大きな国の地の下で
ゆったりと時間を楽しめるこの何もしなくていい時間。
仕事のことを忘れ、ただ眼前に広がる景色を楽しめる時間。
そうしながら考えるのは、この腐った国をどう変えるかということだけだ。
腐った国とは言っているが、実際はそこまでではない。
民主政治はしっかりと執り行われているし、国民の平均所得が低い訳でもない。それに基づき、学力も高く、小学校を卒業すれば他国の大人と同等の知能を得られる。しかも、国立の小学校しかないので学費は安い。それどころか教育費という言葉が必要ではなくなった。払うのは、微量の学校設備費ぐらいだ。逆に言うとそれだけは払わせてくれと多くの声が寄せられたため、各個人の懇意に任せることとなったのが実情だ。払いたくなければ払わなくてもいいものだ。
それでも変えたいのだ。この腐った国を。
こうして育てられた子どもたちは、例に漏れずに良き職業に就く。簡単な仕事はしないのだ。それは事務や清掃などを指すが、これは代替品で補っている。自分自身が動かなくても、自動的に動くものを開発したのだ。
と、わざとらしく遠回りな言い方をしたが、それはただの機械ではないからだ。命令したことを理解し、効率化を目指し、成果をあげる。出来ることだけをプログラミングした機械と違い、かなりレベルの高いものを使用している。しかも、今まで捨てられていたものを使っているのだから、経費も安く世間に広めやすかった。
それだから変えたいのだ。この腐った国を。
人々は以前よりも良いと口を揃えて言う。それは、どんな者にも価値と権利が付与されたからだ。雑用をしないというのは意外にも色んな人に影響を与えた。どんな世界であっても、存在すら認められずに腐っていく者達が皆の役に立っている。それは本人達からしたら、仕事が有無以上に幸福を与えた。
それは、地下深くから水源が掘り出されたように、そのこと自体に幸福があるように感じていた。いや、皆の心に植え付けられていた。
それすらも変えたいのだ。この腐った国を。
さて、そろそろ休憩も終わりだ。こんな考えを持ってると知られちゃ、袋叩きにあう。いや、本当は実際にあったことがあるのだが、それでも、皆が口々に言う「目を覚ませ!」という期待には応えられなかった。それ自体は別に気にしてないのだが、それ自体を悲しく思わなかったことが悲しかった。でも、悪いとは思わない。
それでいいのだ。それでいいのだ。
こうして、また雑務に取り組む。休憩時間にこの者達の前でゆったり出来ることを楽しみにしながら。