29・異邦の少年と癒しの呪文
覚悟はしていたつもりだった。
どんな光景を目にしようと、成し遂げて見せると。
しかし、所詮子供でしかないボクの覚悟なんて吹けば聞ける程度のものでしかなかったのだ。
頭や手の向きがおかしいモノ、骨が皮膚を突き破っているモノ、所々の皮膚が割け中身が見えているモノ、散乱する内臓や骨の数々、垂れ流されている汚物と腐臭が混じった刺激臭、眼と鼻から入って来る目の前の惨状に頭をガツンと殴りつけられた様な衝撃が走る。
これは人が見てはいけないモノ、嗅いではいけないモノだと直感した。
さっき胃の中のモノを全て吐き出したというのに、もう出るモノなどないというのに激しい吐き気が再び込み上げてきた。
グルグルと回る視界に我慢できず、両膝を床につく。
倒れ込みそうになるのを必死で耐えて、両手で口を塞ぎ胃から上がって来る酸っぱい物をなんとか飲み込む。
グッと歯を食いしばりと全身に力を入れて、ふらつきながらも自分の足で立ち上がった。
目の前に広がる光景から眼をそらすさずに現実を受け止める。
これはアロガンシア王女が為した事なのだと。
そして、これが、この光景こそが、戦争が起きてしまったら広がる光景なのだと。
「はぁ、はぁ……うん、大丈夫。それでボクは具体的に何をしたらいいんですか?」
(未だメンタルダメージは継続して入力されている。しかし、安定した魔力出力も確認。では行動を提示する。ここに安置されているモデル天使の模造種五十八体に冥域機構のシステム強制起動を以て魂の浄化を実施、魂の細分化に伴い魂から剥離される肉体構成物質の自然回帰の促進、精神構成物質アストラル及びエーテルを冥域と接続され拡張、変質した博愛の権能、これを異質権能と仮称に取り込む事で個体名ソラタの神核の摂取工程を終了とする。そなたは魂の浄化の前段階までの工程をその身を以て体験済みである事を示す)
「あのカエルムさん、出来たらその、もう少し、分かりやすく言ってもらえると助かるんですけど……」
(地上における神の奇跡の模倣術式の行使によってそなたに接続された冥域機構のシステム強制起動となる。本来の工程、肉体の分解、魂の冥域への沈下、魂を覆う霊体及び幽体の剥離、魂の浄化による細分化、ここまでが冥域機構の管理工程。そして細分化された魂片の回収工程は神域機構のシステムによって管理されている)
「神様の奇跡の模倣術……魔術の事ですよね確か。ボクが魔術を使うと、その冥域機構のシステムっていうのが強制的に起動して魂の浄化っていうのが起きるって事でいいんですか?」
(その理解で問題はない)
ボクが魔術を使うと冥域機構のシステムというのが起動して魂の浄化が起きるらしい。
絶界聖域で風の魔術を使ったけれど、あの時にも魂の浄化というのが起きていたのだろうか。
よく分からないけれど、今はやるしかない。
あの時、ボクの魔術で吹いた風の範囲を思えば、この距離ではきっと遠すぎる気がする。
ボクは足を踏み出して、有翼人の人たちの遺体の山に近づいていく。
傷つき裂けた体から溢れる血が水溜まりの様に広がっていて、その上を一歩進む度にピチャピチャと水音が響いた。
血と汚物と腐臭の混じった刺激臭が一層強くなるのを肌で感じる。
山と積み重なった遺体に手を伸ばせば届くくらいの距離でボクは立ち止まり、眼を閉じて手を合わせた。
「静かに眠っていたのに、ボクが騒がしくてごめんなさい。ゲロ吐いちゃってこの場所を汚しちゃってごめんなさい。それと……アロガンシア王女はあんな言い方しかできない女の子だけれど、きっと貴方たちをむやみに殺したわけじゃないと思います。許してなんて言えないし、アロガンシア王女もたぶん謝る事はしないと思うから、代わりにボクが謝ります。貴方たちを殺してしまってごめんなさい。」
少し、周囲の空気とでもいうのか雰囲気がピリピリとして来た気がする。
魔力感知で周囲を探ってみると、小さくて少し黒いモノが沢山いる感じがした。
けれどボクは構わずに、底の国の魔力を魔力操作の感覚を思い出しながら体から溢れ出る底の国の魔力を指先に集めた。
集めた魔力で円を描き、中に四角を描こうとした所でふと思った。
「あの、カエルムさん。使う魔術は何でもいいんですか?」
(そなたの行使するあらゆる神の奇跡の模倣術式に冥域機構のシステム強制起動は付随される。他者を害する術式であろうと、他者を癒す術式であろうと、今のそなたが行使する神の奇跡の模倣術式は魂の浄化という結果をもたらす)
「はい、なんとなく分かりました。まだ、トレイクハイトちゃんに教えてもらってないけど、違う魔術を使ってみます」
カエルムさんと話ながら、周囲を漂う塵の様な物がボクのすぐ前で一か所に集まっていき、人の形を作っている事に気づいた。
真っ黒な影の様な存在となった人の形をしたそれはフラフラとしながらボクに向かって手を伸ばす。
その手はボクの首にまとわりついて、弱弱しくはあるけれど締め上げようとしていた。
そして、真っ暗闇の顔をボクの目の前まで近づけて、雄叫びの様に真っ黒な感情を吐きだし始めた。
《なぜ、お前は生きている、なぜ俺たちは死んでいる、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ》
《殺した、殺した、殺した、俺たちを、みんなを、何もかもを、あの小娘が殺した》
《憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い》
《殺す、殺す、あの小娘を殺す、あの小娘を知るお前も殺す、全て殺す、何もかも殺す、生きる全ての命を殺し尽くす》
《イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイィイイイィィィ》
黒い塵は更に集まり段々と大きくなり、その力を増していく。
ボクの首を絞める力も少しずつ強くなってきて息苦しさを覚える。
けれど、ボクはその声を聞き逃さない様に聞き続けた。
そうしないといけない様な気がしたから。
もう誰にもこの人たちの声は、思いは、届かない。
だから、せめてボクが聞かなきゃと思った。
この人たちの憎しみや悲しみや痛みはボクにはきっと理解できない。
理解出来たなんて簡単に思っていいはずもない。
「ボクは山田空太って言います、貴方たちのお名前を教えてください」
真っ暗闇の顔に向かってボクは声をかける。
ボクに出来るのはこれくらいしかないのだ。
きっと魔術を使えばすぐに終わるだろうけれど、それではダメな気がした。
「貴方たちの憎しみも悲しみも痛みもボクには理解してあげられない。さっき底の国の魔力を操作する前に魔力感知で貴方たちの魔力と繋がったのを感じました。それで貴方たちが今まで何をしてきたのか断片的に感じました。神の火で何をしていたか、天使の輪で何をしていたか」
少しだけ、真っ暗闇の顔がビクっとして、ボクの首を絞める力が弱まった。
でも、またすぐに首を絞める手に力が入る。
《殺した、殺した殺した、俺たちを殺した、許さない許さない許さない》
《シネ、シネ、シネシネシネシネシネシネッ》
「貴方たちは自分たちがしてきた事をちゃんと分かってる。でも、自分たちが殺された事は怒ったり悲しんだり苦しんだりしてる。なのに、なぜ貴方たちは自分が殺した人たちも同じだったって気づかないんですか。ボクには今の貴方たちの思いは分かりません、でも今の貴方たちなら貴方たちに殺された人の思いが分かるはずです」
《黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れダマレダマレダマレダマレッ》
「嫌です、黙りません。ボクには貴方たちとお話する事くらいしかできませんから。ボクを殺して、みんなを殺して、貴方たちはそれで満足できますか? 貴方たちの苦しみは悲しみは痛みは和らぐんですか? それで貴方たちは救われるんですか?」
《ウルサイウルサイウルサイウルサイィイイイイィィィイイイイイ》
「そうやって聞きたくない事に耳を塞いでも何も変わらない。きっと貴方たちはずっと同じ事を繰り返すよ。貴方たちが変わらない限り、何も変わらず、永遠にそのまま。苦しみと悲しみと痛みを叫び続けて、他の人たちを殺し続けて、永遠に世界が終わるまで貴方たちはそう在り続けるんですか? そんなの悲しすぎるじゃないですかッ!!」
《だったらどうしろっていうんだッ、もはや肉体は死に、魂だけの存在、このまま神域に意識だけが残り腐り果てていく自分達の肉体を見ていくだけしか出来ない俺たちにそれ以外何をしろと言うんだッ!!》
「貴方たちは殺されました、そして貴方たちは殺しました。貴方たちに殺された人たちの感情の欠片がまだこの場所には残ってます。それは今の貴方たちの中にも取り込まれてます。その感情の欠片は自分たちを殺した貴方たちが死んでもそこに残っている。誰かを殺してもきっと何も終わらない、だから終わらせましょう。ボクにはそれを手伝える力があります」
ボクの首を絞める真っ黒な手にそっと手を重ねる。
氷の様に冷たくて、触れている所の感覚が消えていく感じがした。
それでもボクはその手を放さずにギュッと握り締める。
「だから手伝わせてください。貴方たちの願いはなんですか? 永遠の苦しみと悲しみと痛みの中で誰かを恨み続ける事が貴方たちの願いですか?」
《違う、違う、俺たちはそんな事、私たちはそんな事を願っていない》
《僕はただあの人に会いたかった、私は故郷に帰りたかった、儂は静かに眠りたかった》
《だが、許せない、殺した事を許せない、殺された事を許せない》
「いいんです、許せなくても。それが普通なんですから。大丈夫、全部ボクが背負いますから、もう疲れたでしょう。重いモノは全部ボクが預かりますから、もういいんです、貴方たちはもう休んでもいいんです」
真っ暗闇な顔にボクは涙を流しながら笑顔を向けた。
ゆっくりとボクの首から真っ黒な手が離れていく。
ボクはその真っ黒な手を改めて優しく握り締めた。
《いいのか、預けても、こんな黒いモノを背負わせても》
《もう休みたい、苦しいのも、悲しいのも、痛いのも、もう嫌だ》
《帰りたい、みんなの所に、笑顔で生きていたあの頃に、戻りたい》
真っ黒な影の様な存在はボクの手を振りほどき、両手で顔を覆ってエンエンと泣き出した。
まるで子供の様に。
両膝をついてうずくまりながら、泣きじゃくる真っ黒な影の様な存在の背中を優しく撫でる。
「ボクの魂と底の国が繋がっているんだそうです。だから、帰りましょう世界に。きっとみんな底にいますから、それにあそこはとても心地の良い場所です。分かるんです、ボクも一度あそこに落ちたから」
《あ、ああああ、ああああああああ》
真っ黒な影から黒いモヤが溢れ出し、その黒さが段々と薄れていく。
ボクは真っ黒な影を抱きしめ、ボクと真っ黒な影を囲むように魔力で円を作る。
「大丈夫、怖くないですよ。終わるまで抱きしめていますから」
《あたたかい、あたたかいなぁ、人間はあったかいなぁ》
「さぁ、ボクの中で休んでください。そしてまた世界の流れの中でいつか会いましょう」
ボクは呪文を唱える。
絶界聖域で試しにと唱えた呪文、癒しの呪文。
せめて、この人たちの心が安らげるようにと、願いを込めて。
「ヒール」




