「ぼくはバーチャルユーチューバーになった(U)」
「ねえ知ってる?」
「ん? なになに?」
「この前話題になってたバーチャルユーチューバー」
「ああ、Twitterのトレンドになってたやつ……?」
「そうそう、それそれ、見た?」
「え……っと……見てないんだよね。だってさぁ……」
「ウソー、私見ちゃったんだよ、ちょっと、見てよ本当」
「う、うーん……」
「わかった、じゃあ一緒に見よう、私二度目だから大丈夫。ね?」
「う、うん……」
そう言うと友人はファーストフードの席でスマホを取り出した。
イヤホンをジャックに挿して、私と友人で片耳ずつ着ける。
「じゃあ、再生するよ」
「……うん」
可愛らしい女の子キャラのサムネイルをタップすると、画面が広がり動き出した。
画面の右には高速でチャットが流れていく。どれもこれも、好きなアイドルに生で会えたかのように興奮した言葉が綴られている。
しばらくすると、画面の中央に陣取った女の子キャラが小刻みに動き、控えめに流れている緩やかなBGMに少しのノイズが入る。
『はじまった!』『キター!』とチャットの興奮も最高潮だ。
『どうもこんにちはー、あ、もうこんばんはの時間ですねぇー』
舌っ足らずで、いかにも、といった声で画面の中の女の子が話し出す。
「えっと、とりあえず例のところまで飛ばすね」
その言葉を無視して、友人はコメント欄を探る。
「えっと、例の場所例の場所……53:13ね」
コメントにはご丁寧にいくつかのタイムリンクが書き込まれている。友人がそれをタップすると、3時間以上ある生放送のアーカイブの、三分の一ほどにシークバーが飛んだ。
『はぁー、いっぱいおしゃべりしちゃったねぇー』
画面の少女は、少し話し疲れたようにため息をついて、生放送は締めに入っているように聞こえる。けれど、この動画は3時間以上。
Twitterで話題になっていた「アレ」が本当なら、「本番」はここからだ。
ドゴッ!
急にイヤホンから大きく不快な音がする。
何かを殴ったか蹴ったような音だ。
『おい! 何時だと思ってるんだ! いい加減にしろ!!』
壁か扉を隔てた向こうから聞こえるような籠もった声だったが、明らかに激怒しているのがわかる。
『あっ、ちょ……えっと、みんなごめんねぇー、ちょっと、えっとぉ』
女の子の眉が下がり、困ったような表情になる。
『おい! 返事をしろ! 何やってるんだ!!』
『あ、あのぉ……え、あ……』
キャラの目がぐるぐると動き出す。視点が定まっていない。
『クソッ! 入るからな!!』
ドガァン!
先程の倍くらいの音がする。私は思わず飛び退いて、椅子の背もたれにぶつかってしまう。
「ほらほら、ここからだよ」
友人がニヤニヤしてこちらを見てくる。
『なにをやって……なんだこの機械は!!』
『ちょ、とうさ……やめ……』
『こんなものを買える金を渡した覚えはないぞ!! やはりお前だったか!!』
『あ……う……ごめ……』
ボイスチェンジャーを使っていたのか、乱入していた人間の怒号がテレビの警察ドキュメントで流れるような少し高い声になっているのが滑稽だ。
『ふざけるな! ただ引きこもっているだけならまだしも! 親の金を盗んでなんだこれはァ!』
『これはその、今……配信をしてて、僕のファンが……そう、一万人以上のファンが!』
『バカか!』
パァン! という先ほどとは種類の違う大きな音が聞こえる。
『最近何かコソコソやっているかと思えば、下らない!! その上こんな夜中に近所の迷惑も考えず!!』
『くだ……ら……』
もう一度パァンという音。そしてガタガタッと何かが倒れ込むような音。
「これぜったいビンタされてコケたでしょ」
友人がニヤニヤしている。私は曖昧に笑って返す。
『明日全て捨てる! 盗んだ金は働いて返してもらうからな!!』
しばらく口論にもならない一方的な説教とたまに大きな音を倒れたマイクが遠目に拾い、おそらくは父親であろうその人物の言葉を最後に、ただただすすり泣く声が聞こえていた。
あれほど熱狂していたチャットのファンたちは『親フラwwww』だの『盗んだ金でバーチューバーかよ』だの『やっぱ男やんけ!』だの、別の方向で大フィーバーだ。
「で、次がここかな」
友人がまた、コメント欄のタイムリンクをタップする。
時間は1:55:21、たっぷり一時間近く飛ばしたことになる。
父親の乱入から、ずっと斜めになって動かなかった少女のキャラクターが、ゆっくりと直立した。
『あの……ええと……』
画面の中の少女は、また視線を惑わせながらおずおずと話しだした。
『わたし、気づきました……』
チャットには『今更女の子ぶるな』とか『親の怖さに?』とか茶化す言葉が流れ続ける。
『いくらバーチャルユーチューバーになっても、身体がここにある限り、やはり次元は超えられないんです』
少女は顔を伏せ、袖で目元を拭う。
『僕の生きている世界はこの向こうで、私の生きている世界はここなんです』
画面の外、こちら側と、彼女自身を指差して、そう言う。
『ここで生きるには、こちらで生きては、ダメ、です』
ガタッ、と小さな音がする。
それからしばらく、ガタガタと何かを運ぶような音が配信に乗り続ける。
画面の中の少女は、リンクすべき主を見失ったのか、また動かなくなっていた。
「そしたら、これで最後だね」
友人がニヤニヤとコメントのタイムリンクをタップする。先程からすると十数分後の位置だ。
少女のキャラクターが、少しだけ動いた。
『それじゃあ、これからもよろしくおねがいします。よろしければ、チャンネル登録をしてくれると、嬉しいです』
少女の姿が上に動く。
それまで腰あたりまでしか見えていなかった姿が、全身になり、そのまま登り続けて、ついに首から上が画面外に出てしまう。
『じゃあ、今日の生放送はここまで。みんな、バイバイ』
ガタンッ、と何かを蹴るような音がして沈黙が流れる。
「少し大きくするね」
友人が音量を上げると、小さく『キィ、キィ』と何かが軋んで揺れるような音がかすかに聞こえる。
画面では、少女の首から下が左右にゆらゆらと振り子のような姿を晒し続けていた。
「そんで、この『中の人』はこの後、トレンドに載っちゃったわけだけど」
「本当にこれ、首吊ったの?」
「まあ、その辺の真実はわかんないけどね……少なくともこの日、自殺したバーチャルユーチューバーの子がいたっていうのは確か」
「……見るんじゃなかったなあ」
「何言ってんの。まだ終わりじゃないんだから」
「えっ、さっき終わりって」
「この動画はね。これは有志がアップしたアーカイブだから違うんだけど、この人のチャンネル、どうなってるか見たくない?」
「えー……コメントがめちゃくちゃ荒れてるとか、っていうかアカウント削除されてないの?」
「それがさ……」
友人はそれ以上何も言わず、トップページから登録チャンネルを開き、先程の少女が描かれたアイコンをタップする。
「……嘘」
「面白半分にチャンネル登録したんだけどさ……どうやっても解除出来ないんだよね……」
「それはともかく、こんなの偽物かいたずらでしょ!?」
画面では、現在LIVE中! の表示がされた動画の窓の中で、先程揺れていた少女がにこやかに話していた。
「あの日から、24時間、一秒も休まずに、ライブを続けてるんだって」
「そんなワケ……」
画面の中の少女が、こちらに向けて微笑む。
『あ、はじめましての人がいるね? こんにちはっ!』
私は、イヤホンを投げ捨てると、店を飛び出した。