第八十話 神に守られし者
正面から矢が降り注いできた。
馬は暴れ、あわてた兵が逃げようとして混乱に拍車をかけた。
馬や人が倒れる音がする。
馬に体を寄せられれば避けるすべはない。
「動くな!」
「伏せろ!」
「馬から降りろ」
懸命に繰り返すが、恐慌をきたした者どもの耳には入らない。
再び、闇を切り裂く音が聞こえた。
まわりの兵や馬が次々と倒れた。
悲鳴や呻き声が聞こえてくる。泣き叫ぶ者もいる。
馬の下敷きになった者も崖から転落した者もいるだろう。
修羅場だった。
闇夜に近い状況がさらに恐怖を膨れあがらせる。
経行は唇を噛んだ。
自分はここで命を落とすのだろうか。
こたびの戦で初めて馬に乗ることが許された。
馬は玉利様のものだが、これで堂々と武者として名乗れる。
領地ではないが、稲葉と言う地の収穫の一部も経行の物になるという。
早くに連れ合いをなくし、自分達を食わせるために、ろくでもない男のもとに嫁ぎ、苦労してきた母に楽をさせることができる。
そう思った矢先にこれだ。
立て籠もった山賊どもを退治するための後詰だと聞かされていた。
それがどうだ。ひとつの郷を埋め尽くすほどの軍勢が、はせ参じていた。
山賊どもへの備えではないことは童でもわかる。
そこへ、軍議に参加していた主人が、興奮を隠しきれぬ様子で戻ってきた。
急ぎ、この道を進み、怪しげな者どもがいれば躊躇なく討て、と。何の説明もなく、だ。
もっとも、見当はつく。
この道は国司の親族、隆家様が住む馬木に続いている。
国司の家族、郎党が落ち延びようとしているか、こたびのことを早々に察知した隆家様が、物見を出してきているかだ。
主人の様子からすれば前者だろう。
とは言え、あれほどの軍勢に囲まれながら、落ち延びることなど出来るはずがない。
ならば取り囲まれる前に邸の外に出ていたのか――いや、理由など、どうでもよい。
首尾よく討てば桁違いの報奨と出世が手に入る。
皆がいきり立った。
だが、追手は我々だけではなかった。
なにより、進めば進むほど奇妙なことが待ち受けていた。
穴が開き、落ちかけていた蔓橋。
崖崩れで塞がれた道。
下敷きになった馬や兵。
天を照らすほどの閃光と地鳴りを思わす振動。
無人の館。
いまだくすぶり続ける、谷をまたいだ巨大な砦とおぼしき残骸。
焼け焦げた岸壁。
そして黒こげになったいくつもの骸。
矛を手に累々と転がる屍。
あの砦らしき場所には、一体どれほどの兵が詰めていたことだろう。
それを殲滅し、進んでいった者がいるのだ。
――そして、この降り注ぐ矢だ。
追っている相手が山賊などであるはずがない。
ましてや国司の一族郎党などであるはずがない。
なにより、月が一夜のうちに消え失せてしまうなど聞いたことがない。
我々の所業は、神の怒りをかっているのではないか?
いや、そもそも、我々が追っているのは神そのものか、神に守られた者たちではないのか。
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