008話 三争世界
この高台の端、崖の淵に小さな塔が見えた。
その塔にみんなを一旦集める事にした。これからどうするか、その塔の上から何か見えるかもしれないし、建物の中なら魔獣などにおびえる事なく落ち着いて話ができる。
「この魔獣……ちゃんと死んでる?」
倒れた魔獣のそばを横切る時に、みんな恐る恐る通っていく。
今ちょうど、その魔獣を倒した時の事をアスカと話していたところだ。
「キミがあの魔獣を倒したって? 奇跡だ……!」
「奇跡ってなんだよ。まあ、自分でも信じらんねーけど」
「カムイ、あなたは身体能力に全く自信がないようですねー」
スマホの中でなぜか少しニヤリとした笑みで女神が言う。コイツはやはりこのまま俺のスマホの中に居座るつもりらしい。しかし身体能力に自信がない事、なんで分かった?
「あなたのパンチはハエがとまるようでしたー」
ああ、そういう事か。避ける必要のないパンチを全部避けたんだったな。
「そもそも、カムイのパンチは当たっても全然痛くない」
そこにアスカも乗っかる。
「頬を殴られても『何か当たったか?』という感じで、それが全力のパンチだというから可哀想で胸の方が痛む」
アスカ、テメエ……。
「そんなカムイでも魔獣を倒せたのは『魔煌』のおかげでーす」
「マギオン?」
「魔煌はこの世界の全ての源であり、全ての物質を構成する元となる力でーす。この世の全てを司るもの、とでもいいましょうか。ちなみに、あなた達の前で私が何度か力を使いましたが、それは全て魔煌を操る力でーす」
この世界の全ての源――それを操る事で女神は様々な現象を起こしていた。俺達の世界でも魔煌を飛ばす事で一時的に力を使えるらしい。
「それで、俺が魔獣を倒せたのは魔煌のおかげ、というのは?」
「魔煌はこの大気中にも満ちていて、あなた達がこの世界に来ると体が魔煌を吸収して身体能力が上がりまーす」
なるほど。俺は魔獣を倒せたのは火事場の馬鹿力のようなものだと思った。まあ、それもあるかもしれないが――その時すでに、魔煌によって力が底上げされていた、という事か。言われてみると今も力がみなぎっている感じがする。
「で、キミはそんな事知らずにその世界へ飛び込んで魔獣に向かっていった、という訳か」
アスカが呆れた様子で言う。まあ、その通りだ。
「また無茶をしたな……。キミは昔から、ケンカが弱いクセにやたらトラブルに首を突っ込むヤツだった。でもケンカになると必ず負けるから、そんな時にはいつも僕が一緒について……」
通信が繋がったままになったのはいいが、コイツのこんな話をずっと聞かされるのは勘弁だな……。
「あー、今ちょっと電波の入りが悪いみたいで、何言ってるか分かんねえ。じゃあ、また後でな」
俺は通話終了のボタンを押す。アスカが「おい、この通信は電波とか関係あるのか?」などと言ってるが、かまわず通話を切る。勿論、電波は関係ない。
俺のスマホにはアスカとの通話のボタンが追加されていた。俺とアスカのスマホは常に繋がっているが、通話状態はこのボタンでオン、オフできる。それに伴い、一部だけキー入力を受け付けるようになった。女神アプリによって全機能を失ったが、こうして機能拡張する事はできるらしい。
しばらく時間が過ぎ――少し平静を取り戻したクラスメイト達は、携帯を使って元いた世界と何とか連絡が取れないか試し始めた。
「電話通じない!」
「GPSもダメだ」
そんな様子を目の前に見ながら俺も高台の塔へ歩いていく。
アスカと通信できる事はみんなには黙っておくことにした。元の世界と通信が繋がっていると知ったら「家族と話がしたい」とみんなが言い出すに違いないからだ。気持ちは分かるがこの人数だ。アスカ一人では対応しきれない。
塔の近くまで来ると、人数はさらに増えた。塔を囲む塀、その陰に俺達より少し前にこの世界へ来た生徒達が隠れていた。この生徒達も魔獣に襲われたが、命からがら逃げ出しこの塔へ辿り着いたらしい。
やはり女神は俺達の前にも人を異世界に誘っていた。
「この人数で登って大丈夫?」
塔の陰に潜んでいた連中と合流して、俺達は三十人ほどの人数になっていた。
下から見上げた塔は、その最上階の壁と天井が一部崩落していた。
「下はしっかりしてるようだ。それに、意外と広い」
中を覗いて言う。これならみんな入れそうだ。塔の上部と下部ではその損傷の度合いに大きな差があった。外見では古そうな趣が感じられたが、中に入ってみると下部は崩れていないどころか傷みがまるでない。
「ここは古代戦争時代の見張り塔でーす。上が崩れているのはその時代の攻撃によって損壊したからでーす」
スマホは胸ポケットに入れた。女神はちょこんとはみ出したスマホの上部から顔を覗かせて視界を得ている。しかしポケットの淵の高さに腕を組んで、そこに顎を乗せているのは何の冗談だろう。正面から見ればポケットの淵に腕を引っかけているように見えはするが。
塔の階段を登りきると、正面の壁が丸ごと崩落して消えていて、そこから壮大な眺めが目に飛び込んできた。そして、崖の遥か先にあの景色があった。切っ先のような鋭い大陸の淵の向こう――異様な存在感を放つ巨大な黒い球体を望む景色が。
霞んで見えるほど遥かに遠い。なのにその巨大球体は見る者に迫ってくるように感じられた。みんなもその凄まじい迫力に圧倒される。改めて見ても異様な光景だ。
――あの球体は何なんだ?
「あれは喰界深淵でーす。三つの世界の中心に位置し、世界を喰っていまーす」
「世界を……喰う……!?」
「私達が今いる世界は魔奏世界、向かって右に見えるのが機創世界、左が獣躁世界でーす」
「ちょっと待て。俺達が今いるのはトリル何たら……とかいう世界じゃなかったか?」
それに、三つの世界って……? 確かに黒い球体の周りに大陸のようなものが見えるが……。それを今「世界」と呼んだのか?
その時、ゴゴゴ……という音がして塔が大きく揺れだした。クラスメイトが驚いて悲鳴を上げる。
「今まさに、喰界深淵が世界を削っていまーす。こういう地響きは三つの世界で頻繁に起こりまーす」
「ひょっとして、これが世界の危機……?」
「世界を喰う」という言葉は俺に、世界の終わり、崩壊を想像させた。この地鳴りはまさに世界崩壊の前触れかと思うほど不吉に感じられた。その時、「この世界の危機を救ってほしいのです」という女神の言葉が脳裏をよぎった。その言葉はウソだと後に女神は言った。しかし――。
喰界深淵――これがその「危機」の正体か?
「違いまーす」
違うのかよ。
「アレを高校生がどうにかできますかー?」
確かに。無理だ。しかし、世界は削られ喰われているのに危機ではないというのか? 俺達に不気味な余韻を残して地鳴りは収まった。続く女神の言葉を黙って聞く事にする。
「喰界深淵が喰うのは三つの世界の内、二つだけでーす。しかし喰界深淵自体は動く事はなく、近くに来たものをただ吸い込むだけでーす」
喰界深淵は三つの世界の中心で動く事はない。なら、動くのはその周りの世界の方、という事か?
「どの世界が最後まで生き残るたった一つの世界になるか――それは世界の自然な動きによって決まりまーす。三つの世界は互いの引力で引き合ったり、まるで駆け引きでもするかのように絶えず揺れ動いていまーす。いわば、この世界は生き残りをかけて喰い合っているようなものでーす」
世界が喰い合っている……!? 俺達の世界では考えもつかないような事象だ。
「三つの世界が喰い合う世界――これが三争世界でーす」
三つの世界を総称して三争世界。俺達の世界とはあまりにかけ離れたその構造は、まさに異世界だ。
しかし。俺にはさっきからどうしても気になる事があった。
「ところでお前、さっきから世界、世界って言ってるけどさ。世界っつったら宇宙も含めた全部だろ。だから『大陸』だろ? お前が言ってるのはさ」
この女神の「世界」という言葉の使い方に俺は違和感を覚えていた。それにしても、いいかげん「世界」って言葉が多すぎて頭がクラクラしてきた。
「世界は世界でーす。あなた達の固定観念で考えないでくださーい。よく見てくださーい。世界と世界の間には隔たりがありまーす」
確かに、世界の狭間を見れば地続きになっている訳でも海がある訳でもない。そこにあるのは空。上にあるはずの空が、世界と世界の間にも広がっている。まるで浮遊大陸のようだ。
「じゃあ、やっぱり大陸じゃねーか」浮遊大陸も「大陸」だ。
「確かに大陸という言葉もありまーす。でも全体を指す時には『世界』といいまーす」
うーん、今一つよく分からない。
「分からないのも無理はないかもしれませーん。私が喋る言葉は、私の力によって、魔煌を介してあなた達が理解できる音に変換されてまーす。この世界の『世界』があなた達にうまく伝わらないのは、あなた達の言語に当てはまる言葉がないからでーす」
俺達の固定観念で考えるな、俺達の言語に当てはまる言葉がない――か。そう言われては納得するしかない。だから、俺達がいるこの場所も「世界」というらしい。遠くに見える二つの大陸も全体を指して言うなら「世界」だ。
「『隔たり』といえば、空の色も違うな」
上を見上げれば、この世界の空は青い。それに対して右の世界の空は緑がかっている。左の世界は赤みがかった空だ。
「それは大気中に含まれる魔煌の量が世界によって違うからでーす。左の獣躁世界では魔煌は枯渇気味でーす」
俺達の世界、地球では大気の組成は地上であればほぼ一定だ。だが隔たりのある世界ではその大気の成分量に違いが生じている、という訳か。
その時、クラスメイトの一人が声を上げた。
「ねえ、後ろ見て。あれって街じゃない?」
振り返ると後ろの壁も崩落していて、そこから見える景色の中――森の木々の向こうに大きな柱と高い塀が見えた。
「あれは神王都セントレシアでーす」
「神王都?」
「この魔奏世界の中心、王城を擁する巨大都市でーす」
「首都って事か」
するとそこで、俺の耳にヒソヒソと話す女子二人の声が聞こえてきた。声のする方を見ると、可哀想なものを見る目が俺に向けられていた。
「ぎゃあ、こっち見たよ。どうする、声かける?」
「そっとしといてあげよう」
どうやら、少し前からみんなに「俺が一人で喋ってる」と不審に思われていたようだ。というかその女子の反応を見るに、もはや「壊れた」とか「頭がおかしくなった」とか、それぐらいに思われているようだ。心外だ。
俺は口を尖らせて言う。その女子二人に対して。いや、みんなに向かって。
「別に一人で喋ってる訳じゃねーぞ」
俺は胸ポケットからスマホを取り出し、その画面の中に映っているものをみんなに見せる。
「これ、さっきの女神」
女神の存在は隠す必要はない。むしろ、俺が得た情報をみんなと共有するにはコイツの存在を明かす事が不可欠だと思えた。
みんなは俺の言葉に驚愕の声を上げる。
「えええっっ!?」