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『ちはやぶる』  作者: 八神 真哉
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第六十二話  待ち伏せ

イダテンは、追手が通るであろう崖下の道に目をやった。


道まで二十五丈というところか。


斜面の多くは岩で覆われており、松や灌木が点在している。


かたわらには義久から預かった兼親の大太刀がある。


身を切るような冷たい風と砂埃が眼下から吹き上がる。


目を細め、岩の窪みに身を隠した。


すぐ横には小さな繁みがある。吐く息が白い。


今年は閏弥生があったとは言え、霜月上旬の寒さとは思えなかった。


隣では、しゃがみこんで身を縮めた姫が寒さに震えていた。


うっかりしていた。人は自分より遥かに弱い。


「後ろを向いて両の手を広げろ」


と言うと、姫は、きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに従った。


熊の毛皮を羽織らせ、首に巻いた二枚のうち竜胆色に染められた麻布を姫の衿もとに巻いてやる。


華やかな絹の衣にはつりあわないが、やむを得ないだろう。


「あなたが寒いのではないのですか」


「おれは毛深いからな」


そっけなく返した。


姫は、その態度を気にする風もなく、目を閉じて口元に笑みを浮かべ、竜胆色の麻布に顔をうずめた。


しばらくすると松明をかかげた追手の一団が近づいてきた。


道が狭いため行列になっている。


松明は六つ。義久がうまく丸め込んだようだ。


義久は、追手を自分たちと逆の方向――畑賀に向かわせよう、と提案したが、イダテンはこの谷に誘いこむように指示した。


いかに勢力を誇り、権謀作術に長けている国親であろうと、姫に落ち延びられては面倒になる。


しかも、あれほどの陣容である。


本命の道とみなさなくとも数百は投入してくるだろう。


この先にも兵を伏せていよう。


もっとも怖いのは逃げ場のない峠道での挟み撃ちだ。


ゆえに、追手の兵たちには、うかつに近づけぬ、と思わせておきたかった。


足の状態は、それほど悪い。


しかし、義久には足の話はしなかった。


悪い条件が揃えば揃うほど裏切る可能性が高くなるからだ。


追手の兵と示し合わせられれば防ぐ手立てはない。


義久には、蔓橋を通り過ぎ、峡谷の道を進んできた最初の武士団に、姫の潜伏先を突き止めたものの逆襲を受け、ただ一人生き残った兵、として振るまえと伝えた。


なにより、忘れてはならないのは次の言葉だ、と。


「姫の首は一つしかないのですぞ。手柄を得られるのは、たった一人。急ぎましょう」


峡谷沿いの道は曲がりくねり、切り立った崖にさえぎられ、月の光が届かない場所が多い。


逃げる相手に、自らの居場所と全貌を知らせたくはあるまいが、人間は欲に弱い。


松明をかかげて列を作り急ぐだろう。


あえて、後方の二、三人を生き残らせるつもりだった。


後続の武士団にその恐ろしさを知らしめるためにも。


蹄や具足の音が聞こえてきた。


「見えますか?」


姫が、ささやくように聞いてきた。


「騎馬武者が六。徒歩が五……六といったところだ。あとのものは、馬の足について来ることが出来なかったのだろう」


足の遅い徒歩や乗換馬を待っていては、手柄は逃げていく。


「わたしには見えません」


「そのほうがいい」


耳を塞いでおけ、と忠告して左隣の赤松に目をやった。


根元には大量の丸太が積みあげられている。


材木に回された二本の縄がかろうじて崖下への転落を阻んでいた。


縄は上にある二股に分かれた太い枝に延び、折り返して根元に回している。


イダテンは、ゆっくりと息を吸いこむと、根元に回された縄をめがけて手斧を振るった。


手斧は鈍く重い音をたて、幹に突き刺ささり、縄を断ち切った。


支えを失った丸太が、雪崩を打って落ちていく。


それらは、ぶつかり合い、鐘を打つかのように岩を叩き、砕き、跳ね上がった。


轟音が耳をつんざき、脳を揺さぶった。


さらに、崖の途中にあった岩や土砂、立ち木を巻きこんで、山崩れのように大きくなって追手を襲った。


その轟音と地響きに、馬たちは次々と棹立ちとなり、馬上の武者を振り落した。


巻き添えを食って尻を突き、崖を見上げた徒歩は、目にした状況を口にする暇もないまま丸太の直撃を受けた。


丸太は次々とそこにいる者をなぎ倒し、谷底へ追い落とした。


遅れて岩が、そして倒木や土砂が馬や人を飲み込み谷底に落ちて行った。


青白い月の下、谷風に煽られ、大量の砂埃が舞い上がる。


それは、まるで意志を持ってでもいるかのように蠢きながら巨大に膨れ上がり、夜空を覆いつくした。


イダテンの横で姫は身を震わせていた。


その理由が寒さだけではないことは、姫の目を見れば明らかだった。


このような仕掛けで人の命を奪うイダテンを怖れているのであればよい。


だが、自分のために次々と人が死んでいるのではないか、という罪の意識にさいなまれているとしたらやっかいだ。


「おれの住処は、この近くにある。人が襲ってきたときのために準備をしていたのだ」


お前のためにやったのではない、と言外に伝えた。


だが、自分一人なら、このような仕掛けは作らない。逃げればすむことだ。


この仕掛けは一年半前、おばばが大けがを負った時に考えた。


実際に丸太を運んだのは昨夜のことだ。


     *


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