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『ちはやぶる』  作者: 八神 真哉
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第八十六話  窮地

――が、郎党は足を止め、あわてたように振り返った。


そして叫んだ。


「兼親様の大太刀が!」


その声に国親の気がそれた。


足元の太刀を掴み、手首を返した。


太刀は冷たい空気を切り裂き、郎党の胸に吸い込まれた。


意外なことに、崩れ落ちる郎党を目にしても国親は冷静だった。


焦りひとつ見せず、イダテンに目をやるだけで行動も起こさなかった。


白い雲が流れ、枯草が風にそよいだ。国親が静かに声をかけてきた。


「どうじゃ、わしと組まぬか?」


夜目の利かぬ国親は、背負子に括りつけられた兼親の大太刀に気がつかなかったのだろうか。


いや、この男に限ってそれはあるまい。


たとえ目視できなかったとしても、郎党の発した言葉から何があったかを的確に理解しただろう。


背の高い男に目配せして一歩前に出る。


「いつまでも、このような地で燻ってはおれぬでな。わしについて損はないぞ……」


にやりと笑う。


何事もなかったかのように。


欠けた者がいるなら補充すれば良いではないかとでもいうように。


おまえを手に入れることができれば儲けものだとでもいうように。


「がてんが行かぬか?」


断られることを承知で口にしているのだ。


男をイダテンの背後に回すために刻を稼いでいるのだ。


そのおかげで呼吸は楽になったものの、相変わらず膝は震え体に力が入らない。


弱みを見せまいと国親を睨みつけ、口の中にたまった血を吐き気を堪え飲み込んだ。


「われらは、国衙の役人の要請に応じ、国司の邸に押し入った山賊どもを討っただけじゃ」


国親は続けた。


「……国司様の威光を知らしめるため、他国に先駆け、この国の山賊、盗賊どもを殲滅いたしてはいかがでしょう。この国親に命じていただければ、と先日、言上したのだ。……が、国司がそれを自慢げに吹聴したゆえ、それが山賊どもの耳に入った」


一息入れて淡々と続けた。


「追い詰められた山賊と盗賊は徒党を組み、国司の邸に押し入った――邸に引き入れたのは、やつら同様、国司に不満を持つ鬼の子――と言う筋書きよ。……わしと組むなら書き換えてやろう」


イダテンと山賊どもが国司の邸を襲い、皆殺しにしたあげく、火を放ったと言い抜けようというのだ。


またしても罪を押しつけるか――そして口を封じるか。


「だれぞと利害が一致したのだな」


国親は、一瞬目をみはり、そして冷ややかに微笑んだ。


「頭の巡りも良い……が良すぎる奴は使いづらい」


イダテンを見下ろす血色の目に三日月が映りこんだ。


「冥途の土産に教えてやろう。ささらが姫がいなければ、と願っている方がおられるのだ」


老臣の言葉は正しかったのだ。


「こたびの山賊退治で、わしは、都に迎えられる。すでにさる方の家人になった。しかるべき官位につけるとの約定も交わした。だが、そのようなものはわしにとって足がかりにすぎぬ」


と、口端を上げた。


笑っているのだ。


「わしの望みは征夷大将軍じゃ。名実ともに武家の棟梁よ。『たわけたことを。下衆の武家の分際で』と、嘲笑する者もおろう……が、必ず上り詰めて見せよう。どのような手段を用いてもな」


――出世のために殺したか。


三郎を。


ミコを。


罪もない者を。


怒りが体を突き動かした。


叫んでいた。


横に飛んで手斧を掴むと五体を躍らせ、国親の頭上に跳んだ。


体を前に回しながら頭を狙って手斧を振るった。


だが、届かなかった。


情けないほど動きが鈍い。


手斧の側面を大太刀で打たれ、肘にしびれが走る。


着地の際に左足の衝撃を和らげるために転がった。


手斧を握り直し、国親が下手から回してきた大太刀を跳ね返した。


火花が散った。


足の痛みと頭の疼きをこらえ、国親の懐に飛び込んで、腹をめがけて手斧を叩きこんだ。


かろうじて弾き返しはしたものの国親の動きも鈍い。


五尺を超える大太刀があだとなり、傷を負った腕が痛むのか、よろけながらあとすざった。


ここぞとばかりに踏み込んで手斧を振り抜いた。


今度こそ手ごたえがあった。


が、それは身を挺して主人を守ろうと割り込んできた男の左腕に与えたものだった。


それでも、男は叫びながら、右手一本で太刀を振り回してきた。


それを弾き、続いて打ち込んできた国親の大太刀を左にかわしざま、男の腰を手斧で打ち砕いた。


男は、体を二つに折って後方に吹き飛んだ。


雲が流れ、月が姿を現した。


三日月から弓張月へと満ちていく。


「良将。力で押し込め」


国親が、一人残った背の高い男に声をかけた。


男の衣は裂け、血がにじんでいる。


先ほどイダテンに太刀を振るってきた時に傷ついたようだ。


男は、あきらかに怯えていた。


まさか自分たちの方が追い込まれるとは思ってもみなかったのだろう。


それでも、主人の命令に従いイダテンと対峙する。


一方の国親は、余裕ありげに、にたりと笑った。


「手負いの姫を放っておいてよいのか? 急がぬと手遅れになるぞ」


はったりだ。


近づこうとした男は串刺しにした。


気を散らそうとしているのだ。


そう思いながらも、国親の自信ありげな表情に、姫を置いた崖下の窪みに目をやった。


それを待っていたように良将と呼ばれた男が太刀を振り下ろしてきた。


反応が遅れ、柄で受けた。


樫でなければ、柄ごと切り裂かれていたかもしれない。


逆に相手の太刀が曲がっていた。


だが、相手もひるまない。


背丈の差を利用して上から太刀を押し付けてきた。


足の痛みをこらえながら姫に目をやるが、月明りの届かない場所に置いたため姫の表情は読み取れない。


背を丸めている様子は苦しそうにも見える。


視線を戻すと、国親は男の背後に隠れていた。


思ったより深手を与えたのか。


ならば、右手から回り込み……。


そう思ったとたん、胸もとにぶら下がっていた鏡が耳障りな音をたてた。


同時に、肩に衝撃が走った。


見ると血に濡れた太刀が左肩に突き刺さっていた。


――避けられぬのも無理はない。


太刀は思いもよらぬところから伸びていた。


イダテンと鍔迫り合いをしている男の腹から突き出ていたのだ。


男の衣が見る間に血で染まっていく。


火の出るような疼痛が襲って来た。


倒れたら、そこで終わる。


力を失った男の胸を押しながら後ろに下がった。


こめかみに青筋を浮かべた国親が男の脇から、睨みつけてきた。


「浅かったか」


「……国親様」


男は、自分の腹から突き出たものが何であるかに気がついたようだ。


「まさか、鎧を脱げと、お……」


うつろな目で後方に立つ国親を追おうとする。


「待ち伏せするのに具足の音がしてはならぬ……ただ、こういった使い方もできると言うことよ」


国親が誇らしげに唇の端をあげた。


男の手から太刀がこぼれ落ちた。


「後の憂いはいらぬ。おまえの子は、いずれ郎党として取り立ててやる」


国親は男を足で前に蹴倒し、太刀を引き抜くと同時にイダテンめがけて振り下ろした。


血糊と紅い髪の毛が宙を舞った。


「人を挟むとなかなか急所はつけぬのう。さすがに事前に試してみるわけにもいかなんだが」


いや、狙いは正確だった。


母の形見の鏡がなければ、今頃は骸をさらしていただろう。


この男も壊れているのだ。


配下の命を奪っておきながら、おのれの策に陶酔している。


長引かせるほど不利になる。


空を見ると、厚い雲が月を隠そうとしていた。


足元には、腹を貫かれた男の太刀が転がっていた。


闇が国親の背後から忍び寄る、その瞬間を待って手斧を捨てた。


太刀に手を伸ばし、片腕だけで薙いだ。捨て身の前傾で。


それは両手で振るうより遥かに先まで届いた。


肉を裂く感触が伝わってきた。


抑えられてはいるものの獣のようなうめき声が聞こえてきた。


風が雲を押し流した。


欠けた月が姿を現し、片手をついて、うずくまっている国親の姿を照らし出した。


袴が血に濡れていた。


その顔は怒りに歪んでいた。


――何を怒っている。


罪もなく、お前に殺された者たちの恨みや怒りに比べれば何ほどのことがあろう。


止めを刺そうと足を踏み出したとき、後方で物音がした。


続いてかすかなうめき声が耳に届いた。


振り返ると、姫が背負子ごと横に倒れていた。


あわてて駆け寄った。腰に矢が突き刺さっていた。


袿が血で濡れている。


おのれの迂闊さに腹が立った。


この荒れ地に入ってから射られたのではない。


前の道を横切ったときに射られたのだ。


幾重にも衣を重ね、さらに毛皮を羽織っていたためか、深くは刺さっていないように見える。


いや、腰の骨に当たって止まったのであれば骨が砕けているかも知れない。


姫の手から、小さな白い花がこぼれ落ちた。


血の気がひき、汗が浮かんだ額に、乱れた髪が貼りついていた。


呼吸も乱れている。


一刻も早く隆家の邸に届けて、薬師の治療を受けさせねばならない。


だが、矢が刺さったままでは、獣道どころか山道を走ることさえできない。


枝などに当たれば傷を深くしてしまうからだ。


かといって、抜いてしまうと、より血が流れる。


丸薬を一粒、姫の喉の奥にねじ込んだ。


痛みがやわらぐまでにはしばらくかかる。


落ちていた矢の軸を重ね、端布を巻き、口に咥えさせ、尻で腰を押さえつけ、危険を承知で刺さった矢の軸を短く折った。


喰いしばった歯から声が漏れる。


血の気の引いた顔に涙と汗がにじんだ。


矢を折った後、その穴から毛皮を抜き、開いた穴に縄を通してたくし上げた。


矢の刺さった個所の衣を十文字に裂いた。


見た目より遥かに重い守袋を姫の首から外し、背負子に結びつけた。


蹄の音が耳に届く。


国親がうずくまっていた場所に目をやるが、すでにその姿はない。


洞窟か祠の陰にでも隠していた馬で逃れたのだろう。


自らの肩の傷は、倒した郎党の衣を裂き、幾重にも巻きつけ、押さえつけてごまかした。


隆家の邸まで持てばよい。


が、足は限界に近く、肩は空の背負子を担ぐのさえ辛い――姫を背負って、馬木までたどり着けるとは思えなかった。


もはや選択の余地はない。


最後の丸薬を口に放り込んだ。


    *



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