第五十一話 すすきが原
――そこに、法螺貝の音が鳴り響いた。
邸を攻略したという合図であるなら急がねばならない。
戦が終わるということは手のあいた兵が増えるということだ。追手の数も増えるだろう。
南西の空に望月が見える。
その月を背に、近くの大きな岩に登り、邸とは反対側の麓に目をやった。
いくつかの篝火が焚かれていた。旗も見える。
予見していなかったわけではないが、手回しのよさに感心した。
あれほどの兵で取り囲みながら、万一に備えていたのだ。
右手には田畑や雑木林、左手には、すすきが原と呼ばれる銀色に輝く広大な荒地が見える。
望月を左に、すすきが原を目指して一気に駆け降りた。
篝火や旗がほとんど見当たらなかったからだ。だが、それは罠だった。
すすきが原に入り、すすきの穂を揺らしたとたんに数えきれないほどの矢が飛んできた。
左上腕に衝撃がはしり、体勢をくずした。
見ると、衣から矢がぶら下がっていた。後方から飛んできた矢が腕の肉を削り、衣に突き刺さったようだ。
矢を引き抜き、投げ捨てる。
腕が振れず速度が落ちた。
矢が雨のように降り注いできた。
避けようとして窪みに足を取られた。踏ん張りきれず、たたらを踏み両手をついた。
四間ほど先の小さな藪に目をやると、箙の矢に手をかけている武士の姿があった。
身を起こすより早く、弾けるように跳んで、男の顔に蹴りをいれた。
吹き飛んだ男は、滑るように藪から飛び出し、すすきの穂を揺らした。
その揺れを目がけて三方から矢が放たれる。
最初の一、二本こそ反応を示したが、五、六本も受けると、男の体は、ぴくりともしなくなった。
藪の奥行きは、せいぜい十間と言ったところだろう。
目を凝らすと、三間ほど先で、なにやら動くものがある。
忍び轡を噛ました馬と武士の従者だ。従者は矛を手に震えていた。
イダテンと目が合ったとたんに、声ならぬ声をあげ逃げ出した。
すすきを揺らし、走り出した男に矢が降り注ぐ。
倒れて動かなくなると、矢も飛んでこなくなった。
矢にも限りがある。反撃できる力が残っているかどうか、様子を見ているのだ。
しばらくすると、口笛が鳴った。
西の方向から鎧武者が馬を駆り、月の明かりを浴びて輝くすすきの穂をかき分け、近づいてきた。戦果を確かめにやってきたようだ。
鎧武者は、手綱を離し矢をつがえ、従者が倒れたあたりに加え、藪の様子を用心深く窺っている。
このままでは射殺されるだろう。
かといって、先に矢を放てば、潜んでいる場所を教えることになる。
だが、このあたりのすすきは大人の背より高い。
葉や茎に当てねば出所はわかるまい。
風で揺れていることは気になったが、覚悟を決め、痛む腕を叱咤して弦を引き絞った。
矢は、すすきの穂と葉の間を縫って馬の胸に吸い込まれた。
馬とともに前倒しになるところに二の矢を放った。
矢は首を貫き、鎧武者は何ひとつできぬまま地面に叩きつけられた。
射る音も馬がすすきをかき分ける音でかき消されたはずだ。
苦しげな馬のいばえもすぐに途絶え、再び静寂が訪れた。
姫は相変わらず目を覚ましていない。
目前の死地からは脱したものの、考えもなく飛び出せば、先ほどの男たちと同じ運命が待っているだろう。
だからと言って、じっとしていれば包囲を狭められる。
加えて押し寄せる冷気が体力を削る。
弓を背負子に括り付け、かじかむ手に息を吹きかけ手斧を握った。
――と、その冷気を切り裂くように指笛の音が響き渡った。
それは、興奮を隠そうともせず、すすきをかき分け、吠えながら近づいてきた。
犬が放たれたのだ。
山犬が襲ってきたと思ったのだろう。馬が怯えて腰を引いた。
すすきの間から二匹の犬が姿を見せた。
狩りに使われているらしく、慣れた様子が見て取れる。
藪から追い出そうというのだ。
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