12・父と娘
「ソラタはどうする」
マチョリヌスの言葉にアロガンシアの手がピタリと止まった。
アロガンシア本人すら手を止めてしまった事に若干驚きながら、マチョリヌスの肩を軽く蹴り、距離を取って着地する。
不思議そうに自分の手を見つめるアロガンシアを見て、マチョリヌスは安堵した。
マチョリヌスが思っている以上に、そしてアロガンシア本人が思っている以上にアロガンシアは空太を気にかけているのだと分かったからだ。
「……父よ、何故そこで勇者殿の名が出る」
気が萎えたのか、アロガンシアから先ほどまでの殺気や怒りはほとんど感じられなくなっていた。
アロガンシアの側に歩み寄りマチョリヌスはニコリと笑う。
「ふふ、いやなに、嬉しいものだな。まさかお主がそこまで他者を気にかけているとは」
マチョリヌスはアロガンシアの頭に手をやり、優しく撫でた。
その手を振り払うでもなく、撫でられるに任せたままアロガンシアはプクッと頬を膨らませ不機嫌な顔になった。
「答えになっておらん。どういう心算があって勇者殿の名を出したかを尋ねておる」
「……そうだな、そうであってほしい、と願っただけの事。そして、我の願いはどうやら叶っていたようだ」
「……? 訳が分からぬ」
「今は分からずとも、いずれ分かる時が来よう。お主が手を止めたその理由がな」
マチョリヌスの言葉に首を傾げ、もういいとばかりにマチョリヌスに背を向けるアロガンシア。
扉を蹴り開けようとして上げた足をピタリと止める。
「妾の力を使わずにヴルカノコルポとやり合うと言うのなら、その手並み拝見いたしましょう。なれど、我が父よ。プラテリアテスタの王が討たれたとあいなったならば、妾はこの力を躊躇いなく振るう事お忘れなく。妾はたかが人如きのさえずりに心煩わされる事などありませぬので」
「元よりお主の力、借りようとは思ってはおらぬ。無論、博愛の勇者であるソラタの力もである。ソラタからは血の臭いがせなんだ。戦乱とは無縁なのであろう、人と人との殺し合いになど巻き込んではならぬ。ゆえにヴルカノコルポとの一戦が落ち着くまで、ティグレとウルスブランに魔術の鍛錬と称し、絶界聖域に籠らせてある。ソラタに聖域に満ちる魔力は毒にもなりうるが、万一にも勇者を奪われる訳にはいかぬ」
「はん、勇者を優先した結果が戦争とは。国を危機に陥れてでも、勇者召喚に成功し世界を救った、という名誉を手にしたかったとでも? 後の世に愚王と語り継がれましょうな」
小馬鹿にした様子でマチョリヌスを一瞥し、アロガンシアは扉を蹴り飛ばした。
部屋を出ていくアロガンシアの背中にマチョリヌスの大笑いが響く。
「ふははははは、さしものお主にも我が真意は分からぬか!! 大国と戦争になろうとも、実の娘に命を狙われようとも、勇者を求めたるは世界を救った名誉を求めてなどではない、言ったであろう我は王である前に一人の親であると。ただそれだけよ、ただそれだけの為に我は国を危機に陥れてでも勇者を求めたのだ。子を思う親の心は、家族を思う父の心は国よりも世界よりも神よりも重く深いのだ。愚王の誹りなぞ甘んじて受けようぞ」
「戯言を」
アロガンシアはマチョリヌスの言葉を戯言と切り捨て、それ以上何も言わずに部屋を後にした。
「ちなみに、ソラタのおる絶界聖域は修練場がある場所ではないぞ。あそこでは今、各軍団長たちが軍議をしておるからな。ソラタは勇者召喚の陣のある絶界聖域におるぞ」
ピタリとアロガンシアが立ち止まり、クルリと回る。
そして今進もうとしていた方向とは逆の方向へと歩き出す。
「別に勇者殿がどうと言う訳でもないが。うん、こちらにちょっと用をがあるのを思い出した。それだけである」
アロガンシアの顔が少し赤くなっていた様に見えた。
ツカツカと足早に歩く音が段々遠のいていく。
シンと静まり返る部屋の中でマチョリヌスはグッと拳に力を入れる。
「アロガンシアよ、見ておれ父の力を。暴嵐のマチョリヌスとあだ名された我が魔術の力を。……マッシモー、レガリア・オブ・プラテリアをここに」
別室に控えていたプラテリアテスタの宰相マッシモーがマチョリヌスの元に駆け寄り、跪いて一本の豪奢な杖を恭しく差し出す。
レガリア、神より各国の王に授けられた王権の象徴であり、プラテリアテスタでは風を象った意匠が施された杖の形をとっている。
レガリアに込められた魔力は膨大であり、魔術を行使する為の媒体としても機能する。
マチョリヌスはレガリア・オブ・プラテリアを掴み取ると、高く掲げた。
「我らが守護神プラテリアよ、我は己が欲心のままに勇者を求め、火山の神ヴルカノを崇めるヴルカノコルポとの戦を迎える事となった。我が所業を愚かと笑うならば笑われよ。その愚か者の足掻き、とくと御照覧あれ!! マッシモー、行くぞ出陣である!!」
「はっ!!」
レガリア・オブ・プラテリアを片手にマチョリヌスは威風堂々と歩きだす。
敵は万を超える大軍、プラテリアテスタの兵の数の倍は軽く超えている。
プラテリアテスタの主力は騎兵と魔術を扱う魔術兵である。
並みの魔術師一人で通常の歩兵十人ほどの戦力が期待される。
それがプラテリアテスタには五百人以上おり、魔術師のみで構成された魔術兵団は集団での魔術行使により、強力無比な戦力となる。
特にプラテリアテスタの切り札とも言える強襲魔術部隊は少数ながら魔術のみならず剣や徒手空拳による格闘技も習得しており、本来なら魔術師が苦手とする近接格闘戦すら得手とする戦闘のエキスパートである。
更に、騎兵隊を指揮するプラテリアテスタ騎士団団長は魔術と剣技を複合した技を持つ魔剣士であり、その強さは大型の魔獣すら切り伏せる事が出来る。
それらのプラテリアテスタの戦力があれば、兵数の差は補える。
だがそれは、相手がヴルカノコルポでなければの話である。
ヴルカノコルポは火山の神が納める土地ゆえに魔力を含んだ魔鉱石に事欠かない。
それゆえに魔導具と呼ばれる魔力を動力とする道具類の開発が活発であり、それらは兵器への転用も行われている。
ヴルカノコルポ軍の大半は魔導具で武装しており、個人の魔力量の多寡に関係なく一定の威力を持つ武器を使用する事ができる。
魔術を扱える者は多くあれど、それを戦闘に用いるには通常ならば長い修行が必要となる。
扱える魔術の種類を増やす、魔術の威力を高める、一朝一夕では身につかない技術を長い年月をかけて少しずつ学んでいく。
そうしてやっと魔術兵として運用できるようになるのだ。
しかし、ヴルカノコルポはその時間を必要としない。
魔術の種類も威力も魔導具によって切り替えが可能で、兵として多少体を動かせる程度に鍛えて、魔導具を装備させればそれだけで並みの魔術師以上の存在に成り得るのである。
その上、ヴルカノコルポには勇者や序列持ちはいないが、代わりに英雄と呼ばれる凄腕の傭兵が多く雇われており、その中には異世界からの転移者、転生者が数人含まれている。
転移者、転生者と呼ばれる存在は異世界の神によりこの世界に転移、転生した存在。
勇者召喚とは異なるプロセスを経てこの世界にやってきた転移者の特徴として若年である者がほとんどで十代前半から三十代半ばが多い。
転生者は基本的に前世の記憶を持ち、この世界の常識を中々習得しづらい傾向がある事で周囲から浮いてしまう事が多く、幼い内から突飛な事を言う、する事が特徴として挙げられる。
どちらも例外なく人智を越えた力やスキル、加護を有し、戦闘に特化した者ならばまさに一騎当千の兵となる。
それらの力は総じてチートと呼ばれている。




