39・異邦の少年と獣
対岸の桟橋に降ろされたボクたちの前に、緩めのローブを着た男の人が寝そべったまま釣りをしていた。
釣り竿を空中に固定したまま、男の人がゴロリと寝転がってボクたちの方を向く。
寝たままの状態で手をひらひらと振り、ヘラヘラと笑うこのカッコイイお兄さんが大賢者のようだ。
「やぁ、初めまして。そっちの坊やにはさっき直接伝えたんですが、そちらお姉さんにはまだですよね。オレはライトニング・ダークネス。大賢者って呼ばれてるんですよ、よろしくねー」
「お初にお目にかかります、大賢者ライトニング・ダークネス殿。魔術師組合において最短での神位の魔術行使免許状取得、モンスターレギオンの単独での殲滅、水上国家ラーゴクオーレの乗っ取りを画策した紅蓮の魔人の討伐、他にも上げれば切りが無い程の功績の数々、なにより太古の大魔術の復元の一報を聞いた時は一魔術師として尊敬の念すら覚えた次第です。魔術師の地位向上に一役も二役も買った貴方ともあろう方がよもや魔術師を下級労働者扱いするヴルカノコルポに肩入れするとは、驚愕の至り」
「うわぁ、なんかすっごい睨まれてるんですけど。でも、よく知ってるねオレの事。オレもお姉さんの事は知ってるんですよ。王直属の天才魔術師、侍従長ティグレ・ザラントネッロ。最年少での絶位の魔術行使免許状取得、都市食いの巨大魔獣討伐戦に若干十二歳で参加、プラテリアテスタ王マチョリヌスとの一騎打ちに敗れるまで、無敗を誇ったコロシアムの覇者、結構有名な訳ですよ、貴女は」
ティグレさんがもの凄く嫌そうな顔をしてライトニングさんを睨みつけている。
苦笑いを浮かべるライトニングさんは、まぁまぁと言ってティグレさんをなだめた。
「いやね、こちらにもですね、理由ってのがあるんですよ。何も好き好んでヴルカノコルポに雇われてる訳じゃない訳でしてね」
「その理由とは?」
「お金」
「クズが、恥を知りなさい」
ライトニングさんの理由にティグレさんは怒りを隠そうとしない。
ちょっと怖い顔をしていて、今にも殴りかかりそうだ。
「ティグレさん、落ち着いて。ライトニングさんもわざとティグレさんを怒らせないでください」
「ソラタ様、それはどういう……」
魔力感知のせいか、その人の魔力を感知するとなんとなくその人の感情も分かる気がするのだ。
ライトニングさんは嘘と本当の事を混ぜたような何とも言えない感情で喋っている。
「おやおや、なんでそう思うんだい坊や。オレはいたって真面目ですよ?」
「ううん、ライトニングさんは退屈なんでしょ? ティグレさんで暇つぶしなんてしないでください。ボクたちを引き寄せたちゃんとした理由が聞きたいんですけど」
「ハハッ、魔力感知程度でそこまで把握しますか。やっぱり、坊やはイカレてますねぇ。美人なお姉さんとの会話ってのは、幾つになっても楽しいものですよ。向けられる感情の好悪はともかくとして」
ケラケラと笑うライトニングさんは、ふわりと浮いて空中にあぐらをかいて座った。
少しだけ、雰囲気が変わった気がする。
「沽券に関わるんで人に言っちゃあ嫌ですよ? 真面目に言うと、お金が問題なのは事実な訳ですよ。遊ぶ金とかじゃないですよ? オレも騙された、詐欺にあったようなもんでね」
「大賢者ともあろう者が、詐欺に引っかかるとは情けない」
ティグレさんは不思議とライトニングさんに対してちょっと厳しい気がする。
魔術師として尊敬してた人がこんな感じだったから、残念に思っているのだろうか。
「いやぁ、そう言われると何も言えないねぇ。何て言いますかね、ちょっと前にヴルカノコルポでエリクサーを売りさばいて小金を稼ごうとしたら、なんと特許侵害だとかで訴えられて莫大な賠償金取られて、ヴルカノコルポで買った屋敷とか錬金機材とか道具一式もろもろ、作ったエリクサーごと没収されちまった訳ですよ」
「そんな、わざとじゃなかったんでしょ? 弁護士とか雇ってなんとかできなかったんですか?」
「まぁね。ただ、相手は王族でしたし、ヴルカノコルポじゃ王族の力は絶大ですよ? 弁護なんてした日には次の日からはお仕事が全くこなくなるでしょうね。そんな訳で、弁護もままならないまま時間が過ぎて行って、身に覚えのない偽の証拠もでっち上げられて、あれよあれよという間に有罪確定。神話級の魔導具で魂に制約を刻まれたから、うかつに逃げ出す訳にもいかない。借金負わされて、返済完了するまでヴルカノコルポの属国で毎日毎日エリクサー作りの日々ですよ。たぶん、この国に来た日に絡んできた裏の組織的なやつを壊滅したんで、別の系列の所に仕返しされたって所でしょうよ」
ライトニングさんはやれやれ、といった風に肩をすくめた。
口元に手を当てて、何か考え事をしているティグレさんが気になり、声をかける。
「ティグレさん、どうかしたんですか?」
「あぁ、いえ。恐らく大賢者殿のその一件は最初から仕組まれていた可能性があります。ヴルカノコルポ王はより強い力を求め続けておりました。大賢者殿ほどの名の知れたチート能力者ならば、保有枠を超えたとしても確保したかったはず。大賢者殿を借金漬けにして、ヴルカノコルポの手駒にする目的だったのかもしれません。大賢者殿、もしやヴルカノコルポでエリクサーを売るように勧めた人がいるのでは?」
ティグレさんの言葉にライトニングさんが「あぁ……」と声を漏らして、頭を抱えた。
どうやら覚えがあるようだ。
「そういえば、そうですよ……。ヴルカノコルポは魔術師が不遇な扱いを受けているから、基本魔術師は近づかない、だからポーション系の魔術薬は輸入がほとんどで王族が独占してるから希少で高額、品質が良くて安いポーションなら民間人からの需要は高いって……。あぁ、あいつ、初めからヴルカノコルポの手先だったって訳かぁ……」
魔力感知の影響でボクにはライトニングさんの感情がなんとなく分かった。
さっきまでは退屈の中にイライラが混じっていたけれど、今はかなり落ち込んでる。
もう、普通に見てるだけでもガックリ来てるのが分かるくらいに。
「大賢者殿には思い当たる節がある様子、ですが申しておきます。今の話はあくまで私の推測でしかなく、その人物は親切心から貴方にエリクサーの販売を勧めた可能性もあります。何か事情があったのかもしれませんしね」
「いやいや他にも色々とね、あった訳ですよ。信じたかったんですが、そう考えるとね、合点がいっちゃうんですよ。さて、今回の戦争にオレが参戦した理由なんですがね、傭兵として功績を上げれば借金を大幅に減らしてくれるって話だった訳ですよ。お姉さんと坊やをちょっと引き寄せたのも、坊やには伝えましたが、王様が来るまでの暇つぶしが大半の理由ですよ。ただ、少しくらい身代金取れたらなーって思いもちょっとはあった訳ですよ」
「……やはり、クズはクズですか。大賢者と戦って勝てるとは到底思いませんが、ソラタ様を対岸に送り届ける事くらいは、命をかければ造作もない事。ソラタ様、ソラタ様の誰も傷付けずに戦争を止めるという願いを踏みにじる事になってしまう事お許しください」
ティグレさんが全身から魔力を放出して、明らかな戦闘態勢に入った。
魔術を複数使用して身体強化を行いながら、攻撃魔術を拳に込めていく。
高まっていく魔力と共に、ティグレさんの体に変化が現れた。
ティグレさんの頭に黄色と黒の縞模様の入った動物の耳、お尻の辺りから同じ様な模様の尻尾。
そして、眼の色が淡く光る金色になっていた。
「こいつぁ、獣化現象ってやつですよ。お姉さん、祖先に神獣か何かでも?」
「貴方に教える義理はありませんッ!!」
ティグレさんの様子を見て、少し驚いたライトニングさんだけれど、焦りは全くない。
それどころか、退屈という感情が強くなっている様に感じる。
空中に固定していた釣り竿を手に取ってクルリと回すと、釣り竿だった物が古めかしい杖に変化した。
先端に竜の頭を象った飾りがあり、その竜の口にはまん丸の赤い宝石の様な物がはめ込まれている。
「暇つぶしといったでしょう。戦争が本格的に始まるまでは敵対なんてする気はないんですよ。ただまぁ、この状態じゃお話しもままならないですし? すこぉし、おとなしくしてもらおうかって訳ですよ」
ボクが待ってと言おうとした瞬間、ティグレさんがもの凄い速さでライトニングさんに襲いかかった。
ライトニングさんも幾つかの魔術陣を自分の周りに描いて、戦う気満々だ。
どうしよう、二人が戦いなんてしたらきっと大ケガしちゃう。
止めなきゃ、どうにかして止めなきゃ、ボクは咄嗟に魔術陣を指で描かずに魔力操作のみで幾つもの魔術陣を空中に描いていた。




