022話 アスカとフィル
僕は完全に優位に立っていたはずだった。
魔獣の攻撃を全てかわし、その度に木刀の鋭い一撃を見舞っている。だが、僕の息は上がっていた。魔獣は僕の攻撃を何度も受けながら、立ち上がるのを止めない。信じられないタフさだ。さらに、魔獣はその攻撃を見切り始めていた。
ついには僕の一撃を牙で受け止め……そして――。
バキィッ!
木刀をへし折ってしまった。次の瞬間にはもう、強靭な前脚から繰り出される爪が僕を襲おうとしていた。
「危ない!」
白い閃光が魔獣の腕を弾いた。光だと思ったのは剣の軌跡だった。フィルが腰に提げた剣を抜き、その凶悪な獣の前に立ちはだかった。よく見ればその体は震えている。フィルは見た目通りの細腕で、剣など武術の心得があるようには見えない。にも拘らず僕を助ける為に護身用の剣を抜いたのだ。
やはり力で勝る魔獣はフィルを圧倒していく。再び跳躍する獣。フィルにその鋭い爪が届こうかという瞬間、僕は魔獣の横腹を思いきり蹴り上げた。その巨躯が吹っ飛ぶ。しかし、やはり蹴りなどではその硬い毛と皮膚に阻まれ効き目が薄い。魔獣は体勢を整えて着地すると、再び僕に狙いを定め突進してきた。
「これを使ってください!」
フィルが僕へ剣を投げて渡す。彼女の剣を構えると、そこに魔獣がまるで上から降ってくるかのように飛び掛かってきた。僕は剣で爪による攻撃を防ぐも、そのまま押し倒されてしまう。倒れると同時に巨体が覆いかぶさり、その大きな口が、鋭い牙が僕に迫り、容赦なく僕の命を刈り取ろうとする。
僕の視界は魔獣の大きく開けた口で覆われ、真っ暗になった。そして……。
ズンッ!
構えていた剣が地面と魔獣の開いた口の上顎との間に挟まり、そのまま顎を貫き脳天まで達した。動きを止める魔獣。僕は剣を持つ手とは逆の手で思いきりその頭を殴り飛ばした。
魔獣が吹っ飛ぶと同時に剣はその体から抜けた。樹の根元まで吹っ飛んだ魔獣はついにその動きを、いや、生命活動を完全に停止した。次の瞬間、まるで砂がサラサラと風に舞うように、その体が朽ちていく。
「あれは……?」
それは、僕の知っている生物の死ではない。あんな風に体が霧のように消えていくなんて。
「魔獣の中の魔煌の核を貫いたからでーす。核が崩壊すると魔獣の体を構成している魔煌が消え、その体は崩れ去ってしまいまーす」
その女神の言葉を聞いたところで、ようやく全身を硬直させていた力が抜けた。勝ったのだという実感が湧いてきたからだ。魔獣の体は骨すら残らず風にさらわれてしまった。
「ありがとう、助かったよ」
僕はフィルに向き合って言う。僕一人では魔獣に勝てなかった。
「こちらこそ……」
フィルの方も僕に歩み寄る。僕達は見つめ合った。
「フィル……」
「アスカ……」
夕日の中に僕とフィルは静かに佇んでいた。それはまるで、世界からも時間からも切り離されたような感覚だった。見つめ合う僕達の瞳にはお互いしか映らない。……はずだった。
だが二人の顔の間で、ユウキがジーッと僕達を見ている。僕は彼女をまっすぐ見つめる。ところが、どうしても視界の端にユウキが映る。それはおそらく彼女にとっても同様だろう。
…………。
二人の間に妙な沈黙が流れる。ユウキの存在が気になってしょうがないのだ。
「い、いけない。もうこんなに時間が過ぎてしまいました」
沈黙を破ったのはフィル。お互いパッと身体を離す。
「そ、そうだね。日が暮れてしまう」
夕日はもう地平の向こうに沈もうとしている。
「送っていくよ」僕はそう申し出た。
「い、いえ……お心遣いはありがたいのですが……」
フィルは複雑そうな表情を見せた。出会ってすぐの時も彼女はこういう顔を見せた。胸に何かを秘めている、あの感じだ。しかし、こんな森の中を一人で帰す訳にもいかない。
「じゃあ、森を抜けるまで。それでいい?」
「は、はい。ありがとうございます」
彼女はそれで承諾してくれた。
沈みゆく陽を受けて、城の塔が紅く光っていた。森の中からも塔が頭を覗かせているのが見えたので、それを目印のようにして迷う事なく森を歩けた。
僕とフィルの二人は楽しく談笑しながら歩いた。ユウキは疲れたのか、黙ってついてくる。それは本当にわずかな時間に思えた。
気がつくと目の前には街が姿を現していて、もう森を抜けるところだった。するとそこで――。
「フィリア様!」
街の門の前から、一人の男がそう言ってこちらに駆け寄ってくる。歳は僕達と同じか少し上だろうか。精悍な顔つきをした騎士風の男だ。フィリアという名前は初めて聞く。だが男はフィルに話しかけているようだった。
「ナインハルト……」
「フィリア様、またこのような所に……。もう、ここへ来てはならないと――」
森の木に隠れて僕の姿は見えていなかったのだろう。ナインハルトと呼ばれた男は、そこで初めて僕が視界に入ったようだ。と同時に、口をつぐむように言葉を切った。
「その者は?」
男は僕を怪訝そうな顔で見ながらフィルに尋ねた。
「この方は……」
さっき出会ったばかりの二人の関係をどう説明したものか、フィルは考えていたようだった。出会ってからの時間はとても短いものの、僕とフィルの間には不思議な感情が生まれているような気がした。共に魔獣と戦った事で、絆のようなものをお互いに感じているような――。
「アスカは……大切なお友達です」
フィルは友達という言葉に「大切な」を付けて、僕との関係を語った。フィルの言葉からも、単なる知り合いや友人ではない、というニュアンスを感じる事ができた。そしてその言葉は、僕を見る目が厳しく鋭くなっている男をたしなめるような意味も感じられた。
だがその言葉を聞いた男は、ほんの一瞬ではあったが、さらに憎々し気な目をこちらに向けてきた。フィルはそれには気づかないようだった。いや、フィルに気取られないように男は僕を見たのだ。
フィルは男に連れられ、街の門の中へ入っていく。僕は背を向けようとしたが――。
「アスカ!」
男を門で待たせ、フィルがこちらに駆け寄ってきた。
フィルは僕のそばまで走ってきたが、何を言ったらいいのか分からない、といった様子で次の言葉が出ないようだった。少し息を切らして、瞳は陽の光を湛えてわずかに潤んでいるように見える。
「フィル……また会える?」
僕は自分の立場も忘れてそう尋ねた。でもその言葉こそ、フィルの胸の中にある言葉のような気がした。
「ええ。またあの場所で……」
フィルは弾けるような笑顔で答えた。頬が赤く染まって見えたのは夕日に照らされていたせいだろうか。
しばらく時間が過ぎ、辺りは薄暗くなりかけている。僕はユウキと二人で、街の中を小屋を目指して歩いていた。その間の道で、僕はそもそもユウキを見つけて小屋まで送る、というミッションの途中であった事を思い出した。
僕には小屋がどこなのか分からないが、ユウキはなんとなく分かるようだった。僕は、ユウキが小屋に入るところまでを見届けないと、カムイから託された責任を果たさないように思えた。
だが、そこに誤算があった。僕はカムイから、他のみんなには会うなと言われていた。しかし――。
「ユウキ! え、アスカ!?」
帰りの遅いカムイやユウキを心配して、みんなが小屋の外を探していたのだ。
「勇者が帰ってきたぜ! イエエェェイ!」
しばらく休むように歩いたせいか、そしてみんなの顔を見て安心したのか、ユウキはいつものノリに戻った。僕の手をグイグイ引いて走る。
「ち、ちょっと待て。ユウキ……」
もうクラスメイトに僕の姿を見られたが、今ならまだ、この手を振りほどいてここを立ち去れば間に合うかもしれないと思った。だが。
「アスカちゃん!?」
決定打となったのがこの幼馴染に姿を見られた事だ。
「やあ、つむぎ。久しぶりだな……」
そこは小屋の前、庭のような開けた場所で、他にも沢山のクラスメイトがいた。辺りが暗く気づかない内に小屋の近くまで来ていたらしい。
「遊馬ユウキ確保。ついでにアスカ君も発見」
委員長が小屋の中にそんな言葉で連絡を伝える。今ので僕の存在は完全にみんなに知れ渡ったな……。
幼馴染との久しぶりの再会だったが、何とも言えない微妙なテンションで言葉を交わす事になった。この状況、みんなには会うなと言っていたカムイにどう釈明すればいいものか。いや、それより……。
「アスカちゃんもこの世界に来てたの!? ていうか……カムイちゃんは?」
そう、これから質問責めにあうだろうという事が容易に想像できた。僕とカムイの間で通信が繋がっている事や、入れ替われる事は内緒だ。それを漏らしてしまえば、本当にカムイに怒られる。
「じ、実は僕もこの世界に来てたんだ。異世界に興味があってさ……。カムイは、その……別行動でちょっと……」
僕はカムイみたいに咄嗟に上手い言い訳が出ないタイプだ。そんな僕にとって質問責めは地獄だ。
「とにかく、カムイちゃんは大丈夫なんだね?」
「ああ。それは間違いない」その言葉を聞いて、ひとまずみんな安心したようだ。
「で、僕もこれから用事が……」と、言いかけるも……。
「さあ、話は小屋の中でゆっくり聞きましょう。ご飯でも食べながらね」
僕は手を引かれて小屋の中へ連れられてしまう。今の説明では当然みんな納得しないだろう。ご飯はともかく、これから僕にとって非常に苦しい時間になるような気がした。
カムイのあの言葉が頭に浮かんでくる。
『いいか? 余計な事するな? 異世界人との接触は避けるんだ。それから、他のみんなには会わないようにするんだ。ややこしい事になるかもしれねー』
カムイ、すまない。やってしまったかもしれない……。




