51・奇跡と終結
異変にはすぐに気づいた。
切られたはずの傷が、切ったはずの傷が瞬時に癒えて消え失せた。
自分だけかと思ったがそれは違っていた。
敵も味方も関係なく、周辺にいる誰もが傷付かないし傷付けられなかった。
それはきっと空一面に広がっているこの恐ろしく巨大な魔術陣が関係しているのは誰も目にも明らかだった。
攻撃に意味がなくなったならばと、相手の動きを封じる魔導具や魔術を使用した者もいたが、魔導具は起動すらせず、魔術陣は描いたそばから霧散した。
縄や自分の腕などで、力ずくでどうにか相手を捕らえようとした者はそれを行おうとした瞬間、ガクリと地面に膝をつき、立つ事もままならないようだった。
どうにも敵意や殺意を伴う行動は全て、無力化されているらしい。
何をしても傷を負わない、相手を拘束する事すら出来なくなった以上、お互いに戦い殺し合う必要がなくなり、自然とレジスタンスもヴルカノコルポの鎮圧軍も兵を引くしかなかった。
それはレジスタンスを相手に暴虐の限りを尽くす魔物の群れも同様であった。
ヴルカノコルポが持つ三人のチート能力者、グレイトリニティの一人である淫蕩蠱惑エクスタシス・メディシーナの篭絡した多種多様な魔物たちも誰も傷付ける事が出来なくなっていた。
「どういう事なの……魔物たちが私の言う事を聞かなくなった? 違う、これはもっと別の上位命令が上書きされてる? 使役、隷属、支配のチート能力者である私の能力を上回るですって……。有り得ないでしょ、そんなの……」
大型のドラゴンの背中でエクスタシスは目の前の光景に驚き、茫然とした。
空一面に広がった魔術陣、これの影響なのは分かるが、規模が大きすぎてどんな魔術かすら分からない。
混乱にも似た思いがエクスタシスの頭を支配する。
エクスタシスは胸の谷間から一枚のお札を取り出し、額にくっつけた。
「リベリオン委員長、何が起こってるの!? これも反逆推進委員会の仕業!? 聞いてないわよ、私は!?」
『グッドイブニーング、エクシタシスちゃん。こんな事はワタシたちには決して出来ないデース。特化型のチート能力者でもおいそれとは出来ないでショー。規模としてはヴルカノコルポとプラテリアテスタ全域って所ですネー。まさに神の奇跡と言っていい規模の大魔術、いえいえ、これはもはや魔法と言っても差し支えないでしょうネー。原因は目下調査中ですガー、たぶん新たに勇者としてこの世界にきた子の仕業だとワタシは考えてマース。ヴルカノコルポ王も神の卵として目覚めてしまったようですシー、これではちょっと大変な事が起きちゃいますネー』
「新たな勇者ってプラテリアテスタが召喚したっていう博愛の? 博愛の権能でこんな事が出来るって言うの? それに神の卵? 大変な事ってどういう事よ、説明してちょうだい!!」
『ハッハッハー、エクスタシスちゃんは知りたがりデース。とりあえず、エクシタシスちゃんにはすぐには影響はでないはずデース。なにせ、ニックリーンの港町にチート能力者が三人と神の卵たるヴルカノコルポ王、そして、博愛の勇者が居る事が確認されてマース。チート能力者級の存在が複数、しかもプラテリアテスタ王とプラテリアテスタ女王までその場へ向かっていますシー。何か起こるとしたらその周辺なのは確定的。下手をしたら、いえいえ、ほぼ確実にニックリーンを含む国境線付近は壊滅してしまうでショー』
「世界が排除しに、魔王種が来るって事ですか……?」
『その通りデース。反逆推進委員の諜報ニンジャ君たちには可能な限り離れる様には伝えてますガー、間に合うかどうかですネー。ではでは、エクスタシスちゃん、そろそろグッバイの時間デース。ワタシも早くドロンしないとデース。ハッハッハー、ハヴァナイスデーイ!!』
「ちょ、リベリオン委員長ッ!? あーもー、どいつもこいつも自分勝手なんだから!! 憂さ晴らしも出来ないんじゃストレス溜まるだけじゃないですか!!」
うんともすんとも言わなくなったお札に八つ当たりをしつつ、エクスタシスは深呼吸をした。
「リベリオン委員長の言葉がホントかなんて確かめる必要はない、あの人が言う事はだいたい当たる。どんな能力かは知らないけど、あの人が私にいちいち嘘を言う必要もないし。魔王種が出たら、チート能力者はただじゃすまないって事なら、私は豚王の所には戻らない方が良いに決まってるけど……」
明らかな異変が起きている状況でヴルカノコルポの最大戦力の一人である自分が国王の元に戻らないのは不味い。
かと言って、すでにチート能力者級の人物が複数存在している港町ニックリーンに行けば、現れるであろう魔王種と戦わざるを得なくなる。
リベリオン委員長いわく、チート能力者の天敵たる魔王種と。
手なずけている魔物や魔獣たちは戦闘系チート能力者と比べると、あまりにも弱い。
一般的な人間にしてみれば、村や町、都市すら壊滅できる戦力足り得る存在かもしれないが、チート能力者の天敵などと言われたら、今自分が持っている戦力でどこまで対応できるだろうか。
自分自身の戦闘力はほぼ皆無に等しい、自分のチート能力が魔王種に効くかどうかなどやってみないと分からない。
相手が魔獣の類であるならば懐柔出来る自身はあるが、失敗した場合は確実に死ぬだろう。
ならば、とエクスタシスは考え、結論を出した。
「王都の財宝かっぱらって逃げよう」
エクスタシスは逃げる事にした。
命あっての物種である。
エクスタシスは騎乗しているドラゴンに指示を出し、一路ヴルカノコルポの王都へと向かうのだった。
ヴルカノコルポ、プラテリアテスタ全域で発現したソラタの『奇跡』の影響はもちろん港町ニックリーンにも現れていた。
ソラタを守ろうとしたティグレに対し、凄まじい熱量の火球を放ったヴルカノコルポ王だったが、その結果に呆然とするしかなかった。
ティグレには火傷も傷もなく、それどころか周囲に火球がティグレに激突し爆ぜた影響すらなかったからだ。
ヴルカノコルポ王はティグレが何かしたのかと最初に疑ったが、当のティグレ本人すら驚いている様子を見てその疑いは消えた。
ならば、答えは一つしかない。
世界に比肩しうる力を振るおうとしていた少年、博愛の勇者。
空一面を魔術陣の画布としたその力ならば、この程度の事は造作もないだろうとヴルカノコルポ王は感嘆の念を覚えるしかなかった。
しかし、当の博愛の勇者本人は今現在、体を横にした状態で宙に浮いていた。
見た所、意識が無く眠っているようにも見えた。
「これは……彼の者、博愛の勇者の御業か……」
そう呟くヴルカノコルポ王は自身の身を癒すぬくもりを感じていた。
このぬくもりは夢の中で感じた物と同じだった。
ティグレを魔術で拘束していた大賢者ライトニングは、ティグレを拘束している魔術が自分の意思とは関係なく霧散していくのを見ていた。
(ガチガチに構築したはずなんですけどねぇ。ここまでの物を仕上げるなんて、とんでもないの一言しかでない訳ですよ……)
霧散していく拘束魔術を見て、ティグレは無理矢理に拘束魔術を引きちぎった。
その際に多少、腕や足に傷を負ったが、次の瞬間には癒えていた。
そして、自由になったティグレはすぐさまソラタに駆け寄った。
「ソラタ様ッ!!」
涙目になりながらティグレは宙に浮くソラタの手を掴み、自分の胸元へと抱き寄せた。
ソラタの意識は戻っていないが、その体はほのかに光を放っている。
「あー、王様? こんな状況の時に申し訳ない訳なんですが、アレどうします?」
後ろ頭をポリポリと掻くライトニングが指さした方向、川の対岸に誰かいるのが見えた。
ヴルカノコルポ王はその人物を見て、フンと鼻を鳴らす。
「構わぬ、今の状況では戦争はもとより殴り合いすら出来ぬであろう。それに博愛の勇者について話がしたい所だった。何もせずとも良い、奴ならばこの程度の川、容易く渡って来るであろう」
川の対岸、マスールの港町を一直線に駆け抜けて、川へと突き進む人物はマチョリヌス・イリガリウス・トレ・プラテリアテスタ、プラテリアテスタ国の二十三代目国王であった。




