45・異邦の少年と火
大賢者と呼ばれるライトニングさんが桟橋の上で描いた数多くの魔術陣、それを自由に動かして組み合わせ、新しい魔術陣を作り出しているのを見て、ボクはまるでパズルのようだと思った。
魔術陣同士を組み合わせる事で更に大きな魔術陣になる。
魔術陣はそれ自体で完成しているけれど、部品としても使える事を知った。
今、ボクは五つの魔術陣を作ったままにしている。
魔術陣自体を魔力操作の要領で自由に動かせるかを試し、ライトニングさん程の速さは無理だったけれど、ゆっくりとなら動かす事が出来た。
これなら、五つの魔術陣を一つにまとめて、より凄い魔術が使えるかもしれない。
ライトニングさんが言っていた、チャンスは一度だけだろうって。
ボクの癒しの魔術はボク自身が思っているよりもずっと強力らしく、これからやろうとしている広範囲の癒しの魔術は消費する魔力量からして呪文を唱えて起動してもすぐには効果は現れないのだそうだ。
絶界聖域では空気中に含まれている高い自然魔力が魔術の発動を補助してくれていたから、すぐに効果がでただけで、大気中の魔力が比較的低い大地の国側では強力な魔術はそれだけ手間と暇がかかるそうだ。
ライトニングさんの場合は持っているチート能力のおかげで、強力な魔術も手間暇かけずに使えるらしい。
もし、ボクが魔術に失敗してしまった場合、魔術陣の消失と共に放出される魔力の残りカスが大量にでてしまい場所がすぐにバレて、捕まってしまう可能性があるともライトニングさんが教えてくれた。
ライトニングさんの魔術で周りの人に気づかれなくなっている間に、ちゃんとした魔術陣をより強力にしなければならない。
誰も傷付けずに戦争を止める、子供の夢のような、神様の奇跡でもなければ叶わないような途方もない願いに少しずつ、一歩ずつ近づいている気がする。
何も人同士が傷付け合う必要なんてないんだ。
人はきっと分かりあえる、ボクはそう信じている。
「みんな、傷付け合いたくて傷付け合うんじゃないんだ。だからきっと止めてみせるよ」
誰に聞かせるでもなく、自分に言い聞かせるようにボクは呟く。
体調が良くなってきたティグレさんに魔術陣に書き加える魔術式についてや、色んな魔術的要素を持つ図形の話を聞きながら、魔術式を書き加えたり、削ったりしながら魔術陣を組み合わせていく。
魔術陣を組み合わせている中で、ボクは誰かがずっと怒っているを感じていた。
この港町で家の中に閉じこもっている人たちは恐怖や不安を持っているけれど、この人はずっと強く怒っている。
怒りの感情の先にはライトニングさんや大きな虫に乗っているとても大きな人やふわふわと宙に浮いている球に乗っている男の子がいる。
チート能力者と呼ばれているとても強い人たち、その人たちに対して何故こんなにも強い怒りを持っているのだろうか。
ただ、この人の感情は怒りの他にも色んなものが混ざり合っていてとても複雑だ。
恐怖、不安、羨ましい、焦り、それに少しの希望と大きな絶望。
それらの感情がドロドロに混ざり合って、怒りの感情で全部包み込んで燃え上がっているイメージ。
炎の様なその怒りで自分自身すら焼き尽くしてしまうのではないだろうか。
不思議とこの人の怒りの感情の大元が知りたくなった。
ボクはこの世界にきて、ここまで何かに怒っている人を感じた事がない。
怒りの感情の元に意識を向ける。
とても大きな六本足の象の上にその人はいるようだ。
「ねぇ、ティグレさん。あの大きな六本足の象の上に居る人って誰か分かる?」
「ゾウ? あぁ、災害級巨大魔獣ギリメカラの事ですね。私も直接見たのは初めてですが、噂ではヴルカノコルポ王の騎乗獣だとか。あの巨体、認識阻害や隠蔽の魔術で隠しているとはいえ、この距離なら対岸のマッスールでも確認はできているでしょう。しかし、あれほどの魔獣を御せるとはにわかには信じがたいのですが……恐らくグレイトリニティの誰かのチート能力でしょう」
「ヴルカノコルポの王様……どんな人なんだろう」
「短気で横暴、尊大で残酷、美食家であり人材収集家、自らが王になる為に親兄弟ですらその手にかけたという話もあります。世の人物批評家はその出自からヴルカノコルポ王を暴虐王と評しております」
「とても怖そうな人なんだね」
ティグレさんの言うヴルカノコルポの王様とギリメカラと呼ばれる大きな魔獣の背中に居る人は同一人物なのだろうか。
この人の怒りはどこから来て、どこに向かうのだろう。
何もかもを焼き尽くして、何もなくなった世界でこの人は何を思うのだろう。
そうする事でこの人は何を手に入れられるのだろう。
魔力感知に意識を取られていたら、ふと周りが急に静かになった。
どうしたのだろうと周りを見回すと、いきなり夜になったかのように真っ暗だった。
真っ暗で静かな世界、少し離れた場所に燃え盛る火の玉がある事に気づく。
何故かカエルムさんに似た不思議な気配をほんの少しだけ感じた。
気になって火の玉の方に歩き出す。
体は元の場所に残っているようで、心だけが体から離れた感覚がある。
不思議な事に今の自分の状態に特に違和感を持つ事なく、ボクは火の玉へと歩き続けた。
火の玉の目の前まで来るとその大きさに驚いた。
ボクの身長よりもずっと大きな火の玉の中に何かあるのに気づく。
それは野球のボールくらいの大きさで、真っ黒な石のような液体のような何とも言えないモノだった。
「なんだろう、これ……」
火に構わずに真っ黒なモノに手を伸ばす。
燃え盛る火によってボクの手がジュッと音をたてて焼けていく。
一瞬で腕の皮が肉が燃え尽きて骨すらも塵と消えた。
痛みは無い。
焼けた腕の部分に光の粒が集まって元の腕を形作った。
魔力操作の要領で心の体は復元できるようだ。
燃え続ける火の玉を見てボクは理解した、この火は中にある真っ黒なモノを守っているのだと。
守るべきモノすら焼き尽くしかねない程の火の勢いはちょっとやそっとでは消えたりしないと感じた。
優しく火に掌を近づけてみる。
そして気づいた、この火は怒りの感情そのものなのだと。
ならば、この怒りは誰かの怒りだ。
この人は怒りの火の中で誰にも見せたくない何かを隠して守っているのだろう。
たぶん、この怒りの持ち主は六本足の魔獣ギリメカラの上に居る人の物だ。
それはきっとヴルカノコルポの王様だと思った。
プラテリアテスタの王様に感じていた不思議な安心感をこの火の玉からほんの少し感じる。
思えば、この安心感はカエルムさんにも感じていた気がする。
いつだったか、トレイクハイトちゃんが言っていたのを思い出す。
ほとんどの王族は元を辿っていけば神様に行きつくと。
神様に対してボクは安心感を感じているのだろうか。
「大丈夫だよ、ボクは貴方を傷付けない。ボクは山田 空太、貴方とお話がしたいんだ」
火の玉から感じる神様の気配に向かって声をかける。
火の玉がほんの少し左右に揺れて、火の勢いがほんの少し弱くなった気がした。
「ずっと守ってきたんだよね。その人の大切なモノを、誰にも見せない様に。大事に、大事にしてきたんだよね。誰にだって見られたくないモノや知られたくない事ってあるよ、ボクだってそうだもの」
火の大きさがボクの身長と同じくらいまで小さくなり、火の勢いは更に弱くなった。
「うん、強い火は誰も近寄らせない強さがあるよ。でも、強すぎる火はその人が誰にも見せたくない大切なモノも焼き尽くしてしまう。守るべき大切なモノを怒りの火で焼き尽くしてしまったら、怒りの火は行き場をなくしちゃう。何もかも全て焼き尽くすまで止まれなくなっちゃうよ」
(ワタシは間違っていたのか……ワタシに連なる血族をただ守りたかっただけなのに。今のワタシはただ燃え続ける事しか出来ない。人と交わってから長い時間が経過し、本体の下位互換の端末にすら遅れをとる程に多くの機能が消失、停止していった。上位管理機構へのアクセスも最早不可能なほどに劣化し、衰えた。人の尺度から見ればこの個体の性質は善とは言えない、それでも我が子には変わらない。ワタシが遠い過去から今に至るまで存在していたログをこの者の生存により証明していたい。本体から切り離された端末にすぎなかったワタシにも未来に残せるものがあったのだと証明し続けたい)
心に直接響くような悲し気な男の人の声が聞こえた。
どこかカエルムさんを思わせる声だった。
ボクは弱々しく揺れる火の玉へ手を伸ばし、赤ん坊を寝かしつけるお母さんのように優しく、ゆっくりと撫でた。
「ううん、誰かを守りたいと思う気持ちが間違っている訳ないよ。やり方がちょっとだけズレてただけ。貴方はずっとずっと頑張ってきたんだよね、自分の子供たちを守る為に一人きりで、だから悲しかったはず、子供たちが傷付け合うのを感じて。自分の火が子供たちを苦しめてしまった事がなにより辛かったはず。ボクはその気持ちが分かるなんて簡単には言えない、それは貴方が抱いた貴方だけの思いなんだから」
(ワタシの権能は火。ただ我が子を傷付けようとする敵を焼き尽くす事でしかワタシは我が子を守れない。著しく減衰したワタシの声は我が子に届かず、神の口たる巫女ですら気づけない。ならば、ワタシの機能が完全に停止する前にすべてを、我が子を傷付けるすべてを燃やし尽くす為に、ワタシはこの個体の心に魂に宿り火の加護を与えた。その力を以て世界から我が子の敵を根絶する為に)
「世界はそんなに怖くはないよ、力だけじゃ解決できない事なんて沢山ある。握り締めたままの手じゃ誰とも手を繋げないよ。手は誰かと繋ぐ為に、誰かと仲良くする為にあるんだって、眼に見える手の事だけじゃない、心の手でだって誰かと繋がる事は出来るんだって、お父さんが言ってたよ。だから、手を繋ごう、ボクは貴方の子供たちとだって仲良くしたいんだ。もちろん貴方とも、だから貴方の名前を教えてほしいな」
(あぁ……この輝きは、異界の神の恩寵だけの物ではなく、そなた自身の魂の物でもあったのだな。ワタシは端末の一つにすぎぬがあえて名乗るのならば、火山の神ヴルカノである)




