018話 先生
街外れの小屋から出ると、鳥のさえずりや木が風にそよぐ音などが聞こえるが、それも少し歩くと街の喧騒に変わる。今日も街はうるさいほどの賑わいだ。その活気は日に日に増していっている気がする。初めて来た時は分からなかったが、この世界の言葉を覚えた今ならこの活気の理由が分かった。
壁や柱と柱の間に張ったロープなどに飾りが付けられ、そこに祭りの文字が書いてある。聞けば、年に一度、何日も続く盛大な祭りが近々催されるらしい。
王都ともなればそれはいつも賑わいを見せているだろうが、俺達が訪れた今の時期、祭りを直前に控えさらに盛り上がっていたのだ。
祭り――か。お、いい事思いついた。と、それをユウキに伝えようと思ったら――。
「おい、ユウキ?」
ふと気づけば、隣を歩いていたはずのユウキの姿がない。
後ろを振り返ると……市場の食べ物を売る店にその姿があった。何をしているのかと見ていると――試食をもらっていた。それも一軒二軒ではない。次から次へと店を移動し、凄まじい勢いで試食の食べ物を食べている。
アイツ……言葉も分からねえくせに試食をもらう能力だけはすげえな。
「カムイも一緒に食おうぜー! フッフゥー!」
市場の通りの中、遠くに見えるユウキは俺にそう呼びかけた。
……俺はいいや。
ユウキは両手に試食の食べ物をどっさり抱えている。あれを消化しないと図書館にも入れない。俺は大きな建物の脇にあるベンチに座ってユウキを待つ事にした。
すると……。
「カムイ君!?」
その時、聞き覚えのある声で自分の名を呼ばれた。異世界に来て聞いたのではない。学校で毎日よく聞いていた声。
それは――。
「カナ先生!」
一瞬、目を疑ったがそこにいたのは紛れもなく俺達のクラスの担任、カナ先生だった。カナ先生は修学旅行で俺達を引率していた。グループ行動の時間になって別れたが、なぜその先生が異世界にいるのか。
「ああ……やっぱりカムイ君だ……!」
俺を見つけて安堵したその目は少し潤んでいる。
「よかったー……! 私、異世界に来てずっと一人でこのホテルに泊まってたんだけど、この世界のお金ももうなくなっちゃってホテルを追い出されて……。言葉も分からないし、どうしようかと思ってたの」
この大きな建物はホテルだったのか。カナ先生も俺達と同じように持ち物を売ってこの世界のお金を手に入れたものの、ホテルに泊まるだけでそのお金を使い果たしたらしい。そしてホテルを追い出されて途方に暮れてたところ、俺が目の前にいた、と。
「でも、先生までどうして異世界に?」
二人でベンチに腰を下ろし、俺は気になった事を素直に尋ねた。
「どうしてって……それは……」
そこで先生はバツが悪そうな顔をして口ごもった。やがて、抑えていたものが溢れ出したように語り始めた。
「私……その、教師としていまいちうまくやれてないっていうか……ホントに教師の仕事向いてるのかなって……だって、私のクラスだけ異様に生徒の成績が悪くて私、いつも他の先生方からも親御さんからも怒られてばかりで……」
勉強苦手なヤツが多いからな、ウチのクラス。異世界という環境がそうさせるのか、普段胸の内に秘めているものを吐き出すかのようにカナ先生は言葉を続ける。
「私だって一生懸命やってるんだよ? ……でもみんな真面目に授業聞いてくれないし……。この時期にまだ進路が決まってない生徒もいるし……そういうのって、私の力が足りてないっていうか……私が悪いのかな――なんて……」
それは……カナ先生だけに責任があるとは思わないが……。というか、俺は異世界に来た理由を尋ねたんだが――まあ、この時点で察しはつくものの、もう少し話を聞いてみるか。
それにしても、先生、意外に思い詰めてたんだな。
そして、語り始めたと思ったら今度はまるで堰を切ったように止まらなくなってしまった。カナ先生の周りだけ空気が暗く淀んでいくように見えた。
「おい、女神」
「むにゃ?」
寝ていた女神を起こす。
「カナ先生もお前が連れてきたのか? お前の狙いは学生じゃなかったのか?」
「私は学生を狙ってるとは一言も言ってませーん」
学生の事を「いいカモ」とか言っていたし明らかに狙っているように見えたが、確かに本人の口から「学生を狙ってる」と言った事はなかったな。
「この人は異世界に行きたいという思念が強かったので連れてきましたー」
女神はカナ先生の「今とは違う環境に身を置きたい」という強い望みを思念として感じたらしい。
カナ先生がこの世界に来たのは俺達よりも先。俺達がこの街に着いた時にはすでにこのホテルに泊まっていたようだ。
カナ先生は渾々と語り続ける。
「実家の親からは婚期を逃さない内に早く結婚しろって言われるし……でも、教師やってたら出会いなんてないじゃない?」
これは「どうして異世界に来たのか」という問いに対する答えの途中なのだろうか……。俺にとってはどうでもいいとしか思えない話になってきた。
「誰も相談に乗ってくれる人もいないし……家に帰っても一人だし……」
「先生、彼氏とかいないの?」
俺は、このぼやきのような話にウンザリしてつい、その言葉を頭に浮かんだままに言ってしまった。
「カムイ君……」
聞いちゃいけない事だったか?
「ごめんね、カムイ君。私とあなたは先生と生徒の関係――。あなたの気持ちに応えてあげる事はできないの……」
何言ってんだ、この人。俺の言葉はなぜか「生徒が先生にアプローチしてきている」と変換されたようだ。先生が顔をわずかに赤らめているように見えるのはきっと気のせいだろう。そしてそこで何かのスイッチが入ったのか、カナ先生のテンションが上がり始めた。
「私、理想の男性像があるの。それは――『金髪碧眼の王子様』! 教師の仕事をしながら王子様との出会いを夢見ていたけど、一向に会う事ができなかった……!」
そりゃそうだろう。
「でも、異世界なら金髪碧眼の王子様に会えるかもしれない! ううん、きっと会える! そう、ここから私のロマンスが始まるの!」
先生の瞳は妄想の中の王子様を見つめているかのようだった。教師としての悩みを思い詰めたように語っていた時は「大丈夫かな」と心配したが、これはこれで「大丈夫かな」と心配になる。
さて、先生にどこまで俺の質問に答えようという意思があったのか分からないが、どうやらここまでが「なぜ異世界に来たのか」という問いに対する答えのようだ。ともかく自分の環境を変えたいという意識が強い思念となって女神に伝わったようだ。
「ごめんね、みんな。でも私より良い先生がきっと見つかるはず。私は教師という職務から解き放たれて、自由になるの。もう、あの頭痛に悩まされる事もなくなる!」
そうだった。先生は過度のストレスから問題児を見ると頭痛に襲われるんだった。特に問題児筆頭のユウキを見ると。カナ先生は学校でも散々ユウキに苦しめられていた。先生は言わなかったが、異世界に来た本当の理由はユウキという悪夢から逃れる為なのでは、と勘繰ってしまうほどに。
今の先生はこれまで見た事もないほど清々しい表情をしている。きっと、異世界に来てユウキからも解放されて晴れやかな気分に――。ん? ユウキ……?
俺は汗が頬を伝っていくのを感じた。先生はユウキが異世界にいる事をまだ知らない。こんな晴々とした顔のカナ先生にこの事実を告げるのはあまりに残酷だ。だが、いきなりユウキと顔を合わせてしまったら――ショックが大きすぎるんじゃないだろうか……。ここはそうなる前に話しておいた方が先生の為だ。
「あのさ先生、言いにくいんだけど……」
俺が意を決して口を開くと、そこへ――。
「あれ? 先生じゃん! チェイーッス!」
先生はユウキを見るなり、石のように固まった。
この異世界で出会ってはいけない二人が出会ってしまった。
そしてゆっくりとした動きで頭を抱える。
「ああ、頭痛がする……。頭が痛い……」
発作が始まった。
「頭痛が痛い頭痛が痛い頭痛が痛い……」
頭痛がピークに達すると、教師らしからぬ表現が飛び出すほど痛いらしい。
こうなると、もうユウキと距離を置くしかない。これから先生を小屋に案内しようと思っていたところだし、送っていこう。俺は先生の身体を少し支えて立ち上がる。
「先生、大丈夫か? フゥー!」
ユウキが心配そうに近づく。ユウキは自分が先生の頭痛のタネである事に気づいていない。先生を支えている手とは逆の手でユウキが近づくのを止める。
「大丈夫だ。俺が小屋まで送っていくから、お前はここで待ってろよ」
「え、まだ試食できんの? イェーイ!」
そう言って市場に入っていくと、また試食を次から次にもらい始める。
「私、教師としてあの行為を注意しないといけない気がする……」
試食をもらいまくってる事か。確かに教師からしたら見過ごせないのかもな。
頭痛に苛まれる中――カナ先生は生徒を目の前にすると、異世界でも教師としての顔が出てしまうらしい。でも注意しようと面と向かうとまた頭痛が強くなるんだよな……。
「俺が後で言っとくよ」
「ありがとう、カムイ君。苦労をかけちゃうね」
「慣れてるよ」
と、そこで――ユウキが何かを思い出したように市場の通りから出てきた。
「先生! 俺、進路決めたんだぜ!」
それは、自分の進路を案じてくれていた先生への報告だった。
「えっ!? やっと進路決めてくれたの!?」
ここは異世界だが、ユウキの「進路を決めた」という言葉に顔をパアッと輝かせるカナ先生。
「この世界で勇者になる! それが俺の進路だぜ! フッフゥー!」
その言葉に先生は……。
「頭痛が痛い頭痛が痛い頭痛が痛い……」
さらなる頭痛に見舞われたようだ。
少し歩くと、カナ先生は支えがなくても自力で歩けるようになっていた。もう目の前に小屋が見えてきている。
「この世界の言葉、単語帳あるからカナ先生ならすぐに覚えられると思うぜ」
そんな話をしながら小屋に辿り着き、ドアを開けると――みんなが驚いた様子でカナ先生を迎えた。
「カナ先生!? なんで異世界に!?」
やはり開口一番に飛び出すのはその疑問。
「先生、俺に話した事をそのまま言うなよ?」
俺は小声で言う。先生はなぜか俺には正直に話してくれた。しかし、それをみんなに伝えていいものか。
「そ、そうね。こんなに生徒がいるなんて……」
生徒達の眼差しに囲まれて言い訳に困る先生。押し黙った先生から次の言葉は中々出てこない。
「先生が異世界に来た理由……そんなの決まってるだろ?」
俺はカナ先生の代わりに答える。だが、咄嗟に思いついた言い訳は少々苦しかった。
「異世界でも俺達を引率する為だよ」
すると――。
「僕らの事が心配で異世界に!?」
みんなで瞳を潤ませて――。
「先生~!!」
そして一斉に先生に抱きついた。まるで青春ドラマのワンシーンだ。
しかし――教師の仕事に耐えかねて異世界に来た、という事実を明かせない空気になっちまったな……。




