、先程とは比べ物にならないほどの大爆発が起きた。
爆発の衝撃で空の雲が消し飛び、地響きを伴った地震にも似た振動が襲い来る。
町に張っている防御結界に小規模の津波がぶつかって弾け散る。
「な、なんだこれは!? ギョナルド、すまぬが私はマチョリヌス王の元に向かう!! 話は後で聞こう!! 急ぎ船の準備を、すぐにニックリーンにッ!!」
焦るウィルフレッドが港へと進もうとした時、彼を止める声があった。
「ウィルフレッド騎士団長、お待ちを。対岸のニックリーンはもはや魔境とかしています。序列も権能も加護も無い者は近寄るだけで容易く命を落とします。今はこの地から離れる事だけをお考え下さい」
「ザラントネッロ侍従長、無事だったか!? アロガンシア王女殿下に勇者殿ごと殴り飛ばされたと聞いてはいたが――、その姿は獣化したのか!? そういえば、ニックリーンに大賢者ありとの報告をしたのは貴女だったな。しかし、今の言葉は……ん?」
ウィルフレッドはティグレが胸に抱く人物に気付く。
その人物は目をつぶり、眠っているように見える。
「勇者殿!? 勇者殿に何が!?」
「魔王種が現れました。今はマチョリヌス国王陛下とヴルカノコルポ王、それにグレイトリニティの二人と大賢者が応戦しています。ソラタ様の癒しの魔術が空にある内に早く、出来るだけ遠くに避難を。ラージュ様への連絡後に王都へも通信を致しました。早く離れなければ、巻き込まれてしまいます」
「魔王種ッ!? そんな、ここ十年間近く出現報告はなかったというのに、まさか……。いや、貴女は冗談を言うような人でないな。聞きたい事は多くあるが、今は全部隊に通達を、民間人の避難を優先し、全力で撤退せよ!!」
ウィルフレッドの号令を受けて、騎士団員たちが動きだす。
今現在、マッスールに居る民間人は多くはないが、商人を始め自警団や町長であるシストなど傭兵を含めて百人以上はまだ残っていた。
大賢者の作った道を通り、対岸からやってきたティグレの報告により、マッスールはすでに避難準備に入っている。
徐々に避難が進む中で、対岸のニックリーンの上空に巨大な球形の立体魔術陣が現れた。
もはや、魔王種とチート能力者級の者たちの戦いは人智を越えた領域に達している。
その戦いに割って入る事など出来ないティグレはいまだ目覚めないソラタを抱きしめて、マチョリヌス王の無事を祈るしかなかった。




