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『ちはやぶる』  作者: 八神 真哉
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第四十二話  絆


ミコが、べそをかき、ぺたぺたと草履の音を立てながらついてくる。


「戦じゃ、戦の支度じゃ!」


三郎は、声を張り上げ、侍所の侍や下男どもに声をかける。


肝心のおじじはいない。


どこにいるかを教えてくれる者もいない。


「宗我部が攻めてくるぞ! 赤目の国親と髭の兼親が攻め入るぞ! 弓を取れ、矛を持て! 武器庫の鍵を開けるのじゃ」


声を張り上げ、必死で訴えるが、誰ひとり取り合わない。


いかに傍若無人で横紙破りの宗我部兄弟と言えど、国司である阿岐権守様の邸を襲うはずがない、というのだ。


「頼む、責任は取る」


皆、美夜殿の毒殺騒ぎで、ぴりぴりしている。


「あほう。おまえに責任が取れるわけはなかろう。さっさといね! 邪魔をすると張り倒すぞ」


力ずくで邸から追い出されてしまう。


さらに、おじじを見つけるどころか、先ほどまで、あとをついてきていたミコの姿さえ見失ってしまった。


ミコやおじじの名を呼ぶが反応はない。


夕餉の支度を始める者。畑から帰り、家族と語り合う者の姿が目に入る。


皆、なにも起こらぬと安心しきっている。


焦りに駆られ、拳を握り締める。


「くそっ、これで攻めてこられたらひとたまりもないぞ。せめて、武器が手元に……」


と、袖を引くものがある。


振り返るとミコが三郎を見上げていた。


「おおっ、心配したぞ。どこに行って……」


そういいながらも三郎の目は、ミコの握っている板に釘付けになった。


その板には、いくつもの鍵が紐で結ばれていたのだ。


中には武器庫の鍵もあった。


幾度も失敬していたのでミコも覚えていたのだろう。


三郎が惟規らに話しかけている隙に侍所から持ち出したのだ。


まさかミコが鍵を持ち出すとは思いもしなかっただろう。


そっと周りを見回し、腰をかがめ、声を潜め、頭をなでてやる。


「ようやった」


だが、大手柄にもかかわらず、ミコの表情は晴れなかった。


その顔は、涙と鼻水で汚れていた。


「何じゃ、その顔は、眼が真っ赤じゃぞ」


しゃがみこみ、自分の袖で鼻水をふいてやる。


「心配するな。おかあは、すぐに帰ってくる。イダテンも、すぐに帰ってくる。あやつは情にもろいでな。いっぱい泣いて、抱きついてやれ。そうすれば、もう出てはいけまいて」


「ほんと?」


「おお、兄者を信じろ」


と、いって、南二の門を指差した。


ミコが振り返ると、ミコの名を呼びながら、門から出てくるヨシの姿が見えた。


「ほれ、おかあが戻ってきたぞ。兄者の言った通りであろう。さあ」


といって、手のひらで軽く背中を押した。


ミコは、涙をぽろぽろとこぼし、嗚咽しながら駆け出した。


三郎は目の前にある東一の門の横に建つ櫓によじ登った。梯子はついていない。


櫓そのものの高さは二間ほどだが、邸を囲む郭も高所にあるので見晴らしは良い。


国府の街並みと田畑と川、そして三方を囲む山々と、その先にある海を見つめる。


イダテンが狼煙だといった煙が、またひとつ増えていた。


向洋の方向だ。イダテンがおればと、弱気になった。


「三郎、何をしている」


と、いう声に振り返ると、櫓の下に九郎や喜八郎の姿があった。


仲間も入れれば十五人はいるだろう。


見れば宗我部に親や親族を討たれた者ばかりだ。


喜八郎が怒ったように訊ねてきた。


「赤目の国親が攻めてくるとは、まことのことか?」


侍や下男たちとのやり取りを聞いた者がいたのだろう。


姫様の唐猫の死にざまも耳にしていよう。


目の前にいる者たちは皆、国親がいかに残虐な男かを知っている。


皆が固唾を飲んで三郎の答えを待っていた。


欲しているのは、国親が攻めてくる理由ではない。背筋に冷や汗が流れる。


三郎は、覚悟を決めて答えた。


「間違うておれば、この首を差し出そう」


そこにいる者すべてが息を飲んだ。


「いつだ?」


と、訊いてきた喜八郎に、高く上がる黒い煙を指差した。


「今宵か?」


三郎がうなずくと、皆の間に動揺が走った。


「まことか?」


と、声を上げる者もいる。


硬い表情の喜八郎が手で制する。


「ならば……わしらも手伝おう」


つばを飲み込んで九郎もうなずいた。


決意が見て取れた。


三郎と同様、恨みは深い。


「おおっ、おまえ達が力を貸してくれれば百人力じゃ」


「おう、とも! われらが恩を返すはこのときじゃ」


「むろん、積もり積もった恨みもな」


目頭が、つんと熱くなる。


これが武門に生まれた者の絆というものだ。


「頼む……まずはこれじゃ」


鍵がついた板を景気よく放り投げた。


受け取った喜八郎は、にやりと笑う。


どこの鍵かわかったのだ。


「やりおったな」


「ミコの手柄じゃ」


「鷲尾にばかり手柄をあげさせるわけにはいかぬ。次は、わしらの番じゃ!」


喜八郎が振り返ると、


「おう!」と、皆が声をあげた。


やってくれるに違いない。


笑みを浮かべ指図する。


「喜八郎は武器庫を開けてくれ。十人で持ち出し、要所要所に置いて回れ。門の近くには多めにな」


「おう、援軍も増やし、あっという間に、やり遂げて見せよう。馬で乗りこまれぬよう、牛車橋も上げておくで」


「九郎は、五人ほどで手分けして忠信様を探してくれ。忠信様にお伝えするのじゃ。姫様を連れて逃げる算段をせよと。三郎とイダテンが言うておった、と」


「そのイダテンは何をしておる」


九郎が、苛立たしげに口にした。


「国司様を助けに薬王寺へ向こうた」


その一言で、いかに切迫しているかが分かったのだろう。


皆が黙り込んだ。


それでも九郎だけは、鼻をふんと鳴らし強がって見せた。


「――よし、わかった。必ず伝えよう……おい、喜八郎。どちらが先か競おうぞ」


「おう!」


お互いに組を作り、邸と武器庫に向かって走り出す。




頼もしい味方を得た。


イダテンは必ず帰ってくる。


それまでは自分が仕切るのだ。


――と、三の郭から侍所の信綱様の声が鳴り響いた。


馬に乗れるものはわしに続け。向かうは薬王寺じゃ、と。


     *


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