1 初めての金縛り
生霊。それは死霊、つまり死んだ者の霊と違い、生きている者が意識的、または無意識的に想像しているエネルギー体のこと。恨みや妬み、はたまた好意や強い尊敬の念から生み出されるそれらは下手の低級霊より厄介である。
本書では身近にある生霊の害とそれらに対しての正しい対処法をお教えします。まず最初に――
……バタン
「はぁ……」
本が整然と並ぶ図書室の中、椅子に腰かけている1人の青年がため息を吐く。青年の名は恩藤愁理。ここ、私立海談学園に通う2年生である。
愁理はため息を吐くとがたりと椅子から立ちあgり、本を棚に戻す。そして机の上の荷物を手に取ると颯爽と出口へと向かった。なぜか今日に限り、愁理は読書する気分ではなかった。
「あれ? 今日はもう帰り?」
「なんか気分が乗らなくて」
愁理はすっかり顔なじみとなった図書委員に挨拶をして図書館を出た。すでに校舎に人の気配はなく、グラウンドから運動部の掛け声が聞こえてくるだけだった。そんな校舎を修理は1人で歩いた。
「……はぁ」
愁理はもう1度深くため息をつく。今日はどうにも気分が悪かった。熱があるわけではなく、頭痛もないのだが、体が異常に重かった。
(今日は早めに家に帰ろう)
図書館をいつもより早めに出たのはそう思ってのことだった。昇降口へ行き靴を履き替える。そして愁理は学校を後にした。
愁理の家は学校からおよそ50分。徒歩と電車を含めての時間だ。
通学時間が50分というのは平均的に見ても長い方だろう。しかし愁理にはそうする理由があった。愁理はとある事情により近場の学校には行きたくなかった。別にいじめられていたということではないとは愁理の名誉のためにも言っておこう。
平均的に見れば長い道のりも、1年もの間通い続ければ慣れるものだ。今年で高校2年となる愁理は部活も生徒会もやっておらず、また彼女もいない。本人は作る気がないだけと言っているが。
「ただいまー」
家へと着き、玄関を開ける。しかし家の中から返事はない。というのも2年前に愁理の両親は離婚。愁理と妹は父親の方についていったものの離婚直後に父親は突然の病で他界。現在は妹と2人、母親からの養育費と父親が残した遺産で生活をしていた。
「よっこらせっと」
愁理は私服から部屋着に着替えるとすぐに洗濯物を取り込み畳み始める。炊事、洗濯。家事、掃除はすべて愁理の担当だ。とはいっても愁理の妹は家にいれば手伝うので実質は2人で協力してやってるといったところだ。
洗濯物を畳んでいる愁理の目にふと見慣れない布切れが映った。気になって手に取ってみる愁理。その布を広げて見ると、それは燃え上がるかのような赤色に、思わず心を踊らされるレースが付き、そして破けてしまうかのような面積の少なさで愁理の鼓動を少し高鳴らせた。
「むむむ……あいついつの間にこんなエロい下着を……けしからんな」
少し中学生にしては派手な下着を愁理はそっと畳む。
愁理の妹、紗奈はこういったところが兄の愁理に対しては無頓着で、ブラジャー、パンツ、はたまた生理用品まであっけらかんと見せる。2人で買い物に行ったとき、パンツを買わされたのは良い思い出だ。……無論、俺以外にこの下着を見せることがあれば俺はそいつを消さなけらばならないが。愁理は1人決意を固める。
洗濯物に続いて料理も愁理は始める。幸いというべきか母親からの養育費は潤沢に送られてくるので金には困っていない。料理も腕を振るって豪華なものが作れるのだ。最も愁理の作れる範囲は家庭料理に留まるのでその時点でお察しだが。
「冷蔵庫には……卵と鶏肉か。これは俺に親子丼を作れと言っているな?」
少し危ないひとり言を吐きながら愁理は包丁を手にする。そろそろ妹の紗奈が帰ってくる時間だ。修理はそう考えて料理を始める。
ガチャ
「たっだいま~!」
(ビンゴ)
愁理の予想通り紗奈が帰ってきたようで、玄関からバタバタと慌ただしい音が聞こえてくる。普通だったら何を急いでいるのかと気になるところだったが毎度のことで慣れている愁理は気にしなかった。
ドタドタドタ、ガチャ
「ただいま!」
「……」
「お兄ちゃんただいま!」
「はいはいおかえり」
扉を入ってきたのは見るからに活発そうな印象を受ける少女だった。黒髪は横で1つに束ねてあり、少女、紗奈の活発さを表すかのように動きに合わせてぴょこぴょこと跳ねている。
部活帰りだというのに紗奈はどこかで顔でも変えてきたかのように元気100倍だった。愁理はそんな妹にため息をつきつつも、いつも通り明るい紗奈に深い安堵を覚える。
「お兄ちゃん今日も立派に主夫してるねぇ。良いお婿さんになれるぞっ!」
「……まだできるまで時間かかるから風呂先いいぞ」
「了解であります!」
ドタドタドタ
紗奈がまた慌ただしい音を立てながら走り去っていく。紗奈の部屋は2階にあるので荷物を置いた後風呂に入るつもりだった。
部屋に入り荷物を置いた紗奈はパジャマと下着を取ろうとタンスを開けた。
「おろ? あのパンツどこだっけ……あ、昨日履いたんだった」
紗奈はにやりとすると適当な下着をもって部屋を出る。やはりその足音は慌ただしいものだった。
(……騒がしい妹だなー)
愁理は料理を作りながら先ほどの紗奈を思い出してそう思った。そんな愚痴をこぼしている愁理だったが2人きりの生活になってからは紗奈の明るさにずいぶん助けられていた。それと同時に兄として紗奈の助けになってるのだろうかという思いもこみあげてくるのだが、家事をこなすことでそれらを相殺しようとしていた。
「……俺が同級生だったら間違いなく告ってるな。で、間違いなく振られる、うん」
ドタドタドタ、ガチャ
紗奈は風呂に向かうわけではなくまた兄のいるキッチンへと顔を出していた。扉を半開きにして料理をしている兄の姿を覗いている。
「じー……」
(じーとか自分で言っちゃうのかよ。可愛いなおい)
そんなバカなことを考えながらも愁理は努めて紗奈の方を見ないようにする。見れば絡まれるのは必至だったからだ。おそらく見なくても絡まれるだろうが。
「……お兄ちゃん、あのパンツどだった?」
(あのパンツって……)
いきなりパンツの感想を求められた愁理だったが慌てることもなく冷静に妹のパンツを思い出す。この程度のことはよく聞かれるので愁理は耐性がついていた。
愁理は少し考えて一つのパンツへと辿り着く。それは先ほど愁理が畳んだ洗濯物の中にあった煽情的なパンツのことだった。
おそらくそれのことだろうと愁理は考えて紗奈の方を見ずに質問に答える。
「あぁ最高にエロイな。ただ————」
「もう、お兄ちゃんのエッチ!」
「高校1年が履くには……ってもうういねぇし」
相変わらず嵐のような妹だ。愁理は気持ちを切り替えて料理を再開する。感性の目安は紗奈が風呂から上がるころだ。
「いっただっきまーす」
「いただきます」
紗奈と愁理はそう言って箸を手に取る。2人きりの部屋には2人の立てる音と時計の音しか聞こえない。というのも恩藤家のルールとして夕食時にテレビをつけることは禁止されていたからだ。なぜか朝と昼はいいのだが。
「……んん! 美味しい!」
「さよけ」
「さすが私のお兄ちゃんだね!」
紗奈が愁理に向かって手を伸ばしサムズアップする。愁理は「うわ、今時おっさんでもやんないだろそれ……」と妹のことを心配しつつも料理を褒められた嬉しさを感じる。
照れくささを感じつつも愁理は話題を変えることにした。夕食時の会話は基本的には学校での出来事となる。
「……部活の方はどうだ?」
「んーまぁまぁかな? まぁそんなに強いところでもないし」
「そっか」
紗奈は愁理とは別の高校に通う1年生だ。紗奈の学校はいわゆる女学院で教師以外には女性しかいない。愁理は紗奈に彼氏ができないことに安心する一方で、女子特有の上下関係や交友関係を心配していた。
そんな愁理の心配をよそに紗奈はあっけらかんと答える。家ではこんな調子の紗奈だったが学校ではもう少し控えめで、周囲の評価は「元気で社交的ないい子」と言ったところだ。兄が思っている以上に上手くやっている妹である。
逆に紗奈は兄である愁理の学校生活を気にしていた。部活も生徒会もやらずに休日はほとんど家にいる愁理。いじめられているのではないかと心配されてもおかしくない。
「お兄ちゃんこそどう? 高校2年の5月は」
「いや高2の5月って……4月ならまだしも5月にどうもこうもないだろ」
(4月も何もなかったけどな)
「えーなんだーつまんないのー」
紗奈は口をとがらせてぶーぶーと文句を言う。愁理はそれには答えずにご飯を口へと運ぶ。
これでいい。平凡な日常でいい。愁理はそう思っていた。イレギュラーのない、トラブルもない日常で。
「まぁお兄ちゃんがいいなら私はいいんだけどね」
「……おう」
さらりと兄の心を読んだかのように一言いう紗奈。愁理は少しドキリとしながらもそれを顔に出すことはせずに食事を進める。
愁理にはそれよりも気になっていることがあった。それは家に帰った後もなお増す体の重さだった。今日の昼頃から感じ始めたそれは今になるまでに増し続け、無視できないとまでなっていた。
「……ん? お兄ちゃんどったの?」
そんな愁理の異変に気付く紗奈。いつもの兄とは違う様子が気になった。愁理は今日の昼頃から体が重いことを紗奈に伝える。
「え、そうなの!? 行ってくれればお風呂先譲ったのに」
「あぁ……だから今日は早く寝るわ」
「ん、わかった! 片付けとかは任しといて!」
愁理はよくできた妹だと感動する。お兄ちゃんは嬉しいぞと思ったが、妹の姿を見て少し肩を落とす。
「……その親指立てるのやめい」
夕食を食べ終えた愁理は紗奈の言葉に編めて風呂に向かうことにした。正直このままベッドに横になりたいという思いもあったが、風呂でさっぱりしたいという思いが勝った。そして愁理は少し億劫に思いながらも風呂場を訪れていた。依然としてだるさは体に残ったままだ。
「あぁ~」
ゾンビのような声を出しながら服を脱ぐ愁理。最近、恩藤家に届いたドラム式洗濯機に服を放り込むと洗濯機を回そうとする……が、それすらも面倒になり紗奈に任せようとした。
ゾク
「!」
何かの気配を感じて背後を慌てて愁理は振り向く。背筋が寒くなるよう感覚だった。しかし背後にはただ洗濯機があるでけでそれらしきものは何もない。
「……こりゃいよいよだな」
愁理は体のだるさのせいだろうと決めつけて風呂場にはいった。
「ふぅ~」
愁理は体を一通り洗い終えると湯船につかり息をつく。普段ならシャワーだけで済ますのだが今日は湯船につかりたい気分だった。久しぶりの風呂は気持ちよく、愁理の体を温めた。
湯船につかりながら愁理は考える。先ほどの悪寒は何だったのだろうか、と。背筋が凍るという言葉はあれのことかと納得するほどの寒気がした。しかし今日1日で寒気がしたのはさっきの1回きり。風邪ではないと思っていたが……。
(風呂からでたら体温でも測るか)
愁理は思考を振り切って次のことを考える。とにかく今は湯船でゆっくりしたかった。
……ぴちょん……ぴちょん
1人きりの風呂場で水の滴り落ちる音だけが鳴り響く。愁理には先ほどの悪寒のこともあって、その規則的な音がやけに不気味に聞こえた。少し愁理の心臓が高鳴る。
「……はぁ~」
高鳴った鼓動を誤魔化すかのように大きく息を吐く。もし風邪ならあまり長風呂も良くないと思い、愁理は最後にシャワーを浴びて早々に風呂を出ることにした。
ザバ……シャアー……
愁理は最後にもう1度体を流す。体はさっぱりするはずなのだがだるさは消えず、さらには心まで重くなってきた気がした。
その時、愁理はなぜかは分からないが曇った鏡が気になった。ナニカ黒いものが映ってる気が……。
「!」
バッ!
愁理は鏡の中の自分の肩のあたりに得体のしれない黒い何かの姿を見るともしやと思い振り返った。しかしまたもやそれらしき姿はなく、ただ曇ったドアがあるだけ。
「……なんだ……よ!?」
愁理が安心しかけた時、その曇ったドアに黒い人影が現れた。愁理はこれが悪寒の正体化と思わず身構える。
「……おにいちゃーん? 長風呂は良くないよー?」
「……あぁもう上がるよ」
(なんだ紗奈か……)
愁理は紗奈に返事をしつつ肩の体を抜いた。幻覚まで見えるなんて……生霊なんかが書いてある本を読んだせいだな。愁理はそう決めつけて風呂をあがった。
パジャマに着替えると早速体温計で熱を測る愁理。しかし体温計の値はいたって平熱を指しており問題名はない。愁理は首を貸しgながらも一応風邪薬を飲んでおくことにした。
「お兄ちゃんもう寝るの?」
「そうするわ。悪いけど後の家事頼むな」
「合点承知の助!」
愁理は紗奈の立てる親指を背に自室へと向かった。
部屋に入るなりベッドに横になる。普段ならこんな時間に眠くはならない愁理だが、薬の副作用もあるのか横になるなり瞼が重くなる。
「……明日の目覚ましだけ……」
目覚ましをセットしたところで愁理は夢の世界へと旅立った。
「うう~ん」
深夜。寝苦しさを感じた愁理は目を覚ました。時計は午前2時を指している。愁理は寝なおそうと思い、寝返りを打とうとした。
「ん……え?」
しかし体は愁理の意に反して動かない。愁理は右に左にと体を動かそうとするが体はピクリとも動かない。
「嘘、だろ……?」
愁理は必死に動かそうと試していった。腕、足、指、首……。しかし体のどの部分も言うことを聞かず、辛うじて動くのは瞼と口だけだった。
愁理は戸惑う一方で一つの結論に達していた。今まで体験したことはなかったがこれが……。
「金縛り、か……?」
おぉこれが金縛りか。体が動かせないと分かった愁理の反応はそんなものだった。普通ならもう少し狼狽えそうななものだが、愁理には冷静でいられる理由があった。
日本人の4割が体験するという金縛り。その金縛りはなんと睡眠障害として科学的に証明されているのだ。金縛りにあった多くの人間は「霊かも……」と思うかもしれないが、実際にそんなことはない。これが愁理が冷静でいられる理由であった。
(だから俺のこの状態も少し経てば解け――)
ぅぁぁ……
(……るはずだ。ま、まぁもう一度寝て起きれば治っているだろう)
愁理は聞こえてきたうめき声のようなものを無視し、寝てるにも関わらず重さを感じる体を気のせいにしてもう1度寝ようと瞼を閉じた。
再び静寂を取り戻す室内。かすかに時計の針が刻む音が聞こえるのみで他には何も聞こえない。愁理はほっとして肩を撫で下ろした。
うぁぁ……
(……気のせいじゃない、のか?)
愁理は再び聞こえてきたうめき声を今度は無視することができなかった、なぜならそのうめき声は最初より大きく、そして近くで聞こえた気がしたからだ。
愁理は一転して今度はうめき声に耳を澄ます。気のせいならそれでよし。気のせいじゃないなら……。
「うぁぁ……」
ゴソゴソ
「ひっ……!」
その声は確かに人の声の物だった。愁理がそう断定した瞬間、狙ったかのように足元からナニカが布団の中に入ってくる。思わず小さく悲鳴を上げてしまう愁理。そのナニカは愁理の足元から入り、次第に顔の方へと移動しているようであった。
(く、来るな……っ)
そんな愁理の心の叫びもよそにナニカは着々と愁理の顔へと迫る。覆いかぶさっていくナニカが体の上を這う感覚……愁理は全身に鳥肌を立て、鼓動を速めながらも声を出すことを忘れていた。
脚、腰、腹……そして胸。ナニカは着実に近づいてくる。愁理をじらす様にゆっくりと。顔に近づくにつれ激しくなる呼吸、動悸。そしてゆっくりと布団が持ち上がり……。
「……う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」
現れたのは黒く丸い何か、いや髪で覆われた人の顔だった。愁理はやっと声を出せることを思い出したかのように叫び声をあげ、全力で逃げようともがくが体は依然として動かない。そしてそれをあざ笑うかのようにナニカは再びゆっくりと愁理の顔へと近づき始めた。
「く、くるなぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!」
「お兄ちゃん!?」
突如聞こえた叫び声に目を覚ました紗奈はその声が兄のものであることに気付いた。考えるよりも早く体は愁理にもとへと向かい、ドアを開け目に入ってきたのは布団で寝ながらも何かに怯えたように叫び声をあげる兄。紗奈は兄のもとへと走って近づいた。
「さ、紗奈!? 助けてくれ、な、何かが!」
「お兄ちゃん落ち着いて」
「は、早く!」
愁理はパニックになり紗奈にすがりつく。紗奈は愁理が何に怯えてるのか分からず部屋を見回す。しかしそこにあるのはいつもの兄の部屋であり特別なものはない。紗奈はとりあえずパニックになっている愁理を落ち着かせようと両手で手を握った。
「お兄ちゃん大丈夫。深呼吸して」
「あ、あぁ」
紗奈に手を握られたことで我を取り戻す愁理。言われたとおりに震える唇でゆっくりと息を吐く。そうすると心は落ち着き、今の状況を冷静に把握できるようになった。
(体が、動く……! そうだ、あいつは……!)
いつの間にか紗奈へとすがりついていた愁理は体が動くことに気が付く。そして先ほどまで怒っていたことを思い出しベッドの上へと視線を動かす。しかしそこにはナニカ、はいない。
愁理は紗奈にもう大丈夫だと伝えると恐る恐る布団をまくって確認する。がしかしやはりナニカの姿はない。ほっと胸を撫で下ろした愁理に対し、紗奈はまだ何が起こっているのか把握できないでいた。
「お兄ちゃん……?」
「あ、あぁ実はな……」
そう言いかけたところで愁理は思い至る。紗奈にさっきまで怒ったことを話して信じてもらえるのか? いや、優しい紗奈のことだ。俺を気遣って信じてくれるのだろう。しかしそれは……兄として情けなくはないか?
先ほどまですがりついていたことは忘れて愁理はそう判断する。ただでさえ紗奈に助けられている俺がまた紗奈に助けてもらうのか? と。
「……怖い、夢を見たんだ」
愁理が出した結論は黙っておく、というものだった。震える指先を後ろに隠し、震える唇をきつく結び動揺を悟らせないようにした。
「……ほんとに大丈夫?」
しかし紗奈は兄の異常な様子を見抜いていた。兄の怯えようはとても悪夢を見たというだけでは説明がつかないほどだった。兄のことを疑うわけではないが、確認はしておきたかった。
「あぁ。悪かったな起こしちまって」
表面上は何ともなさそうに見える兄。そんな兄を見て紗奈はお兄ちゃんが黙っているなら私も見てないことにしよう。そう思って会話を続けた。
「……うん、びっくりしたよ。急に叫び声が聞こえたから」
「わりいな……。明日も朝練だろ? 俺はもう大丈夫だからもう部屋に戻れよ」
見栄を張ってそう言う愁理。ほんとはもっと紗奈にいてほしかったが、それを口にすることは愁理のプライドが許さなかった。
そんな愁理の言葉に不安を残しながらも部屋に戻ることにした紗奈。部屋を出る最後まで心配そうに愁理を見ていたが愁理が笑いながら大丈夫だというと安心したようでおやすみと言って部屋を出て行った。
「……ふぅ~」
紗奈が出て行ったところで一息つく愁理。ベッドに横になり何とか誤魔化せたかと目をつむる。この時の愁理の頭にはナニカのことなどすっかり忘れてしまっていた。
「ん……!?」
(体が……!? まじかよ……)
再び言うことを聞かなくなる体。目を閉じただけで眠ってなどいなかったので睡眠障害でないことは明らかだ。そして今回は声も出せない、というよりは口が動かなかった。
キョロキョロと辺りを確認する愁理。どうやら今回動くのは目だけのようだ。
もぞもぞもぞ!
先ほどまでとは違って一気に胸まで這い上がってきた何か。愁理はゴクリと唾を飲み込みながらも見ずにはいられなかった。
ゆっくりと視線を胸の方に移す。するとやはりそこには先ほどの黒い頭があった。
「……」
「……」
(ぎゃぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁああ!!!!)
愁理は今度は心の中で叫び声をあげた。
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