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『ちはやぶる』  作者: 八神 真哉
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第六十話  恩賞替わり

確かに追手が、この状態を見れば、姫とイダテンが後を追われぬよう葛橋を落とし、畑賀に続く道に逃れたと考えるだろう。


裏をかくには良いが、あの橋を渡る気にはなれない。


まさかとは思うが、こやつの行動は常に予想を上回る。


「もしや、この谷を、姫様を連れて昇り降りするつもりではなかろうな?」


イダテンは、義久の問いに答えるでもなく荒れ地の先に目をやっている。


一層、声を張り上げ、


「無理じゃ、無理じゃ、無謀というものじゃ。姫様に何かあったらどうする? 少々、遠回りになろうと、この道を進むべきじゃ」


と、にらみつけたが、平然と返してきた。


「馬は対岸の道でも調達できよう」


こわっぱのくせに見透かしたような口を利く。


しかも、こちらの問いに答えていない。


「わしの話を聞いていないのか」


義久の怒りを察したように姫が声をかけてきた。


「イダテンに考えがあるのでしょう。まずは訊いてみませんか?」


いさめているつもりなのかもしれないが、それは逆効果だ。


イダテンの力を認めることはやぶさかではない。


だが、姫が信頼しきっているということに腹が立つ。


「あのような馬は二度と手に入らぬものを」


ふん、と鼻をならし、未練を口にした。


「……であれば、こちらをもらおう」


首を奪った兼親の前にしゃがみ込み、握りしめていた大太刀に手をかける。


「兼親には過ぎた太刀じゃ」


刃についた血糊を兼親の袖で拭き取り、転がっていた銀装、虎皮の鞘に収めた。


さすがに阿岐一国を、ほぼ手中にした宗我部家の大太刀だ。


惚れ惚れとする拵えである。


見かけばかりではあるまい。


間違いなく名匠の手によるものであろう。


ただし、兼親の大太刀は六尺とずば抜けて長い。


重さも桁違いである。正直なところ義久の手には余る。


「国親の太刀も手に入れたいものじゃ」


「……その様なことは」


姫が眉根を寄せ、たしなめてきたが聞こえなかったふりをした。


勝ち戦であれば、こやつの首は領地に値する。


しかし、その恩賞を出すものはこの世にいない……代わりに、太刀の一つや二つ奪ったところで何ほどのことがあろう。


こいつを売り払い、母者と三郎、そして、おじじのための墓を……五輪塔を建てて何が悪い。


「おまえ、顔は広いのか?」


イダテンが唐突に訊いてきた。


背に回した大太刀の下げ緒を結んでいた手を止め、


「目上の者に対する口の利き方を知らぬのか」


と、いいながらも、ほくそ笑んだ。


姫に武勇伝を披露できるというものだ。


姫に向き直る。


「山賊退治の小太郎義光(よしあき)……おお、これは海田での名でしてな……といえば、ちょっとしたものだったのですぞ。赤穂峠にねぐらをかまえておった山賊どもを……」


「では、竹馬には乗れるか?」


イダテンが話の腰を折った。


腹は立つが、姫の手前、強引に話を戻すわけにもいかない。


「こわっぱの遊びでも始めようというのか? そのたぐいのものであれば、わしにかなう者はおらなんだ」


「苦手なものもあったのではありませんか?」


姫から切り替えされるとは思わず、少々うろたえた。


「……いや、まあ、弓に関しては一番とはいきませなんだが」


ちらりと横目で様子をうかがうと、姫は月を仰ぎ見ながら素知らぬ顔で微笑んでいた。


からかい方も堂に入ったものだ。


いくつであっても、おなごはあつかいづらい。


「馬は乗せてもらえなかっただけで、今では、ちょっとしたものですぞ」


これは本当だ。


だが、イダテンがまたも話をさえぎった。


「竹が、その先に生えておる」


     *


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