27・勇者たちと迷子
「ふぅん、中々愉快な事になってるじゃないのさ。クク、人間ってのは本当に同族同士の殺し合いがだぁい好きで仕方ない生き物ときたもんだ」
和風な雰囲気のある部屋の窓際で筒状の遠眼鏡を覗きながら狐に似た獣面の女性、七人の勇者の一人、節制の勇者ココノツがケタケタと笑う。
身にまとう豪奢な花柄の着物の袂に筒状の遠眼鏡を入れ、更に袂の中をまさぐって徳利とお猪口を取り出す。
手酌で酒を煽りながら、ふぅと艶のある吐息を漏らす。
「異世界で勇者なんぞと思っていたらなかなかどうして、楽しい催しが盛りだくさんでおねえさん嬉しいねぇ。元の世界じゃ悪逆の限りを尽くし果てて、ついには陰陽師だか行者だかに打ち据えられて封印の憂き目にあったけれど、今じゃすっかり改心して勇者稼業に精を出している訳だけれど――」
不意にココノツが座る椅子が身震いし、荒く息を吐く。
それを見てココノツはニタリと冷笑を浮かべながら、自分から生える金毛のフサフサとした尻尾に徳利を置き、空いた手で椅子の尻を勢いよく叩く。
パシンッ、と大きな音が響き、椅子が豚に似た悲鳴を上げる。
「おやおや、この程度でもう限界かい? 曲りなりにも一国の王様だろうに。この椅子もそろそろ替え時かねぇ」
そう言いながら、徳利とお猪口を着物の袂にしまい込み、代わりに既に火のついた煙管を取り出して口に運ぶ。
座る椅子が盛りのついた豚の如くブヒブヒと喚くがココノツはそ素知らぬ顔で煙管を楽しんでいる。
プカリプカリと何度か紫煙を吐いた後、煙管をひっくり返して掌に打ち灰を椅子に落とした。
ジュッと肉の焼ける臭いと締め上げた鶏の様な悲鳴を上げて、椅子がビクビクと小刻みに震える。
しかし、自らに座るココノツが振り落とす事のないように痛みに耐えて、体勢を維持する。
「ククク、よく我慢できたじゃないか。もうしばらくこの椅子を使うとしようかね」
「あ、ありがたき幸せにございます、ココノツ様ッ!!」
ココノツの座る椅子が感極まり声を上げる。
ココノツはニコニコと微笑みながら、煙管を椅子の鼻っ柱に叩きつけた。
ブギャっと小さく悲鳴を上げ、ボタボタと鼻血を垂らして痛みに喘ぐ椅子を尻目に煙管に煙草を詰めるココノツ。
「椅子が喋るたぁ、不可思議な事もあるものさね。しかしまぁ、椅子が喋るなんてこたぁないから、あたしの空耳かねぇ」
詰め終わった煙草に指先から小さな火を灯して、スパスパと煙管を吸う。
プカリと紫煙を吐きながら、窓の外に広がる景色を眺める。
眼下に広がるはヴルカノコルポの大地。
星の輝く夜中でありながら、ヴルカノコルポの各地は大小の輝きを放っている。
その輝きの正体は魔力を燃料にして辺りを照らす魔力灯の光。
膨大な数の魔力灯によって、ヴルカノコルポの都市圏では夜中であっても昼間の如くギラギラと輝いている。
だが、ココノツが見ているのは大都市圏の輝きではない。
ヴルカノコルポの外縁部、辺境に位置する地域。
そこでチカチカと光るのは魔術の放つ光。
ヴルカノコルポのプラテリアテスタ侵攻開始を待たずにレジスタンスが行動を開始したのだ。
反抗の光はヴルカノコルポの各地で灯され始めている。
「クク、国の終わりの始まりってのはいつ見ても綺麗なもんさね。出来るなら自分の手でその引き金を引きたかったけれど。あぁ、安心しなよ王様。暇だからと勇者としてこっちの世界に召喚なんざされてやった訳だけれど、交わした契約はきちんと果たすのが大人ってやつさね。あんたの治める小国パルーデマーノはあたしがキチンと庇護して慈しんで愛でてあげるからさ、クク。さぁて、今は目下のバカ騒ぎを楽しまないとねぇ、なにより七番目の勇者ちゃんがどうするか、高見の見物としゃれ込もうじゃないか」
ココノツは遥か上空を行く魔導飛空艇の一室からヴルカノコルポの衰退の始まりを眺めながら、心底嬉しそうに笑う。
その笑みは恐ろしくもあり、どこか妖艶な美しさも漂わせていた。
月明りに照らされた荘厳な雰囲気の教会、その祭壇の前に信仰の勇者、ガリガル・ヒョウロインが静かに両膝を床につけて祈りを捧げていた。
胸の前で手を組み、頭を下げて一心に神へと祈る。
異なる世界であろうとも、異なる神であろうとも、それが神であるのなら彼は祈り続ける。
神への絶対的な信仰心からではなく、闘争を好む愚かな人間への嫌悪から。
ただひたすらに平穏を平和を願い、祈る。
人に無し得ぬ、偉業を神に願いながら。
ガリガルは大地の国の中で広く支持されている星神教、その総本山として存在する宗教国家チーマチェルベッロに召喚された勇者である。
信仰の勇者としての権能を用いて、ガリガルは神託の巫女が知り得た情報を全て収集する事が出来る。
神の声を伝える神託の巫女は各地の教会や神殿に派遣されており、その数は百を優に超えていた。
ヴルカノコルポやプラテリアテスタ、その周辺地域に派遣されている神の巫女が見て、聞いて、感じ得た情報を集め、二国間の戦争までもう時間がないだろうと確信する。
戦争、それは本来ならば外交の最終手段であるべきもの。
それを私利私欲の為に容易く実行するヴルカノコルポ王、避ける事が出来たにもかかわらず独断の果てに対峙する道を選んだプラテリアテスタ王。
どちらもガリガルにとっては悪しき王でしかなかった。
「神は人の在るがままを愛する。愛とは何も望まぬ心、何も求めぬ心、そして全てを与え許す心。ゆえに神にしか全てを愛する事は出来ない。あぁ、神よ、天にありし我らの偉大なる神よ、どうかこの世に愛と平穏を」
祈りを捧げるガリガルの耳に星神教枢機卿カネーガ・メッサ・スキャネンの声が入る。
スッと立ち上がり、ガリガルは教会入り口に立つカネーガに眼をやった。
「信仰の勇者ガリガル、眠れぬのですかな」
「えぇ、カネーガ枢機卿。明日にも戦争が始まるやもしれませんので。神にお力添えをと」
「神への祈りは信徒たる我らに欠かせぬ物。きっと神は聞き届けてくださる事でしょう。戦争、無辜の民がいたずらに血を流す最悪の暴挙。そのような事を神が見逃すはずはありません。神は信仰心に篤い信徒をみだりに底の国へなど送らぬもの、もし此度の事で多くの人死にが出るとすれば、……それはその者たちの神への信仰心が乏しかった証に他ならないのです。信仰の勇者ガリガル、貴方が気に病む事ではありませんよ。すべては神の思し召しなのです」
カネーガはそう言うと、星神教の象徴である星の輝きを象った首飾りを手に取り、優しく口づけをして首飾りを両手でそっと握りしめ神に祈りを捧げた。
しばらくの沈黙の後、カネーガはガリガルに一礼して、その場を後にした。
「神への信仰の有無で人の生き死には定まりはしない。だからこそ、私は私の出来る事を為すのみ」
そう独り言を呟いて、ガリガルは祭壇に祀られている星神教の象徴である星の輝きを象ったシンボルに背を向けて歩き出した。
正義の権能を与えられた正義の勇者ユクミチ・マッスグは大地の国の中で神の座に最も近い場所とあだ名される神聖なる霊峰、その柱の様な形状からとってゴッデス・オブ・ピラーと呼ばれる山の山頂に立っていた。
天に輝く銀の月を眺め、感嘆のため息と共に白い息を吐く。
満天の星空の下、マッスグは麓の村を脅かしていた凶悪な山賊、モーブ一派とそのモーブ一派を裏から操り、ゴッデス・オブ・ピラーで採掘されるミスリル銀の独占を目論んでいた貴族モーブィス男爵を叩きのめした礼に貰ったサンドイッチを食べていた。
そしてゴッデス・オブ・ピラー中腹にあった洞窟の奥に隠れ住んでいたダークエルフの少女の母が患っていた不治の病を気合と根性とガッツで快癒させ、その礼にと貰った女神の滴りと呼ばれるゴッデス・オブ・ピラーの雪止め水から作られた神酒を温めたホット神酒をグイっとあおる。
軽く口を拭い、フゥと息を漏らす。
そして一言。
「プラテリアテスタを目指していたんだが……ここはどこだ」




