18・異邦の少年と八つ当たり
ボクとティグレさんを囲んでいた魔法陣の光が完全に消え去り、辺りがシンと静まり返る。
膝をついていたティグレさんが立ち上がり、微笑みながら涙をぬぐった。
「フフ、振られてしまいましたね。ですが、晴れやかな気持ちでもあります」
「ご、ごめんなさいティグレさん。ボク、ティグレさんの事好きだよ、でもさっきのは振ったとかそういうのじゃなくて、その、なんだか凄く嫌な予感がしたんです。ボクがティグレさんの何かを受け入れたら、ティグレさんがティグレさんじゃなくなっちゃうような、そんな予感が。……だから、その」
ティグレさんがティグレさんじゃなくなる、あの時は何故かそう確信出来ていた。
何か凄い物をボクに渡そうとしていた気がするけれど、もしボクがそれを受け取っていたら取り返しのつかない事になっていたかもしれない。
契約とか絶対服従とかれいぞく? とか何だか難しい言葉でボクにはよく分からなかったけれど、今のティグレさんの笑顔を見ていると、断ったのは間違いじゃなかったと思った。
「まぁ、ティグレの正体を知っている者なら是が非でも結びたい契約ではあったでございましょうねぇ、古き獣に連なる者との絶対服従の隷獣契約。チート能力者や序列持ちには劣るとは言え、人の領域を遥かに超えた力が手に入る訳でございますし」
「へぇ、そうなんだ。ティグレさんて普通の綺麗なメイドさんじゃなかったんだね」
「メイド……? 侍女の事でございましょうかね。普通などとんでもないでございますよ、ウルスブランより格闘戦が得意な魔術師で古き獣に連なる者とかいう属性モリモリも良い所でございます。それを言えば、ウルスブランも相当ではございますがねー。」
「ウルスブランさんも? 」
「彼女もまぁ事情がある人間と言う訳でございますよ。乙女の秘密でございますからして、おいそれとは教えられないでございます。ソラタ殿がどうしてもと言うのならアレでございますが」
「本人がいない所でその人の秘密とかあまり聞きたくはないから、言わなくていいよトレイクハイトちゃん」
「おや、そうでございますか。ただ、何と言えばいいのでございましょうね? よく分かったでございますねソラタ殿。もし、ティグレ殿と絶対服従の隷獣契約を結んでいたら、ティグレ殿は古き獣の血の活性化により人間性を失い、ソラタ殿に絶対服従の獣になっていたでございましょう」
トレイクハイトちゃんが両手を挙げてガオーとボクに襲い掛かる様なポーズをして見せた。
ボクはそれを聞いて、ホッとした。
絶対服従だなんて、その人の心を無視するような酷い事はしたくない。
それがティグレさんなら尚更に。
「ティグレ殿は自分を犠牲にしてでもソラタ殿に力を与えたかったようでございますがね。結果はソラタ殿に見事に振られて玉砕でございましたけれどねー」
「だから、振ったとか振られたとかって話じゃないと思うんだけど。……ボクは弱いからさ、誰かの犠牲で力を手に入れてもきっとすぐに耐えられなくてどうにかなっちゃうよ」
そう言ったボクの頭をトレイクハイトちゃんが背伸びしながら撫で始めた。
いや、壺が顔にグイグイ当たってちょっと痛いんだけど……。
「自分の力より他人に重きを置くでございますか、良い子でございますねぇ。褒めてあげるでございますよー。ただ、これから数日以内に起こるのは戦争、人と人との殺し合いでございますので。そして、ソラタ殿はそれをどうにかしたいが為に力が必要、ならばなりふりなど構わずに楽して力を得るのも一つの手でございました。ティグレ殿という一つの犠牲で数百、数千の命が救えたかもしれないのに、でございます。それを自分が耐えられないからという理由の為に捨てたのでございます。それは優しさなどではなく、我が身可愛さ、というやつなのでございますよ」
僕の頭を撫でていたトレイクハイトちゃんはその手をピタリと止めて、そう言った。
その刺々しい言葉にボクは何も言えなかった。
ボクはそこまで考えてティグレさんとの契約を断った訳ではなく、ただティグレさんが犠牲になるのが嫌だっただけ。
「トレイクハイト様、私が勝手をしただけの事、ソラタ様にそのような言い方は如何なものかとッ!!」
「黙ってろでございます、ティグレ殿。ティグレ殿が誰と契約しようと誰に力を貸そうとそれはティグレ殿の自由、それはティグレ殿と父上との間で交わされた約束でございますからね、わたくしがどうこう口を出す事ではないのでございます。ただ、勇者として出来る事ならなんでもする、そうほざいたのはソラタ殿でございます。そう言ったくせに誰かを犠牲にするのは嫌だときたものででございますからね。戦争は止めたい、でも誰も犠牲にはしたくない、そんな都合のいい魔法のようなものはないのでございます」
「トレイクハイト様、おやめくださいッ!!」
ティグレさんがボクとトレイクハイトちゃんの間に入って、二人の間に距離が出来た。
ティグレさんはトレイクハイトちゃんに何かを言っている。
冷静な口調ではあったトレイクハイトちゃんだったけれど、ボクの無責任さのせいで怒らせてしまった。
ボクが悪いのは分かった、でもボクはティグレさんを犠牲にした方が正しかったと言っている様なトレイクハイトちゃんの言い方には少し腹がたった。
「……勇者として出来る事は何でもするって確かにボクは言ったよ。……だったらさ、トレイクハイトちゃん、ティグレさんを犠牲にする事が勇者として出来る事だったの? 勇者として正しい事だったの? 勇者ってみんなを守る為に、世界を守る為に召喚された人達の事なんでしょ? 誰かの犠牲がなくちゃ強くなれないなんておかしいよ、それが勇者だっていうならボクは勇者なんてならない。犠牲を仕方がないって諦めるなんてボクは嫌だッ!! 」
ボクの言葉に壺で顔は分からないけれど、トレイクハイトちゃんの雰囲気が明らかに変わった。
怒りが体の中で渦巻いている、そんなイメージが感じ取れた。
ピシリとトレイクハイトちゃんの被っている壺にヒビが入り、今すぐにでもボクに飛び掛かりそうなトレイクハイトちゃんをティグレさんが慌てて抑える。
「毛も生えてないようなガキが生意気な事言うんじゃないでございますよ、世の中、何の犠牲も無しに生きていく事なんて出来ない事くらい分かれでございますッ!! 何も知らない子供のくせに、ただ庇護されているだけの子供のくせに、わたくしたち大人がどれだけ苦労してるか、どれだけ考えてるかも理解しようとしないくせにッ!! 青臭い綺麗事で戦争がどうにか出来る訳ないのでございますよッ!! 戦争が起きる、ただそれだけで人は死ぬのでございます、兵士だけじゃなく国民も巻き込まれ、男も女も老人も子供も関係なく死ぬのでございますよッ!! 」
「大人が苦労してるなら、色々考えるっていうなら誰も傷つかない方法で解決してよッ!! なんで人が沢山死ぬ戦争なんて最低で最悪な方法しか取れなかったのさッ!! だいたい魔王母胎樹をどうにかしないとダメなのに、なんで人同士が戦争なんてする事になるの!? 」
「――あぁああああッ、それが出来てたら最初からしてるでございますよッ!! それでも父上がソラタ殿を、勇者を望んだのでございますッ!! 最初からその覚悟も準備も整えての事だったのでございますよッ!! わたくしだって、戦争なんてしたくはない、勇者召喚だってもっと各国に根回しをして同盟関係を強化してヴルカノポルコが迂闊に手を出せなくなってからするればよかったのでございますッ!! でも、それを待ってたら別の国が勇者召喚を成功させるかもしれなかったから、仕方なく強行した、その結果が今でございます、時は戻らないもう後戻りはできない、だから――もう止まれないのでございます」
「……ねぇ、トレイクハイトちゃん。ボクは世界を守る為に呼ばれたんじゃないの? だったらどこの国が勇者を召喚しても良かったんじゃないの? ……なんで王様はボクを、勇者を望んだの?」
息を荒げるトレイクハイトちゃんはたぶん泣いていた。
被っている壺からポタポタと水滴がこぼれていたから。
トレイクハイトちゃんだって人が死ぬのは嫌なのは痛い程分かった。
プラテリアテスタの国に住んでる人たちの事をボクはまだ全然知らない、そんなボクでもその人たちが死んじゃうのが嫌なのだから、この国のお姫様であるトレイクハイトちゃんの思いはボク以上に決まっている。
トレイクハイトちゃんは何も答えてくれない。
「……それでもね、それでもボクはティグレさんもこの国の人たちも、ヴルカノコルポの人たちだって犠牲になってほしくない、青臭い綺麗事って言われもボクはそんな都合のいい魔法を、奇跡を起こしたいんだ。……だから、お願いトレイクハイトちゃん、みんなで一緒に考えようよ。大丈夫、きっとまだ間に合うよ。トレイクハイトちゃんやティグレさんはボクよりもずっと凄いんだから、なんでも出来るよ」
「……ソラタ殿と話しているとどうにもイライラすると思ったら、そういう事でございますか。他人を信じてやまないその眼、そのキラキラした眼は薄汚れたわたくしの様な大人には眩しすぎるのでございますよ。その眼を見ていると、自分の汚さに吐き気がしてくるでございます。……ソラタ殿、世界は、人間は人と言うものはソラタ殿が思っている以上に汚くて歪んでいるのでございますよ」
力が抜けたのかトレイクハイトちゃんがうつむいて、だらりと両手を下げた。
その様子を見て、ティグレさんがトレイクハイトちゃんを抑えるのやめて離れていった。
「ご、ごめんねボクのせいで……」
「ハハハ……、謝らないでほしいでございますなぁ、大人なのに子供に八つ当たりして、怒鳴り散らして醜態を晒し、しかも先に謝られたら大人として立つ瀬がないでございますからねぇ。わたくしも大人げなかったでございます。申し訳ないでございますよソラタ殿」
「ううん、いいよ。お父さん言ってたもの、喧嘩するのは悪い事じゃないって、謝れない事の方がずっと悪いって。喧嘩したままトレイクハイトちゃんとお話しできなくなる事の方がボクはずっとずっと嫌だもの」
「……大人でございますなぁソラタ殿は。夜も更けてきたことでございますし、遅くなり過ぎないうちに儀式場に移動するでございますよ。続きはまた明日でございます」
そう言って、トレイクハイトちゃんは転送門に歩き出した。
白い光が渦巻く転送門をくぐる手前でトレイクハイトちゃんがボクの方に振り返った。
「ソラタ殿、本気で戦争を止められると思うでございますか?」
「もちろん。ボクだけじゃ無理でも、みんなもいるもの。みんなと一緒に頑張ればなんだって出来るよ。戦争だって止められるし、世界だって救えるよ」
「フフ、そうでございますな。――ではではいくでございますよ、ティグレ殿が寝所に潜り込まないよう鍵はしっかりかけるでございますよソラタ殿ー」
トレイクハイトちゃんはどこか嬉しそうに笑ってそう言った。
ボクもトレイクハイトちゃんに釣られて笑顔になる。
転送門をくぐるトレイクハイトちゃんの後を追ってボクも転送門に飛び込む。
「――いや、私は潜り込みませんよ!? ちょっとしか」
転送門に飛び込む瞬間ティグレさんが何か言っていたような気がした。




