第十一話 生まれながらの姫君
「わたしの名は『ささらが』といいます」
「姫君!」
梅ノ井があわてて制止した。
忠信も、おもわず顔をしかめた。
「姫君ほどの高貴なお方が、下衆に直接話しかけるなど、あってはならぬことです。しかも、鬼の前でおん名を口にするなど! ……そもそも姫君は御簾越しに対面すべきもの。せめて、扇でお顔を!」
梅ノ井の小言は際限が無い。
扇こそ使っているものの、姫に合わせて几帳も置かず対面していることにも納得がいかないのだ。
さらには、忠信が「姫君」ではなく「姫様」と呼び、周囲がそれに倣っていることにも。
姫がそれを許していることにも。
「よいではありませんか、梅ノ井。これまでもこうしてきたのです」
姫は、臣下の小言など気にするそぶりも見せなかった。
忠信が、どう思っていたところで、まさに生まれながらの姫君だった。
*
姫の取り巻きがあわてている。だが、姫は気にする様子もなく続けた。
「あなたの名は、なんというのです?」
「おれの名を聞いてなんになる」
口をついて出た言葉は礼ではなかった。
見ればわかるだろうという思いもあった。
このような場所に、のこのこ出かけてきた自分にも腹が立った。
梅ノ井と呼ばれたおなごが、いつ倒れてもおかしくない顔色で突っかかってきた。
「何です、その物言いは! 礼儀を知らぬにもほどがありましょう。姫君は、恐れ多くも……」
梅ノ井が言葉をつまらせた。
姫が、扇を梅ノ井の前、斜め下にそっと差し出したからだ。
「人と交わることのない山奥で育ったがゆえに、そういった知識や経験が無いのでしょう。共に暮らせば、人としての物言いはすぐに覚えられましょう」
梅ノ井と老臣を見つめ微笑んだ。
イダテンは、姫の口にした言葉に困惑した――単に物の例えか。あるいは深く考えずに出た言葉か。
梅ノ井も、呆けたように姫を見ていた。
姫の言葉が理解できなかったのだろう。
聞き間違えたと思っているのかもしれない。
老臣一人が、姫の言葉に頬を緩めた。
姫は、それよりも、と、やわらかに続けた。
「黒がとてもよく似合いますよ。冬に備えた衣も用意させましょう。殺生をしなくても良いように」
イダテンが打ち掛けていた熊や鹿の毛皮のことを話しているのだとわかった。
「出来ぬ」
即座に答えた。
自分でも驚くほどの強い調子だった。
姫は、悲しげに眉根を下げた。
「殺生をしなければならない理由があるのですか」
「話してもわかるまい」
切り捨てるような物言いに女房は絶句し、老臣は、怒気をはらんだ鋭い目つきで太刀に手を伸ばした。
イダテンは身動ぎひとつせず、老臣の目を見返した。
動けなかったのではない。
言葉で伝えることをあきらめたのだ。
恐ろしくはなかった。
もはや守るべきおばばもいない。
死んで泣く者もいない。
生まれも育ちも違う者同士がいくら話したところで、わかりあえぬのだ。
ゆえに、言葉を飲み込んだのだ。
――おれの殺生は食うため、生きるためだ。
武士のように領地を奪いあうためではない。
先に住んでいた者から土地を取り上げ、収穫を取り上げ、餓死させるためではない。
坊主や、この地の領主どもがなにをしているか、知っておるか?
百姓に銭を貸し、返せねば借金のかたに下人とし、次は、その下人を売り買いする。
そのような坊主の説く衆生の救いとやらを信じられるか?
領地や利を守るため僧兵だけでは足らず「死こそ救済」と民百姓を煽る坊主の言い草を信じろと言うか?
その領主や坊主の上に立ち、このような豪奢な邸に住み、着飾って暮らしている者に話したところで何になる。
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