第四十五話 一番手柄
振り返ると、弓を手にした男に、
「こわっぱ、どけ!」
と、言う声とともに櫓の柵に押し付けられた。
「邪魔じゃ! 命が惜しくば二の郭に逃げ込め。この郭は放棄するぞ」
日頃から弓の腕を自慢している侍所の景時だ。敵に気をとられているうちに櫓に上がってきたのだろう。
三郎は引かなかった。景時をにらみつけた。
「わしが先にこの場所をとったのじゃ」
「そうじゃ、三郎が先じゃ」
「横取りは許さぬぞ」
「お前には矜持と言うものがないのか」
と、喜八郎たちが後押しする。
童たちに責め立てられた影時は形相を変え、
「尻の青いこわっぱの出る幕ではないわ! さっさと降りぬと突き落とすぞ」
と、加減なしに胸を突いてきた。
尻から倒れ、櫓の端に転がった。横木に手を伸ばさねば下に落ちていただろう。
なおも踏みつけようとする景時だったが、再び聞こえてきた法螺貝の音に、真の敵が誰だったかを思い出したとみえ、あわてて弓を構えた。
一番手柄をものにしようと、白絲威の鎧に身を包んだ騎馬武者が門をめがけ、正面から一直線に駆け上がってくる。
反撃する力など無いと思っているのだ――ならば一泡吹かせてくれる。手のひらを衣で拭って立ち上がった。
じきに弓場で稽古している距離になる。
と、三郎の右手前に立った景時が矢を放った。
腕自慢の景時であったが矢は遥か手前に落ちた。
そもそも矢の届く距離ではない。
だが、これが実戦というものなのだろう。
雑念を払おうと、弦を引き絞ることに集中する。人の目を盗んで幾度も大人用を使ったことがある。
大丈夫だ。落ち着け、と自分にいい聞かせる。
――が、腕が震え、狙いを定めるどころではない。
先頭を駆ける大鎧姿の騎馬武者が笑ったように見えた。
一番手柄は自分のものだと確信したのか。童を押し出してきた邸の守りにあきれたのか。
武者は背の箙から矢を引き抜くと、さほど狙った風もなく、馬上から弓を引く。
怖ろしさに逃げ出したくなった。
だが、馬上から的に当てるのは難しい。
逃げ腰では的が絞れない。そう、念じて踏みとどまった。
うなりをあげた矢が目前に迫る。恐怖に耐え、会の姿勢を保つ。
鈍い音がした。
見ると右斜め前で弓を構えていた影時の首に突き刺さっていた。
景時は傀儡師の手を離れた人形のように崩れ落ちた。
別の武者の放った矢が三郎の頬をかすめて、仲間のいる後方に消えた。
悲鳴が耳に届く。
腕の震えが全身に広がっていく。
矢を射るどころではない。腰から崩れ落ちそうだった。
あきらめかけたその時、先頭を走ってくる武者の乗った馬が目に入った。
なんと大きく立派な馬だろう。
あの毛並みと力強さはどうだ。
まるでイダテンの彫った馬が動き出したようではないか。
わしは一矢も報いることなく、あのような馬に乗れぬまま、ここで死んでいくのだろうか。
――いや、乗るのだ! 乗らねばならんのだ。
おかあのために、ミコのために、先祖の名を汚さぬために。
そして三郎義守の武名を轟かすために。
――そうだ、鎧は赤絲威が良い。
イダテンの髪と同じ、燃えるような紅だ。
兜には金色の大鍬形をつけよう。
太刀は錦で包み、足元はカモシカの毛沓で固めるのだ。
気をそらしたことが幸いしたのか、震えが治まっていた。
先頭を駆る白絲威の武者が三十間に迫ったところで「ままよ」と、矢を放った。
これぐらいなら外れまい。
が、稽古のようにはいかなかった。
矢は狙った武者には当たらなかった。
それでも馬の額に命中した。
武者は、前足から崩れ落ちた馬もろとも地面に叩きつけられた。
「三郎が騎馬武者を射たぞ、一番手柄じゃ!」
後方から興奮した声が聞こえた。
振り返ると、いつの間に上がってきたのか、矛を二本持った喜八郎が顔を紅潮させて立っていた。
櫓の下の仲間たちから、わっ、と歓声があがる。
「わしも手伝うぞ」
喜八郎が矛を一本差し出してきた。夢心地で受け取った。
落ちていく陽で、あたりは茜色に染まっていた。
「三郎! 来たぞ」
喜八郎の声が響いた。
門の横の櫓に立つ邪魔者をまずは始末しようと、紫威の騎馬武者が矛を手に、塀に沿って横から回り込んできた。
喜三郎が転がっていた景時の弓を投げつける。
足元に転がった弓を嫌った馬が興奮したことが幸いした。
騎馬武者が櫓の下から突き出した矛は浮き上がり頭上を翳めるにとどまった。
腰の引けた喜八郎の腕は縮こまり、矛が武者に届かない。
一方、落ち着きを取り戻した三郎は両手で矛を握り、体を預けるように武者の胸を突いた。
が、所詮は童の力、鎧の上からでは痛手を与えることはできなかった。
逆に、そのまま押し出してくる力に跳ね返され、板の上を転がった。
痛いと感じる間もなかった。
地面が、そして空が見えた。
「三郎ーー !」
喜八郎の叫び声が耳に届いた。
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