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漬物石  作者: 文野麗
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第四話

「こんなのがまだあったとはなあ」

 二階の部屋は煙草と軟膏の匂いがした。おじいさんは老眼鏡を掛けて白髪頭を掻きむしりながら、神崎が大事に持っていた例の半紙を眺めている。僕らは灰色のカーペットの上に並んで座って様子を伺う。

「それ一体何なんだよ、じいちゃん」

「これはじいちゃんが子どもの頃いたずらして書いたやつだっぺよ。まさかおめえが持ってて、本気にしているとは思わなかっただよ」

 ふと、おじいさんは僕の方を見て、頬と目尻をくっつけるようにはにかんだ。孫との会話を他人に聞かれるのが照れくさいのだろう。

「なんだすっかり信じちゃったよ。昨日のあれ、結構頑張ってやったんだけどなあ」

「夜中に外で騒いでっから、何いたずらしてんだと思って見に行ったら、あれ、なんか一生懸命やってたからお終いまで見てただよ。いやあねえ」 

 おじいさんは顔を絞るように目を閉じ唇を締めてうつむき、髪の毛がかろうじて残っている後頭部を掻きむしった。そして躊躇いながら切り出した。

「あんだけ頑張って何にもねえってのは気の毒だし、嘘書いたのじいちゃんだから、ご褒美でもあげなきゃあな。ってわけで」

 お年寄りは身体を伸ばして右側の戸を開けた。押し入れのなかに細い身体を突っ込んで、手前の物を外に出して奥の方へ進んでいった。腹の下にポロシャツの裾が垂れ下がって揺れていた。僕がそれを眺めていると、やがてあったあったと大声が聞こえた。おじいさんは錆びたアルミの四角い缶を手に出てきた。

 玉手箱めいたそれを開けて出てきたのは、煙ではなく古い写真のようなものだった。押し入れから漂う匂いを濃くした匂いが詰まっている。

「これは俺が若い頃集めてた女優のブロマイドだよ。皆あげるから二人で分けなさい」

 僕はおそるおそる腕を伸ばし、色あせたブロマイドを手に取った。その瞬間、世界は開けた。紅色の帯を締めた和装の美人は僕の目の前で微笑みながら舞い、鮮やかな火花となって激しく燃えた。――嗚呼、このことがいかに劇的であったか。いかに奇跡的であったか。僕は語る言葉を知らない――

「ずいぶんあるな。こんな人が好みだったのか」

「まあ、そうだよ。ずいぶん集めたなあ」

「すげえなあ三好、おい」

 神崎は笑ってこちらを向いたが、あっけにとられた表情を浮かべた。無理もない。彼の眼鏡に映った僕の顔は、最高に凜々しかったことだろうから。

「神崎、これだ!」


「『海辺の貴婦人』!」

 全身すっかり日焼けした大きな男たちは声を合わせて僕らの展示のタイトルを言った。

「お前ら一応部員なんだからあんまり珍しがるなよ」

 神崎は普段の通り偉そうな態度でかっこつける。しかし内心喜んでいるのが僕には分かる。

「だってすげーじゃん」

「美人だなあ」

「着物の裾まで柄がまで細かく描いてある」

「部員っつっても俺らこんなの描けねえよ」

 クラブ発足時に神崎が名前を書かせた四人はラグビー部の連中だったらしい。低い声で感心している。

 文化祭の展示物は「海辺の貴婦人」と題した大小何枚かの作品である。絵はがきや色紙などに一枚一枚描いた。メインは二枚の模造紙に描かれた、波打ち際に佇む美人である。僕はいただいたブロマイドに着想を得て、着物を着た女性を描いた。着物は図書館で探した中で一番気に入った柄にした。神崎はモガを描いた。大正の終わりから昭和初期の頃の雰囲気が出た、リボンつきの帽子をかぶりワンピースを着た女の人を鮮やかに紙の上に表した。技巧の差は一目瞭然である。しかし僕は嬉しいのだ。一枚の絵が一から十まで僕によって描かれた。ずっとやりたいと思っていたことをとうとうやり遂げたのだ。見る度に胸が弾む。

 たくましい連中に続いて、僕の友人たちがやってきた。彼らは教室の隅の方で将棋なんかをやっている内向的な連中だが、はしゃぐときははしゃぐようだ。何かが可笑しくてたまらないといったように大笑いしながらじゃれ合ってやってきて、絵と僕と神崎を一通り褒めた後、くっついたり離れたりしながら踊るように去って行った。

 それにしても、この目立たないクラブにも見物人はやってくるものだ。途切れず部室に人がやってくる。

 ゆで卵のような丸い顔をした学年主任としわしわのカマキリのような教頭も見に来た。いつもは見られない気楽な表情で僕らの絵を一つ一つ見てくれた。教頭が人差し指と親指でへの字を作って顎に当てながら、黄ばんだ眼鏡越しにカマキリ状の大きな目を僕らの方に向けて

「君らはこのアイデアをどうやって思いついたんだい?」

と聞いてきた。神崎はもちろん即答した。

「漬物石です」

「漬物石? うまい漬物を食べたら絵のアイデアが浮かんだのか?」と学年主任は分厚い頬の肉を更に盛り上げて笑った。僕だって、得るべきインスピレーションが電車で半日かかる距離の家の押し入れに仕舞われていたアルミ缶に入ってるとは思わなかった。

 女子も何組か見に来た。神崎は顔を真っ赤にして照れており、相手にならないので僕が案内した。女子であっても作品を褒めてくれることに変わりはなくて、文化祭はどこまでも素晴らしい時間であった。

 終盤にやってきた僕のクラスの担任が、

「二人とも入れ。絵と一緒に写してあげよう」

と写真を撮ってくれた。神崎と並んで写ったその写真を見ると、つくづくこの同好会に入って正解だったと感じるのだ。

 僕らの日々が、僕らの絵になっていく。

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