第二十六話 天分
一の郭と二の郭の間にある空堀土手の井桁のまわりに多くの人が集まっていた。
湧き水を汲むだけの場所にもかかわらず、まるで祭りでもやっているかのような賑わいだった。
その騒ぎが邸にも届き、忠信が様子を見に来たのだ。
市女笠に虫の垂れ絹をつけた梅ノ井も、姫の手を引き、しぶしぶ同行している。
「何事じゃ。この騒ぎは」
近くにいた宮大工の兎丸が振り返り問いに答えた。
「これは、忠信様。鬼の子が、ほれ、あのようなものを」
土手と土手との間に二本の丸太を渡し、屋根のような物がつけられていた。
その下で、いい年をした男どもまでが童のようにはしゃいでいる。
「おおっ、これは楽じゃ。嘘のように軽い」
「おなごや童でも軽々と上げられよう」
「ぐるぐると、よう回っておる」
屋根の梁からぶら下げられた車輪のようなものが心棒を中心に回っていた。
独楽のようにも牛車の車輪のようにも見える。
車輪の外周には溝が掘られ、そこに縄がかけられている。
その縄をひくと、水の入っているらしい桶が軽々と上がってくる。
三郎よりも幼い歳の童が嬉しそうに引き上げた。歓声も上がる。
三郎が、その中心で自慢げに笑みをうかべている。
イダテンの姿はない。
「どうじゃ、イダテンが作ったのじゃ」
「イダテンが、つくったの」
かたわらで、ミコが車輪を指差し、声を張り上げている。
「どういうことじゃ?」
「イダテンが、あれを作ったのですか?」
姫が、虫の垂れ絹を上げているのを見て、梅ノ井が慌てて、「姫君」と、声をかける。
それに気づいたミコが、「姫さま」と、声を上げる。
あっという間に、周辺が驚きと喜びに包まれる。
「なんと、お美しい」
「お元気そうで」
と、いう声も耳に入る。
常であれば姫を慕う者たちの反応を楽しむ忠信であったが、こたびばかりは奇妙な造作物に釘付けとなった。
「わしにも見せてみよ」
「おおっ、忠信様。釣瓶車を見てくだされ」
忠信の姿に気づいた三郎が満面の笑みで迎える。
忠信は、姫の警護もそこそこに井桁に近づき、順番を待っていたらしい童を押しのけ、縄を手にとった。
縄を引くと牛車の車輪に似た物が、からからと回り、桶が上がってくる。
「……なんと」
騙されているのではないかと思うほど軽い。
水がろくに入っていないのではないかと桶の中を覗き込んだ。
忠信は、道隆寺が建立されたときに見た風景を思い出した。
大工たちは柱を高所に引き上げるため、太い丸太をくりぬいて梁に通した滑車と呼ばれる造作物を使っていた。
おそらくあれと同じものであろう。
が、見た目はずいぶんと違う。
幼き頃、あれを見たのだろうか。
いや、道隆寺の建立はイダテンの生まれる前だ。
首をひねる忠信に、宮大工の兎丸が声をかけてきた。
「気がつきましたか?」
「滑車とか申したか、のう」
「大した工夫ですぞ。われらが使っているものとは別物のように軽い」
「……であろうな」
「われらが使ってきたのは重い柱を吊り上げるための物。この滑車は、いかにも頼りなげではありますが、桶の水であれば十分なのでありましょうな」
人は川か湧き水のそばに住む。日々のことを考えれば自然とそうなる。
都には地面を深く掘って地下から水を汲みあげる井戸というものがあるというが、掘るのには手間がかかり、とんでもない費用が掛かるという。
井戸は深いため、多くは滑車付きの釣瓶を使うものの、忠信が道隆寺で見たものと同じ様式で、これほど軽くはないというのである。
「わたしにも」
その声に振り向くと、姫が縄に手をかけようとしていた。
「なりません。姫君のなさることでは、ありません。お召し物も汚れましょう」
梅ノ井の制止に不満げな姫とは対照的に、三郎が笑顔を浮かべ、もの言いたげに忠信を見上げていた。
「……これをイダテンが工夫したというか?」
「イダテンが考えたのじゃ。わしも手つどうた」
と、つけ加える。
近くにいた男たちが口々に褒め讃える。
「これなら童でも水汲みができよう」
「屋根があるのも良い」
「作りも美しい」
三郎が満足げに応じた。
「イダテンは何をやらせてもうまいぞ」
「姫さま、みて、みて! これもイダテンがつくったの。ミコが、もらったんだよ」
自慢げに、「ほらーっ」と、小さな手のひらを開くと、二寸ほどのうさぎの木彫りが現れた。
「まあ……」
姫が絶句したのも無理はない。
うさぎは、何かの気配を察知したかのように立ち上がり、ぴんと張った耳には緊張感さえ見える。
名のある仏師でも、はたしてこれほどの物が作れようかと思うほど、見事な出来だった。
「どこぞの仏師が彫ったのであろう」
ミコには、仏師が何を意味するかはわかっていないだろう。
それでもイダテンが作ったのではないと言われていることが分かったようだ。
唇を尖らせて忠信に抗弁する。
「ちがうもん。イダテンがつくったんだよ。ミコはみてたんだもん」
「おお、その通りじゃ、わしも作ってもろうたぞ」
三郎が、懐から木彫りの馬を取り出した。三寸はあるだろうか。
「千里でも駆けそうであろう。このような馬が手に入れば、手柄もたてほうだいじゃ」
三郎が胸を張った。
自慢したくなるのも無理はない。
忠信は、われを忘れ、今にも動き出しそうな、その馬を食い入るように見つめた。
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