五十日目
五十日目。僕は退屈していた。
起動してから約一か月と半月が過ぎた。この頃になると僕は部屋を歩き回ることに飽き、様々な機械の特徴や場所を覚えていた。もうホースに引っかかり転ぶことはなくなり、科学者の手を煩わせることもなくなった。
科学者は相変わらず"ココロ"の開発に熱心だ。
科学者の着ている白衣は初めて起動した時に見た綺麗な白衣の面影はなく、所々に黒いシミや目立つシワができていて不衛生だ。しかし科学者はそれらを一度も気にする素振りはなく、ずっと機械に正対している。
僕はあまりに退屈で、科学者に話かけてみることにした。
「アノ」
会話するきっかけなど一つもなかったが、科学者の気休め程度にはなるだろう。僕がそう言うと科学者は作業を中断し、「どうしたんだい?」と言う。
その表情はいつも通り笑顔で優しく、綺麗なものに思えたがよく観察してみるとどこか疲弊の混じった表情だ。
「ナントオヨビシタライイデスカ?」
これは何度か思ったことだ。初めて会った時、科学者は科学者と名乗った。それが実名ではないと知ってはいたのだが、どうも呼びにくい。いい機会だと思い、聞いてみると科学者は「ふふっ」と小さく笑みを零し、そのままの優しい笑顔で僕の手を取った。
「博士、と呼んで欲しいな」
科学者は僕の手を動かして地面に博士という二文字を書く。科学者はそう呼んでほしいと言ったので、僕はこれからそう呼ぶようにした。
「ハカセ」
「どうしたんだい?」
言われた通りに呼ぶと、博士は嬉しそうに言った。
「ドウシテ、ボクヲツクッタノデスカ?」
呼んでしまった以上、どうにか話を続けようと疑問に思ったことを聞くと、博士は僕の質問にどこかばつの悪そうな顔をして、目を逸らした。その視線の先には先程まで触れていた機械の数々。しかし博士は作業に戻ることはなく、僕の隣に座った。
「うーん、どこから話したものか」
僕も全身を使ってその場に座る。座り終えたところで博士を見ると、それに気づいて恥ずかしそうに笑った。
「…生き甲斐が欲しかったんだ」
「イキガイ?」
僕は博士が才能に溢れた人間だと理解していた。様々な種類の機械に様々な種類のプログラミングを不得意なく操作していく頭脳はまさにそれだ。博士は所謂天才と呼ばれる人種なのだろう。
ただそんな博士が生き甲斐を求めているのが不思議だった。博士には博士なりに、"ココロ"を作るという目標があるのに。
しばらく博士が生き甲斐を求めている理由を考えていると、博士は足を抱え込んで、顔を俯かせた。
「私は孤独だったんだ。様々な未知を見つけ、解明し、それに対処できる方法を見つけた。それを応用する技術を身に着けた。ずっとそうやって生きていたんだけどね」
次第に声が低くなっていく。表情は見えないが、博士は悲しい表情をしているのだろう。顔を見ていなくても、今にも泣きだしそうだと分かる。
「私と一緒に歩んでくれる人がいた。進んで、進んで、もっと進んでいくうちに、彼らを置いていってしまった。彼らが科学者として劣等感を抱いているのを気づけないままに」
それはきっと、博士が天才だったからだ。その時を知っているわけではないから確信は持てないものの、博士についていけるような才能の持ち主は数少ないはずだ。
同じ分野を進み、同じ未知を追い求める者が先の見えないさらに遠くに行ってしまったとしたら、圧倒的な差に絶望し、そこまで辿り着けないと諦めてしまうこともあるだろう。博士はその気持ちに気づけなかったと言う。
「だから、もう一度やり直したかった。誰かと話し、精進し、一緒に笑いあえる日を。その為に私は君を利用しようとしている。本当にごめん」
謝られる謂れなど無い。元より僕は博士に造られたのだから、博士の好きなようにしてほしいのだ。博士が僕を造りたいというのなら、僕は博士に造られることが一番の幸せなのだ。
「"ココロ"ガアレバ、ハカセトイッショニイラレマスカ?」
博士は俯かせていた顔を上げて驚いた表情を見せた。その頬には涙が伝っている。博士はしばらく僕を見つめた後、頬の涙を白衣で拭って微笑んだ。白衣に滲みついていた黒いシミが博士の頬に移ってしまっている。
「もちろんだよ。ずっと一緒にいよう」
そこで初めて、僕は"ココロ"を欲しがった。




