46・異邦の少年と時間
気が付くと世界に色と音が戻っていた。
ティグレさんはボクの様子が妙な事に気づいて声をかけてくれた。
「ソラタ様、どうかいたしましたか?」
「えっと、ティグレさんボクはどのくらい黙り込んでたか分かる?」
「私がヴルカノコルポ王の事を話した後、ソラタ様がとても怖そうだとお返事なされてからまだ数分ほどですので、どのくらい黙り込んでいたかと聞かれても少々困ってしまいます」
もっと長い時間、あの火の玉、ヴルカノさんとお話ししてた気がしていたのだけれど、心だけの世界だと時間の流れが違うのだろうか、絶界聖域みたいに。
大きな象みたいな魔獣ギリメカラの上の方に眼を向けてみると、さっきまで感じていた大きな怒りの感情がとても小さくなっているのに気づいた。
心の世界でボクは最後にヴルカノさんと握手が出来た気がする。
ヴルカノさんが宿っていた人、ヴルカノコルポの王様とも話し合いが出来れば、分かりあえるかもしれない。
その為にも、話し合える状況を作らなきゃ。
戦う事が不可能な状況になれば、きっと話し合いで解決できるはずなんだ。
「やぁやぁ、いい感じに出来てるようで何よりですよ。いやぁ、出来の良い教え子を持つと先生としては嬉しい訳ですよ」
「ソラタ様の先生は私だけでいいのに……」
突然現れたライトニングさんをティグレさんが歯をギシギシと鳴らしながら、物凄い顔で睨みつけた。
「ティグレさん、いつもの綺麗な顔がなんだか凄い顔になっててちょっと、怖いです……」
「ガーンッ!! ソラタ様に嫌われたッ、もう生きていく意味を失いましたッ、不出来な先生をお許しくださいッ!! でも綺麗って言われたのは凄く嬉しいペロりたいッ!!」
ショックを受けた顔になったと思ったら満面の笑みを浮かべるティグレさんはとても忙しそうだった。
いつもの綺麗な顔の方が素敵とは思うけど、ティグレさんはティグレさんのままで良いなと思った。
「ライトニンングさん、大丈夫なんですか? ボクたちの所に来て」
「あぁ、いいのいいの。桟橋の先で魔術陣展開してるのが本人だから。オレは幻影な訳ですよ。一応、坊やとお姉さんに教えておこうと思ってねー。一応、ヴルカノコルポ王にあっちまでの道を作るのに明後日の朝までかかるって適当に言っておいたから、それまでに何とかしてほしい訳ですよ。無理なら逃げる程度の時間はありますし? まぁ、上手くやってほしい訳ですよオレとしてはね。それほど期待はしてないけれど、頑張ってねー」
そういうと、ライトニングさんの幻影は煙の様にフワリと消えていった。
「明後日の朝……、大賢者であればそれまでに対岸への道を作れるという事なのでしょうが、それまではヴルカノコルポも動かないという事ならば、ここから脱出し対岸に移動する事も可能でしょう。なにより、先程の大賢者の言葉でヴルカノコルポ王自身がここにいるという事は確定のようですし」
「ああ、そうだ」
「ひゃわっ!!」
いきなりライトニングさんの顔だけが目の前に現れ、ティグレさんが驚いてビクッっとしてしまった。
ティグレさんに生えたままの獣の耳と尻尾の毛が逆立っている。
「フーーーッ!! いきなり何なんですかッ!! 」
「まぁまぁ、お姉さん。落ち着いて欲しい訳ですよ、魔術でプラテリアテスタに情報送るのはお勧めできない訳ですよ」
「何故ですか、どんな経緯であれ手に入れた情報は無駄には出来ません」
「まぁそうなんですけどねー。今ね、オレも見張られてる訳ですよ。グレイトリニティにね。そこに何らかの魔術が対岸に向かって飛んで行ったってなると、それをオレが見逃す訳にもいかなくてですね。そうなると、魔術の出どころが問題になる訳ですよ。オレも戦争が止まるのは賛成ですが、自分の命をかけてまで坊や達に味方する事は出来ないって事ですよ。それじゃ、そういう事で」
フッとライトニングさんの顔が消える。
グヌヌと唸りながらティグレさんが構築していた魔術陣を消す。
「私とて、腕に自信はありますが大賢者を始め、ヴルカノコルポのグレイトリティ二人を相手にするのは無謀。まして、ソラタ様をお守りしながらでは我が身を犠牲にしたとて時間稼ぎにもならないでしょう。不甲斐ないばかりで、申し訳ありませんソラタ様」
ボクに頭を下げるティグレさんに生えている獣の耳はペタリと伏せて、尻尾も力なくだらりと垂れさがり、心なしかしょんぼりとしている様に見える。
ボクはティグレさんの頭を優しく撫でた。
「そんな事ないよ、ティグレさん。元はと言えばボクが無理を言ったせいなんだし、ティグレさんのおかげでボクは魔術の凄さを教えてもらったよ。それに、ボクの為にティグレさんが犠牲になるのは絶対ダメ。誰かが犠牲になってボクが助かるなんてボクは嫌だよ。どうせならみんな助かる道を探さなきゃ、諦めたら何にもできなくなっちゃう」
「ソラタ様……かしこまりました。私もソラタ様と共に、皆が助かる道を模索致しましょう。私に出来る事があれば、なんなりと。あともう少し撫でてください、強めにしていただけるとなお良しです」
ティグレさんがゴロゴロと喉を鳴らし、尻尾をピンと立てている。
こちらの世界に来る前、飼いネコのタマコを撫でている時によくゴロゴロと喉を鳴らしていたのを思い出す。
「なんだか、ティグレさんってネコさんみたいだね」
「ネコ、ですか? かつて召喚されたチート能力者や勇者の中にネコという動物を好んでいた者が居たと何かの書物で読みました。たしか異世界の小型の動物でしたか。それに似ていると言われましても、見た事が無いので何とも」
「えっとね、ネコはね、とっても可愛いの。気まぐれで気分屋なんだけど、撫でてあげたりするとゴロゴロ喉をならして喜ぶんだ。ネコ飼ってたし、ボクはネコ大好きなんだ」
「つまり私も大好きという事でよろしいですか、よろしいですね、よろしいです、よろしくお願いします」
ティグレさんの事は大好きだけれど、なんだか妙な言葉づかいをするなと思った。
ティグレさんが落ち着いた所で、改めてティグレさんと相談する事にした。
時間が明後日の朝までは有るが、今は日が沈みかけている夕暮れだから実際には二日も時間はない。
一日とちょっとの時間でボクの癒しの魔術が戦争が起きる範囲全体を広げられるのかという不安はあるし、誰かに見つかって捕まってしまう可能性だってある。
ただ、安全な場所まで離れてから癒しの魔術を組み立てるとなると時間が足りなくなる可能性も出てくる。
ここまで複雑な魔術なんて初めて使うのだから、どこまでやればいいという正解が分からない。
ライトニングさんに聞いてみれば分かるのかもしれないけれど、今はうかつに動かない方が良いと思う。
ボクとティグレさんはライトニングさんの魔術のおかげでヴルカノコルポの人たちには見えていないようだけれど、何かを探っている人がいる感じがする。
たぶん、強い魔術を使ってしまったらすぐに居場所がばれてしまうだろう。
今組み立てている魔術陣は五つの魔術陣を組み合わせて一つにしているから、壊すにしても強い魔力が発生してしまう、もう壊す事はできないのだ。
「ボクはこのまま、ここに残って癒しの魔術陣を組み立てるよ。これじゃあまだダメかもしれないから、もっと工夫もしたいし、無理に動いて見つかったら元も子もないから」
「私としては、敵の腹の中も同じであるこの場に残る事はお勧めできませんが、うかつに動いて察知されるのは避けたいのも事実です。感知系の魔術でこちらの間諜がいないかを探っているようですし、ソラタ様の言うように今は静かに耐え忍ぶしかないようです」
それに、とティグレさんは言葉を続ける。
ボクが宮殿からここまで飛んだ事は軍隊を指揮するラージュさんや王様の耳にもう入っているはずで、すぐに救助の為の部隊を送り込むだろうと。
そして、もしボクの魔術が失敗した時の事も考えて、対岸へ渡る方法と救助の部隊とすぐに合流できる準備もしておくべきだと。
時間は止まらずに過ぎていく。
だんだんと人の魔力の圧が大きくなっていき、戦争が始まる気配が濃ゆくなるのをヒシヒシと感じる。
止めてみせる、絶対に誰も傷つかせない。
ボクがどんな事になったとしても。




