第八十一話 呪符
眠りをさまたげられた猿たちの奇声が響きわたる。
義久と姫は凄惨な光景が繰り広げられているであろう方向に目をやっていた。
「これで、しばらくは刻がかせげよう」
イダテンの言葉に、姫は胸の前で袖を重ね、義久は、あきれたようにため息をついた。
「……おまえといると退屈せぬな」
義久の言葉にはかまわず、折りたたんだ油紙を懐から取り出す。
近くの岩に腰を下ろすと、姫も、かたわらに腰を下ろした。
義久は、対面の木陰下の岩に銀装の大太刀を立て掛け、そこに座った。
義久の顔色もイダテン同様に悪い。
油紙を開き、呪符を取り出す。符だの中ほどは空白になっている。
義久に向け、呪符を五枚ほど差し出した。
「利き腕がしびれておる。この符だに、おれの血を使って文字を書いてくれ」
「なにをしようというのだ?」
姫は黙ってイダテンと義久の話を聞いている。
「こいつは『身代わり符だ』だ。特別な力が封じ込めてある」
義久が、呆けた顔で「なんだそれは」と口にする。
「この符だに血で文字を書くのだ。人の声を聞くと、この符だは血文字の主の姿をとり、ただ一度、その者そっくりの声で、書いたとおりのことを答える……これを崖の上から風に乗せて流せば、谷底や、対岸の山中にたどり着くだろう……うまく使えば、追手を分散できる」
姫が驚いたように呪符に目をやった。
「おお、聞いたことがある。おまえの母者は巫女としての力に加え、都から来た陰陽師を赤子扱いするほど呪法に優れていたと」
イダテンは、それには答えず、急かすように、衣が破れ血が流れている右肩を義久に向かって突き出し、
「紙にはさみ、懐に入れているうちは反応しない」
と、つけ加えた。
義久は腰を上げようともせず唇を曲げた。
「わしは字がへたでな……それに筆を持っておらんぞ」
姫が立ち上がり微笑んだ。
その衣から、ふんわりと香しい匂いが漂ってくる。
一瞬とはいえ、ささくれ立っていた気持ちが癒された。
「なんと書けばよいのです?」
義久が、あわてた様子を見せたが、姫は気にする様子もなく、イダテンの熱を帯びた額に白く細い指をあて、流れる血を、そっと掬いとった。
冷たい指が心地よかった。
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