47・ヴルカノコルポ王とヴルカノ
違和感、というにはそれはあまりにも大きな変化であった。
それはヴルカノコルポの戦勝祈願を兼ねた前祝の宴会中に起きた。
しこたま酒を飲み、はべらせた美女に囲まれてうたた寝をしていたヴルカノコルポ王の衣服に一人の侍女が誤って酒をこぼしてしまった。
衣服が酒で濡れたのに気づいたのか、ヴルカノコルポ王がむくりと体を起こした。
酒をこぼした侍女は顔面蒼白となり、すぐさま土下座し血がにじむ程に頭を地面にこすりつけ謝罪した。
周囲にいた将兵たちは可哀想だがあの侍従は烈火の如く怒り狂ったヴルカノコルポ王に殺されてしまうだろうと、この後に起こる惨劇を思い一瞬だけ顔をしかめ、すぐに酒をこぼした侍女を叱責し始める。
侍女を庇えば、ヴルカノコルポ王の怒りの矛先は自分に向かうのは明らかで、侍女の為に己の命を投げ打つ者は誰一人としていなかった。
侍女の命乞いにも似た謝罪の声と彼女を叱責、罵倒する将兵の声が宴会場である大きく豪勢な幕舎に響く。
「よい、構わぬ、下がるがよい。誰ぞ、替えの衣を持て」
ヴルカノコルポ王の言葉にその場に居た全員が声を失った。
常のヴルカノコルポ王ならば激昂し即刻侍女の首を刎ねさせていたはずだった。
そして、それを称賛しない者も何らかの罰が与えられていただろう。
護衛として宴会に参加していたグレイトリニティのミスター・ブレットとヌゥーリもまた驚愕していた。
他の将兵よりも更に近くからヴルカノコルポ王を見ていた二人からしてみれば、絶対に有り得ないと断言できる言葉だった。
まさに人が変わったとしか思えないヴルカノコルポ王に二人は何らかの洗脳魔術にでもかかったのではないかと疑った。
多数の将兵、更にチート能力者二名がいる宴会場でそんな芸当が出来る者がいるとは思えなかった。
ただ一人を除いて。
「よもや、大賢者の仕業か……」
ミスター・ブレットの言葉にヌゥーリは首を振る。
「いやぁ、ありえないよ~。このテントの外をおいらの絶対障壁で囲ってるからねぇ。外からは絶対に、どんな手を使ったとしても中に干渉は出来ないし、出来たとしてもおいらが気づかないなんてありえないねぇ~」
ミスター・ブレットは配下の者を呼び、大賢者の様子を探るよう命じた。
ヴルカノコルポ王の言葉に絶句していた将兵たちがその変化に戸惑い、ざわつき始めたの見てミスター・ブレットは重く低い声で言い放つ。
「静まれい、王の御前であるぞ。ヴルカノコルポ兵は狼狽える事などしてはならん。無様を晒すなど恥と知れ」
ミスター・ブレットの言葉に圧倒され、その場に居た将兵、侍女の全員が口をつぐんだ。
宴会場をジロリと見回した後、ミスター・ブレットとヌゥーリの二人はヴルカノコルポ王の前へと進み出て、片膝をついた。
「我が王よ、僭越ながら進言のお許しを」
「うむ、申せ」
「はッ。我が王よ、ヴルカノコルポの偉大なる王よ、常に燃え滾るような怒りを身に宿したヴルカノの化身たるその姿はヴルカノコルポの将兵を奮い立たせてきました。なれど、今の王から、その身からほとばしる程の怒りが熱がありませぬ。その理由をどうかお教えいただきたく」
「我が身の怒りが失せたと、そう言うかブレットよ。ワシの内よりヴルカノの火が消えたと」
「……お言葉ながら、以前の王ならば我が言葉など意に介する事なく戯言と一笑に付したかと」
「確かに、眠りにつく前に感じておった身の内より湧き出でる怒りの熱が今は冷めておる。我が身よりヴルカノが去ったというのなら、なるほど合点もいくというものよ」
「王よ、何があったのです!? そのような熱のこもらぬお言葉は王の物とは思えませぬ!!」
明らかにいつもと違う調子のヴルカノコルポ王を見て、ミスター・ブレットの語気が荒くなる。
ヌゥーリがミスター・ブレットを手で制し、落ちく様に促す。
「まぁまぁ~、深呼吸でもして心を静めなよ~。しかしながら王様ぁ、ブレットの心がざわつくのも致し方ないかと~、それほどに王様はお変わりになられておりますのでぇ」
ヌゥーリの言葉にヴルカノコルポ王は目をつむり、長く息を吐いた。
いつもの怒りの熱は確かに感じないが、重々しい圧が場を支配し始めているのをグレイトリニティの二人を始め、他の将兵たちも感じていた。。
だが、その圧は重々しくはあったが不快なものではない。
「夢を見た」
ヴルカノコルポ王が一言声を発する度にその圧は増していく。
「夢の中で、ワシは我が身に宿りしヴルカノの嘆きを知った」
この圧は人が放つモノとは到底思えない程に強く。
「我らが始祖たるヴルカノの子を思う愛を知った」
体が押し潰されそうな程の圧でありながら、どこか心は踊っている。
「ワシが愚かにも、ただ全てを奪い、ただ全て滅ぼすだけの物と思うていたヴルカノの火は、子孫を思う心より生まれた物であると知った」
思えばこの圧には悪意がなく敵意がなく殺意がない。
これは、ただそこにあるだけで放たれている人外の気。
ヴルカノコルポ王より放たれる神如き気であった。
あちらこちらからすすり泣く声があがる。
「我が魂に宿りしヴルカノの火は、我が心を守る為に常に怒りの火と熱を以て、万難を排すべく力を授けておられた。ワシはそれを心で魂で知った」
怒りの感情に支配され、欲望の赴くままに生きていたかつてのヴルカノコルポ王はもはや存在しない。
「ワシはワシの我欲ではなく、我らが子孫を愛しておられたヴルカノの火を世界に示さねばならない」
自然と将兵や侍女たちがひざまずく。
そして偉大な存在を前に滂沱の涙を流しながら歓喜の声をあげる。
それはグレイトリニティの二人すら例外ではなかった。
どこか、愚王であるとは思っていても、自分達の力にしか興味がなかったとしても、それでもこの世界に召喚され、あるいは転生しその有り余る力で自らを破滅させかねなかった状況で、手を差し伸べてくれたのはヴルカノコルポ王だった事は間違いはないのだ。
「ゆえに、ワシは過去から続く因縁ではなく、我欲から来る執着でもなく、ただ世界を救う為に勇者を手に入れる。もはやプラテリアテスタに恨みなどない。なれど、ヴルカノの火こそが世界を救うのだと世界に示さねばならぬ」
ヴルカノコルポ王から放たれる気が人から神のそれへと昇華されていく。
人でありながら神へと通じたヴルカノコルポ王は人という枠を超えたのだ。
「今まさにワシはヴルカノの火と合一した。これより為すは世界の統一。ヴルカノの火が世界を照らす、世界を脅かす魔王種を産む魔王母胎樹も世界を滅ぼす七つの脅威も我らが始祖、ヴルカノの火の元に全て滅ぼし尽くすッ!!」
神気を含んだその声にグレイトリニティを始めとしたヴルカノコルポの将兵や侍女たちは心からの歓声をあげる。
外に繋がれていた魔獣たちすらヴルカノコルポ王にひれ伏した。
ヴルカノコルポ王の放つ神気は周辺一帯へと怒涛の如く広がっていく。
人として有り得ない、桁違いの気、魔力は神の一柱に匹敵する程に膨れ上がる。
それはヴルカノコルポ王がチート能力者にすら勝る程の力を手にした事と同義であった。
そして、一匹の獣が底の闇より浮かび上がる。
その姿は小さなネコに似ていた。
目も口も鼻も何もない真っ暗な闇が形を成したような、全てを吸い込む黒そのものの獣。
魔王母胎樹が産むその獣を人々は魔王に匹敵する力を持つ怪物、魔王種と呼び恐れた。




