第五十三話 ろくでなし
道隆寺参道手前の坂道を、甲冑に身を包んだ武者が次々と蹄の音を響かせて駆け抜ける。
伝令のあかしである背中の旗がちぎれてしまうのではないかと思うほどの勢いだ。
鞭を入れられた馬は、泡を吹かんばかりである。
寺に陣が敷かれているのだ。
国親がいるのではないかと覗いてみたが、立っている旗の中に宗我部の物はなかった。
意識は取り戻したものの放心状態が続く姫は、後方にある鎮守の杜に置いてきた。
人が入ってはならぬ場所である。
敵も探しには来ぬだろう。
筒袋の物入れから油紙の包みを取り出す。
それを開くと十粒ほどの丸薬が現れた。
四粒とって一粒を口に、残った三粒を帯からさげた袋に入れた。痛みどめだ。
油紙をしまいこみ腰に手挟んだ手斧を引き抜いた。
束ねて腰に結んでいた縄をほどき、手斧の柄の先の穴に通す。
賭けに出ることにしたのだ。
先ほどの待ち伏せを避けた際に、つま先を地蔵にぶつけ、親指の爪が剥がれた。
もはや、馬の半分も走れない。
こうしている間にも追手は増えていく。
大きな椨の木の陰に隠れて、伝令をやり過ごすと、その後をゆっくり走ってくる騎馬武者に狙いを定めた。
手斧を重しがわりに、縄をぐるぐると振り回す。
風切り音は蹄の音でかき消されているだろう。
手の内を滑らせながら、さらに大きく振り回した。
縄と手斧は絵に描いたように見事に巻きつき、男は背中から落ちた。
体に当たったのは斧頭側だ。致命傷にはなっていないだろう。
馬は、しばらく走ってから、様子を窺うように立ち止まった。
イダテンは、慎重に後ろから回り込んだ。
男の腰に吊るされた太刀を引き抜き、膝を背にあて、喉に腕を巻きつける。
「騒ぐな。国親は今、どこにいる?……正直に言わぬと、喉をかききるぞ」
が、それは武士ではなかった。
忘れるはずもない。イダテンから勾玉を奪おうとした三白眼の男だ。
男は自分を捕えたのがイダテンだということに驚きながらも、痛みと息苦しさが和らぐと、ぺらぺらと喋り始めた。
「まて、まて、わしは敵ではない。お前も知っておろうが、阿岐権守様の邸で働いておる吉次じゃ。見よ、これ、このとおり鎧甲冑を身に着けておらぬではないか……少しでも遠くへ逃げたいと馬に乗ったまでだ」
次々と言い訳を並べたてる。
「太刀は、そこいらで死んでおった武者から、馬は主を失い、うろうろしておったやつを捕まえたのだ……お前も助かったのじゃな。おお、ひどい有様じゃった。まさに、この世の地獄よ。あれでは生き残っておる者はおるまい。わしも命からがら逃げ出したのじゃ」
幾千もの兵に取り囲まれたあの邸から、馬に乗って逃げ出したというのか。
できるとしたら襲撃前だ。
間諜でもなければ、それを知ることはできまい。
「助かったのは、わしらだけであろうか?」
窺うように見上げてきた。
姫を伴っているのではないかと、探っているのだ。
「問いに答えよ」
「勘違いじゃ。わしは、ただの下男じゃ。そのような者と縁はない」
吉次は、喉を鳴らし、必死に訴える。
「馬に乗れる下男など聞いたことがない」
「いや……それは、昔、商いをしておったで」
「荷を運ぶための大事な馬に乗る商人はおらぬ」
そうは言ったが、いないわけではない。
だが、武士の鞍と商人の鞍は形状も違い、乗り方も違う。
喉に巻きつけた腕に少しだけ力を入れた。
並みのおとなとは比較にならない怪力に、吉次は、むせ返った。
「わかった、わかった。正直に話そう。実は、わしは馬木の隆家様が郎党じゃ。宗我部が兵を挙げたときに一刻も早くつなぎをつけるため、下男として潜り込んでおったのだ」
あきれた言い訳だ。
しかも、問いもせぬのに、喋り出した。
「わしは、お前とともに暮らしていた……」
吉次の首に手斧をあてた。
この男が、三郎の言っていた、ろくでもない男だと確信した。
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