マスク争奪戦
初めて短編というものを書いてみました。
バトル描写を意識した、ただの練習用1万字小説です。
冷ややかな目で閲覧してください。
「これは俺のものだ!」
「いや、あなたのもののわけないじゃない。これは私のものよ!」
日中の気温が40度近くまで達する夏。
家では相変わらず、もったいない、と世界共通語が使われて冷房を付けるのを禁止されているので、僕は冷房の効いた図書館にいた。
いつもなら静かな図書館に、その日、声が暴れた。
男の声と女の声。どちらも20代ぐらいの若い声だ。
夏休みの宿題をやっていた僕はシャーペンを止めてそちらを見る。
いったい何が起こったって言うんだ。
「だいたい、なんたって俺が落としたマスクを拾おうするんだ」
「あなたこそ私が落としたマスクを拾ってどうするつもりなのよ、この変態!」
「これはどう考えても俺が落としたマスクだ!」
「いいえ。どうせ、ちゃっちな願望なんかで痴漢か何かと間違われるのが嫌だから、自分のと言い張っているだけでしょう。これは私のよ」
落ちているマスクがどちらのものなのか揉めているようだ。
大声で揉めるほどのマスクとは、どんな素材で作られているんだ。純金製で、もはや呼吸ができないものとかそういうやつか。それともダイヤがりんごパンのりんごみたいについているのか。
いやいや、そんなことはどうだっていい。そのうち誰かが仲裁して、注意して、お開きとなるのだから、僕はこの溜まりに溜まった宿題を片付けなければ。
置いたシャーペンを手に持って計算をしようとするが、騒がしくて、とてもじゃないができやしない。窓に貼られた『図書館では静かに』という意味がよく分かる。
ケンカが収まるまでは宿題は中断せざるを得ない。
見れば隣に座って新聞を読むおじさんも手を止めていた。
「そもそもあなたなんか、今もマスクを着けてるじゃない。それがどうしてこのマスクは自分のものだと言い張れるのかしら?」
「俺は花粉症がひどいから二重に着けてるんだ。そんなこと言ったらお前なんか、マフラーを着けてるじゃないか!」
「別にマフラーの下にマスクを着けてちゃいけないなんてルールはないのだから、見ず知らずのあなたに言われる筋合いはないわよ!」
マスクって風邪予防のマスクかよ。仮面のようなマスクだと思ってたけど、確かにそんなもの着けて図書館なんて来たら不審者と間違われて通報されてもおかしくないし、普通のマスクのほうが可能性は大いにあるよな。うん。
そんなマスクなら別に言い争うことでもなくないか。どうせ使い切りのものだし、ゴミ箱に入れるだけだろ。
「ああそうだ。お前がどんな使い方をしていようとそれは個人の自由だからな。それ自体に口出しするつもりは毛頭ない。だかな、俺のものを自分のものだと言ってる奴に言うことはあるぞ」
「私だって、友だちに二重に着けてる子がいるから使い方についてどうこう言うつもりはないわよ。でも自分が使っていたものを他の人に使われるのは生理的に気持ち悪いのよ」
「誰が人のマスクなんかを好き好んで使うやつがいるんだ。俺だってこれがもしお前のものだったら、自分のだと名乗りあげることもねえよ。だが、これは俺のものだからな。自分の落としたものなんだから拾うのは当然だろ。しかも痴漢だ!? それを言うには少し自意識が高すぎるんじゃねえのかマフラー女郎」
「はっ? これがあなたのですって? それはいったい何を根拠に言っているのかしら。それにどこら辺に自意識の高さを感じるのかしら。私が使っていたマスクを自分のだと言い張るあなたを、そういう癖のある痴漢だと言ってるだけじゃない。それとも人のものを盗もうとしているのだから、痴漢じゃなくて窃盗なのかしら」
なんかヒートアップしてきたぞ。
これはただ遠くで聞いているだけじゃなくて、野次馬になって近くに言ったほうがおもしろいかもしれない。
宿題なんて明日でもできるが、これは一生に一度体験できるかどうかなんだから。
シャーペンを筆箱にしまって席を立とうとすると、別の声がした。
「あなたたち、どんな経緯があるとしても図書館では静かにするのが日本人のマナーというものです。もちろん争わないことが一番ですが、もしまだ満足できていないのであれば、他所で言い合って来なさい。ここでは他の人に迷惑です」
それははきはきとした中年ぐらいの女性の声だ。
司書だろう。
その声に浮かした腰を落ち着ける。このまま移動するならば見ることはできない。なぜならばこの図書館は人が多く、荷物を置いておけばたぶん大丈夫だろうが、席を外すとすぐに座られてしまう。
少しの時間ならば荷物を置いておけるが、遠くまで行ってしまうと、荷物があるかどうか分からない。
どうせ終わるのだから、宿題に集中だ。
「それと、私のマスクで争うのはやめてください」
どっひゃー!!??? えらいことになった。
「あなたのマスクですって? 後から来て何をぬけぬけと言うのかしら。私が落として拾おうとしたらこの変態が来て、言い争っていたら今度はあなたがが来て。あなたたちはいったいなんなんですか?」
「俺が知りてえよ。司書さん、あんたが豪語するには少し登場が遅すぎるだろ」
「いえ、そのようなことはないのです。先ほどから何やら騒がしく、注意に参ったところ、その火種がわたくしが着けていたマスクだと分かりました。いつの間に落としてしまったのかは分かりませんが、そのマスクはわたくしのものです。ですから返していただけませんか?」
司書さんまで介入するのか。マスク1つで大げさな。
誰のだってもういいだろ。ゴミ箱に入れればそれでおしまいなんだから、誰のものかなんて考えずに捨てろよ。
「ここは公平にじゃんけんで決めろよ」
誰かが言った。
3人がいる位置からではなく、別の方向から図太い男の声が聞こえた。
確かにそんなに決まらないならそれで決めればいい。それすらもマスクごときで馬鹿みたいだが、3人が真面目くさった顔で所有権を取り合っているならば、それでいいだろう。
「いやよ。私のマスクなのにどうしてじゃんけんをしなくちゃならないのよ。それで負けたら私のものじゃなくなるなんておかしいじゃない」
「それにはわたくしも同感です。それでは運勝負ではないですか。そのようなことでわたくしのマスクが人の手に渡るのは許すことができません」
ええぇぇ……。
もうそれでいいだろ。妙案だっただろ。
なんで拒否するんだよ。第三者から言わせれば誰のものだっていいんだから早く決着つけろよ。
それと司書さん、あなたを含めて他の場所でやっててくださいよ。
宿題に取り組めないだろ。
「はははっ、そうだよな。自分のものじゃないから勝てる自信がないんだろ? 俺にはあるぜ。だって俺のものなんだから。運も実力のうち、つーけど自分のものだったら勝つぐらいどうってことねえだろ」
「ああ、そうよそうよ。これは私のものなんだからやってやろうじゃない。私が勝って私のものだということを証明してあげるわ!」
「そう言われれば引き下がることはできません。わたくしもお相手をしましょう」
変態グッジョブ。
いい感じに煽ってくれたお陰で闘争心に火が付いたぞ。
頼むからさっさと決めてくれよ。
じゃんけんの掛け声が聞こえた。
「ふざけんじゃねえぞてめえら! どう見ても今の遅出しだろうが。いい歳こいてズルしてんじゃねえ。正々堂々勝負しろよ。おい!」
おい。変態何言ってんだ。負けたのか。
おまえの言い分だと負けた奴は嘘を吐いてたってことだろ。突っかかるなよ。
羅生門羅生門。
「どう見たって今のは丁度いいタイミングだったじゃない。あなたこそ、いちゃもんつけないでくれるかしら」
「そうですね。むしろ遅かったのはあなたのほうだと思います」
こういうときだけ団結して競争相手を潰す女こわっ。
変態のむなしい叫びが聞こえる中で再度じゃんけんが行われた。
「こんなところに落としてたんですね。ぼくのマスク。あなたが拾ってくれたんですか? これは親切にありがとうございます」
あいこが続く中でその声は現れた。
声は少し高めで、好青年という印象を与える落ち着いたものだ。
「おおっ! もう1人いたぞ。これは最初っからじゃんけんだろ。2人の中に1人を入れてじゃんけんしたら俺にとって不公平だもんな。ズルして勝っても自分のものだって言えんよな」
変態……やっぱおまえ、ただの変態なんじゃないか。
というかなんでまた増えてんだよ。そんなに使い捨てマスクが大事なのかエコロジーたちめ。
もう捨てろよ、ほんと。
「わたくしの勝ちですね。それではこのマスクはわたしのものということで──」
「おい待て! この男が自分のだって言ってるだろ。こいつがいなかったからおまえが勝っただけで、もう一度やったら変わるだろが!」
「そうよ! 人が来たっていうのに続行してるあなたはズルいわ。そのマスクは正々堂々闘わないあなたのものではないわ」
マフラー。おまえも青年が来てからじゃんけんしてただろ。勝者と敗者に分かれたからっておまえも同じだってことに変わりはないだろ。
おまえが言うなおまえが。
「ママー。マスクあったよー」
「あらあら、私のマスク見つけてくれたの? ありがとね」
「ママのじゃなくてわたしのマスクだよー」
「こらこら、いくらママでも自分のと娘のを間違えたりしないわよ。大きさが違うんだから」
さらに増えたー。しかも親子で言い合ってるー。
これで6人目だぞ。マスク落としてる奴多すぎ。
しかもどんなマスクだよ。なんでみんな揃ってそこまで執着するんだよ。決着だよ決着。早く終わらせろって。
「失礼ですが、これはあなたのマスクではなくてぼくのマスクですよ。おばさん」
「いえいえ、これは外出時に着けていたマスクですよ」
「うーちがうよ。わたしがポケットに入れてたマスクだよ」
「わたくしのものだと何度もおっしゃってるではないですか」
「だから私のものだって言ってるでしょ」
手をわきわきさせて諭す青年に、憤慨する母親。それに対して子供は不満を漏らし、司書は呆れ、マフラーは床を踏み鳴らす。
だから、いちいちややこしくしないで捨てればいい話だろ。
それともいっそのこと、僕が中に入って捨てればいいのか。
そんなことしたら僕まであの中に入れられて7人目になってしまいそうだ。そうしてさらに炎上したら、警察沙汰になって裁かれてしまうかもしれない。
そんなのはごめんだ。宿題をするために来たのに犯罪者になってはシャレにならない。
マスクがどんなものかは直で見たことがないから知らないが、人々をゆうに魅了させるほどの何かを放っているんだろうな。
それに引き寄せられた人たちが争っている。これはあれか? ワンチャン、唯一魔性に引き寄せられない人物こそが真の所有者だったりするのか。呪いの武具を装備できるのが魔族だけ、みたいなノリで、耐性がある者こそが持つにふさわしい。そうなるとあの6人はダメになるのか。
くだらない予想の先は所持者が誰でいずこかに帰結した。
早くじゃんけんで雌雄を決しろよ。他の人が増えて収拾がつかなくなる前にさ。
「あー! もうしゃらくせー! どいつもこいつも自分の自分のと言いやがってよ。しかもどんどん増えていきやがる。こんなことになるんだったら最初っから実力行使でいきゃ良かったぜ」
それはこっちのセリフだ。
思わずそう言いたくなった。
──が、その言葉を区切りに、変態は近くにいた青年を殴りつけた。
青年と変態には服の上からでも分かるぐらい、体格差が如実に表れており、殴られた青年は吹っ飛び、返却後の本を運ぶカートにぶつかる。
カートに立てられた大小様々な本は床に散らばった。
そのほとんどが児童向けの絵本や簡単なお話だ。
「やっ……きゃあああぁ」
その声が誰のものかは分からない。
引ん剝いた叫び声は図書館のマナーを粉々に砕いた。
それでも自分のものだと譲らないマフラーは本棚に置かれた分厚い本をやたらめったらに変態に投げつける。
空を乱舞する本は、近くにいた人物たちに例外なくぶつかる。
「いつっ!」
司書の額に当たったのは本の角だったのだろう、血を垂らして、床の本を汚す。
「ぐひひひっ、ぶち殺してやる!」
司書は狂ったように声を荒げながら本を拾い上げ、自分の血で汚れたそれを服の袖で拭い、今なお、子どもがいたずらにティッシュを抜くかのごとく、本を投げ続けているマフラーに近づく。
途中、何度か本がぶつかるも微動として歩く。
「えへっへへ、たのーっっし、あへーぽんぽんっ!」
本棚に前にして自我を忘れ、後ろに気付かないマフラーは、髪の尻尾の付け根、頭部を本で殴られて殴られて殴られて、その場に倒れる。
白いマフラーが赤く染まる。
「おめえ、本を並べんのにどんだけ時間かかるか知ってんのか、あぁ? 位置、番号、高さ、タイトル、全てに気を使ってこっちは並べてんのにふざけんじゃねえぞ」
おおよそ先ほどの柔和な人間とは思えない声を発して、マフラーの、垂れた尻尾を持ち上げて、あごを数回蹴り上げたあと、そのまま引きずる。
いったい何が起こったっていうんだ。
さっきまでの喜劇のような雰囲気は消えて、殺伐とした熱気に包まれた。
近くで新聞の破れる音がして、横を見るとおじさんが読んでいた新聞を切り裂いていた。
バラバラに裂かれた新聞をイスの下に落とし、おじさんは腕を伸ばしてから服を脱ぎはじめた。
まさか、参戦するつもりじゃないだろうな。
シャツを脱ぐと、ネットで見る化け物のような溝の深い筋肉が露わになる。
「少年、貴様はどうする。我と共に来るか」
「はっ、いえ、僕はここにいます」
「そうか……今でこそ安全だが、じきにここにも血肉が降る。気をつけろ。奴らは獣だ。戦う素振りを見せなければ襲われることはないだろうがな。我は扇動されたものたちを八つ裂きにしてくるぞ」
「そうですか……頑張ってください」
状況にまったくついていけず、とりあえずエールを送る。
筋肉は「この新聞みたいにな」と去り際に残し、戦場へ赴いた。
たぶんこの人も病気だ。
ほんとに何が起こった。
しかも血肉が降るって? ここは落ち着いて宿題をしたり読書をするところじゃないのかよ。
しばらく身動きが取れないまま茫然としていると、先ほど本で殴られたマフラーが這いずりながらこちらへ来た。
巻かれたマフラーは背中側だけでなく、前も血が滲んでいる。
普通にあの司書は暴行罪とかで逮捕されるよな。
「ああああっ!」
司書だ。
後ろから司書はその背に飛び乗り、踏み潰す。
乱れた髪を鷲掴みにして幾度となく顔面を叩きつける。
歯が何本か転がった。
「誰がぁあ? 逃げろっつたんだ。てめえには俺様が贖罪のチャンスを与えてやんだから感謝しやがれよ」
鷲の爪は容易く尻尾をむしり取って食む。
末端にこびりついた肉だけを咀嚼して束を捨てた。
声に出して言わないが、図書館での飲食はやめましょう。
マフラーは一面真っ赤だ。
そして動かないマフラーを置いて去っていった。
言う通り、何もしなければ襲われることはないようだ。むしろ怖くて不用意に動くことができない。
このマフラーの女は無事なのか。
散々ボコボコにされて血だらけになってはいるがピクピクと動いている。まだ生きているようだ。
気持ち悪いので机の下に動かして筋肉が投げ捨てていった服を被せておいた。
「やめて……お願いします。命だけは勘弁してください」
懇願が聞こえた。
これは母親のものだろう。本棚で隠れて見えないが
何かをされているのだろう。さっきの変態ならありえそうだ。
「おいおいマミーさんよ。わたしがいつもなんて言われてるか知ってるか? おまえのせいでいまだにおねしょしてるってばかにされてんだぜ」
この声は小さな子どもか!?
豹変しすぎだ。揃いも揃ってなんか病気にでも罹ったのか。これはもはや常識の範疇ではない。
「ごめんなさい。どうか……どうか許るぅるるる〜ぅ」
声だけではまったく掴めないが、母親の声が震えていた。それは恐怖で口が震えるのではなく、扇風機の前で声を出すように音が振動していた。
たかが1つのマスクで始まった争いがここまでなるとは誰が予想しただろう。
まてよ、マスクだ。
幾度となく疑問に思ったマスクだ。なぜ誰もが普通のマスクを自分のだと言い張ったんだ?
最初は口論だ。
そしてじゃんけんに発展して。
そして結果的にこんな争いにまで発展した。
たかがマスク1つでこんなことはありえない。しかし、現実、それがありえてしまっている。ありえないことがありえるというのは、その他の事柄すらもありえてしまうということだ。
例えば。
マスクに備わった魔法、呪いの類い。
そこで思考はストップした。
地震対策がなされて金具で固定されているだろう本棚が倒れたからだ。
片側の本がクッションになったのだろう、静かに倒れた本棚の奥では小さな女の子が立っていた。
「あははははははっ。ザマァ見やがれよ。これが自業自得ってもんだ」
女の子は3メートルはあるだろう本棚を飛び越えて僕の視界から消えた。
遠くの方で悲鳴が立って絶たれる。
「えっ、かぼちゃプリンがプールで泳いでる! ぼくは納豆。ぶひょょょょよ?」
カートで頭を打っておかしくなった青年が走り回っていた。相当イカれているようで窓に突進してガラスを突き破って落ちていった。
マフラーと納豆、それと母親。3人が戦場から離脱した。残り3人となった。
いや先ほどの筋肉を含めれば4人なのか。
扇動されたものを八つ裂きにすると言ったが、あの人はいったい何をするつもりなんだ。
この状況で、あの落ち着いた雰囲気。もしかしたら何かを知っているのかもしれない。
この階のすべての本棚はもう倒れていた。
そればかりか、ほとんどのものは破壊されて、フロアを見渡すことができるようになっていた。
初めて図書館の全景を見たが意外と細長いもんだ。
そして、見渡せるということはもちろんフロアの構造だけでなく、そこにいる人たちも見ることができるということだ。
真ん中付近で変態と司書が戦っていた。
どちらも譲らず、拳と脚の攻防。
殴って避けて蹴って殴る。格闘の応酬が繰り広げられていた。
どちらも無言でひたすらに相手を殴り続けるその様からは、相手を負かすというより、生き残るという執念を感じる。
どちらも互角で引けを取らない。
それを眺めること、数分。いつしか本棚は原型をなくし、ほこりのように両側につまはじきにされていた。
開いた空間には人がたくさん倒れていた。
確認できるだけでも50人近くはいる。
普通に本を借りに来ただけの人や、勤務していた人、警備員までもが倒れていた。
扇動された人々。
それはきっとこの人たちのことを言うのだろう。
この人たちは渦中に巻き込まれ、そして渦中そのものとなった。だから倒されたのだろう。
あの筋肉に。
この場に立っているのは、変態と司書、子どもと筋肉しかいなかった。
もうなんていうか、宿題どころの騒ぎじゃなかった。
もう帰りたい。
全てはあのマスクのせいだ。
すべての発端はマスクから始まったんだ。
そのマスクさえなくなれば、きっと終わるはずだ。
早く探して帰ろう。
しかし当のマスクはどこに行ったんだ。もしかしたらまだ誰かが持っているかもしれないし、本の下敷きになっているのかもしれない。
このだだ広く、乱雑な部屋でマスク1枚を探すのは難儀だ。
よし諦めよ。
「おらおらおらっ! 暴力暴力♩」
「マナー違反だろうがあぁ!」
「おまえら一生トイレに行けねえ体にしてやんよ」
「はあ……今回も派手になったな」
他の3人は気が動転して何も気がつかないだろうが、ただ1人だけ、他の者たちとは一線を画すやつがいる。
筋肉だ。あいつだけは平静を保っていた。
そればかりか何か含蓄のある言葉を使っている。
あいつから話を聞けば何かが分かるかもしれない。
どうにかしてあいつと接触しないといけない。
そのためにはあの戦場に踏み込まなければならない。
そんなことできるか。どう見てもあいつら人間じゃない。拳ひとつで床を陥没させたり、本棚を振り回したりしてるんだぞ。命がいくつあっても天国に輸送されるだけだ。
ならば、筋肉をこちら側に来させればいい。
汗をかいた。
暑いと思った。それもそのはずだ。これだけ暴れまわって破壊し尽くせば、当然冷房だって壊れるだろう。
4人が一斉に構えた。
全員やる気だ。バトルロイヤル。
口火を切ったのは司書だった。
「てめえらここまで壊しておいて生きて帰れると思うなよおおぉぉ!!」
司書は本で筋肉を殴りつけた。
しかしここまで残った筋肉だ。その攻撃力と防御力には先に本が悲鳴をあげた。
「ぎゃっはははははぜんいんしけーーーーい」
次に動いたのは子どもだ。
鷲が獲物を狙うもっとも無防備になる瞬間を付いて、女の子はひしゃげた本をもった司書に連打を叩き込んだ。
その攻撃をなんとか察知して身を守った司書だったが、その速度の前には防御しても勢いまで殺ぐことはできず、そのまま10メートルほど吹き飛ばされ壁にへこみを作った。
「ガキのくせに早すぎぃぃぃぃ!」
変態は子どもを捕まえにかかる。
しかし体を反らすことで女の子は難なく躱し、逆に
その勢いを利用して変態を蹴り上げようとする。
変態はそれを待ってましたと言わんばかりか、疾風の蹴りを捕まえて振り回す。
「ひゃっはー。ガキの大好きなメリーゴーランドだぜ。おらよっと!」
いくら速かろうと、捕まえられてしまってはなす術のない小さな体は、回転速度を上げ、遠心力で壁に叩きつけられる。
そこに不動の筋肉が動き、白煙の中を殴りつける。衝撃で後ろの壁には大きな穴が開く。
「ああ口から、口からもれちゃううぅ。ごぼぉぼ」
女の子はこみ上げる胃液を、筋肉の眼球に向けて吐き出して、片目の視界を奪った。
そのまま態勢を立て直すために一度退避を行う子どもを残った片目で目視した筋肉は、若干の動作の遅鈍にその経験から明敏に気付く。
2人で子どもを始末しようと考えて、油断している変態に対して最大限の力で重い蹴りを放ち、脳天にぶち込まれた変態は床に伏す。
これで立っているのは3人になった。
攻撃の司書。
防御の筋肉。
速度の子供。
誰もが一癖も二癖もある強者だ。
その誰もが疲弊していた。
司書は吹っ飛ばされた時に利き腕を痛めたようで、その馬鹿力をふんだんに発揮することはできなさそうだ。
筋肉は片目を潰された。視界の狭まりは攻撃に対する決定的な隙を与え、絶対防御を不可能にした。
子供は全身に打撲を負った。今までのような俊敏な動きは難しい。
しかし誰もが相手に悟られぬようにと、気丈に立ち尽くした。
僕から見ても皆が満身創痍なのは見て取れるので、それはなんの意味もなさないだろう。
体力の限界。
それは3人が持つ、短期決着以外の選択肢をデリートした。長引けば危険だと。
たぶん次の一撃に全てをかけるはずだ。
そこで勝敗が決する。
「来世でマナーを学んできやがれや!」
「最近、給食の牛乳が生ぬるいんだよ!」
司書と子供は動いた。
遅れて筋肉は全身を強張らせながら突っ込んだ。
その衝撃は今までの比ではなく、窓ガラスが粉微塵に吹き飛んだ。
周りの本は風圧でページが破れ、木材は折れ曲がり、蛍光灯は割れた。
瓦解した図書館に立っていたのはただ1人。
そいつは壁に寄り掛かる形でなんとか立っていた。
指で押せば倒れてしまいそうなほど困憊としていた。
ふらりと揺らついてバランスを崩し、自分が先ほど作った壁の穴から落ちていった。
図書館跡には僕だけがいた。
筋肉に話を聞こうと思ったが、7階のここから落下していった。たぶんもうダメだろう。
僕はそのまま帰った。
宿題は終わらなかった。
頑張れば続編書けそうだけど、書かないと思う。
いつか読み返して、バカなものを書いていたなとしみじみ思う、若かりし頃の至りになれば良し。