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『ちはやぶる』  作者: 八神 真哉
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第三十九話  宗我部兼親

落ちていく陽を背負い、行者山に向かってイダテンは走った。


真紅の髪をなびかせ、獣のような腕を振り、黄金色に輝く稲穂の間を、紅も鮮やかな紅葉の下を、白く輝く川面に点在する岩の上を、飛ぶように走った。


天神川の船着き場では、船頭や荷を運ぶ男たちが兵たちに囲まれていた。


国親らが、情報を遮断するために動き始めたようだ。夜討ちと確信した。


予想した通り、行者山を背にした薬王寺の石段手前には多くの兵の姿があった。


大きく迂回し、頭上を杉に、足元をシダと灌木に覆われた斜面を駆け上がった。


中ほどで木に登り、枝から枝へと飛び移って寺の東側に回る。


回廊内に衛士は立っていない。


この山にあった岩や樹木を活かした荒々しくも美しい庭が見える。


塀までは十間もあるまい。


枝を蹴れば充分届く距離である。


が、体は思った以上に回復していなかった。


右側のかかとが塀の檜皮葺の屋根にあたり音を立てた。


足音が近づいてくる。誰かが気づいたのだ。


腰に手挟んだ手斧を引き抜き、回廊を飛び越え、法堂と植え込みの陰に身をひそめた。


弓を持った衛士が姿を現した。


檜皮葺の一部が剥がれ落ちていることに気づいたが、


「猿か」と言い捨て戻って行った。


本堂の手前で気配を感じ、素早く岩陰に隠れた。


髭面の大男、宗我部兼親が唐戸を開け、外縁に姿を現した。


左手には血の滴る首があった。太い指で髷をわしづかみにしている。


「益体もない……これで、仕舞いか」


心底不満げだった。


丸太のような腕を振り回し、首を庭に放り投げる。


それはまるで蹴られた鞠のように宙を舞い、回転しながら血を飛び散らせた。


地面に落ちると、へしゃげた音をたて、イダテンが身を潜めた近くのつつじの木の根元で止まった。


「殿、あの首は国司の邸に戻しておかねばならぬのですぞ」


兼親は、あわてる従者をしり目に、それはおまえたちの仕事だ、とばかりに外縁の床板を踏み鳴らして奥に向かう。


「さあ、酒じゃ、祝いの酒じゃ」


あわてたように従者二人があとを追う。


「殿、すぐに出陣せねば」


「あほう! 一杯、引っ掛けるだけじゃ。酒でも飲まねばやっておれぬわ」


「一杯で済んだためしなどないではありませぬか」


「高杯なんぞに注ぐからじゃ。椀に並々と注げ」


しかし、と食い下がるが、かまわず先を急ぐ。


「せめて」と兼親は続ける。


「せめて、馬木の隆家には親族としての意地を見せて欲しいものよ。十年前とはいえ、法皇に矢を射かけた男じゃ。朝廷の顔色をうかがうような真似はすまい」


「そうなっても殿には後方の陣にとどまっていただきますぞ」


兼親は、知ったことかとばかりに、にやりと振り返る。


「隆家の手勢を、山賊どもと間違えた、というのはどうじゃ?」


「装備、いでたちが違いすぎます。あの柵で食い止め、山賊どもを逃がさぬために開けるわけにはいかないと言えば十分でしょう。力づくで突破しようとすれば別ですが……」


お待ちください、と、いま一人の従者が布を渡す。


兼親は、不満げに鼻を鳴らし、血に濡れた手を拭い、従者に返す。


「ならば力づくで突破させるまでじゃ。そのための策を考えておかねばなるまい。もっとも、ささらが姫という、立てる御旗を失のうたことが耳に届けば無茶はすまいがのう」


「もったいないことで、時がたてば良いおなごになりましょうが」


従者の言葉に、兼親は、にやりと笑う。


「なんじゃ、おまえもか? 見栄えの良いおなごに情けをかけると、ろくなことはないぞ。兄者が良い例じゃ。大きな尻を持った丈夫なおなごにしておけ」


「殿、お待ちください。先に具足を」


「いらぬ! どうせ使うまい。兄者は隆家の挙兵に備えておるが、未だに兵を集めたと言う報告も来ておらぬではないか。要は、われらの策が漏れておらぬと言うことよ……つまらぬ戦じゃ。しかも、わしの役どころといえば……ああ、腹が立つ」


「しかし、殿が先頭に立たれては……」


「わかっておる! わかっておるから、酒でも飲まねばやっておれぬのではないか……ささらが姫が誘いに応じておれば、つまらぬ役回りからは逃れられたものを」


と、奥の唐戸の前でこぶしを振り上げた。


それを察知していたかのように従者が素早く戸を引いた。


八つ当たりしようとした唐戸を先回りして開けられたのが不満だったのだろう。


兼親は従者をにらみつけ、隣の柱に拳を叩きつけた。


     *


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