不人気作をエタることを悪とする意見に対して、反論を練ってみた
まず「悪」とは何か。
ここでは「公益にとって有害なもの」を「悪」であると定義する。
不人気作でも、エタればその作品を読んでいた(読み始めた)読者の益が失われる。
そう考えると、不人気作をエタることは「悪」であると言えるようにも思う。
しかしここには、視点が一つ抜けている。
「作者のリソース」は有限であるということだ。
どういうことか。
作者が不人気作にリソース(時間や労力)を割かなければ、その分のリソースによって、人気作が生まれるかもしれないということだ。
百人が読んでいる作品をエタることによって、十万人が楽しめる作品が生まれたらどうだろう?
それは公益にとって有害だろうか?
答えは「否」だ。
よって不人気作をエタることは、悪ではない。
論点その二。
その作品を書き続けることによって、作者が著しく苦しむとしたらどうか。
作品を書き続ければ、百人の読者が一の益を得て、トータルで百の益を生み出すかもしれない。
だがそれによって作者がマイナス千の苦しみを得たとしたら、公益はマイナス九百の赤字だ。
よってこの場合も、エタることは悪ではない。
論点その三。
その作品を書き続けることによって作者が苦しむが、公益がプラスになる場合はどうか。
例えば、作品を書き続ければ千人の読者が一の益を得るが、作者がマイナス百の苦しみを得る場合。
公益としてはプラス九百の収支となる。
だがこの場合は、不公平性の問題が生まれる。
千人のために一人が犠牲になる世界だ。
よってこの場合は、千人が一人に少しずつ対価を支払うと、不公平性が解消されて望ましい形になると考えられる。
というわけで、(結論先にありきの議論の)結論。
もちろん、不人気作でもエタらせずに完成させることは、作者の矜持として立派である。
尊敬に値する。
しかし不人気作をエタらせることを悪であると叩くことは、了見が狭いか、おためごかしか、悪認定した者を正義棒で叩くエンタメに興じたいだけなのではないか。
以上、立派なおためごかしでした。
「作品を完結させることで作者に経験値が一気に入るんだ!」みたいな話はまた別問題。