心残りの
とても寒いんだ。
だから、温かい場所にいた。
それなのに。
どうしてだろう?
だんだんと眠たくなってきちゃって……。
どうして?
ああ、ほら、ユイちゃんが帰ってきたよ。
いかなくちゃ。
おかえりなさい、って言わなくちゃ。
泣かないで、って。いつもみたく、側にいかなくちゃ。
心 残 り の
暑い夏のこと。
その日は、たまたま放課後の大掃除の日で。
ほんの少しだけ帰るのが遅くなってしまった。
「あーもう。早く帰ってピーコにご飯をあげないと……!」
ランドセルが跳ねて背中にあたるのが煩わしかったけれど。
わたしは気づいてしまった。
昨日の朝から、ピーコに水もご飯もあげていなかったことを。
小学校1年生の入学式の朝。
祖父が入学祝いにと買ってくれたオカメインコのピーコ。
世話は、全部わたしの仕事。
だからきっとお腹がすいているはずだ。喉だって乾いているかもしれない。
「待ってて! ピーコ!」
背中の痛みと罪悪感を比べれば、痛みなんてへっちゃらだ。
両方を振り払うようにして、わたしは帰路を走った。
「ピー、コ?」
息を切らして部屋にはいる。
ピーコの餌袋を掴んで、檻の中を覗く。
「ピーコ、どこ?」
そこには、ピーコの姿がなかった。
籠の鍵は、住民がいなくたってしっかりと閉ざされている。
ピーコだけが、その場から消えてしまった。
こん、と。部屋の扉がノックされた。
急いで部屋にはいったものだから、扉は開けっ放しのはずだ。
きっと誰かが自分の存在を知らせるためにノックしたのだろう。
ピーコがいないというのに、混乱の最中でも冷静に判断できる自分が恐ろしかった。
これから見ること、知ることを何となくわかってしまっているような、そんな気がして。
お母さん、かと思ったのだけれども。
おそるおそる振り返ると、そこには見たことのない女の子がじっと私を睨みつけて立っていた。
赤い浴衣を着た、きっとわたしより少し年下の女の子。
教科書に載っている……昔の手毬唄とか、おはじきとかして遊んでいるような、
そんな格好と雰囲気の女の子だ。
「ピーコ、病気だったのよ。」
女の子は静かにいった。
「アタシは死神。ピーコを迎えに来たわ。」
いつもはもっと早く帰ってくるのだ。
今日は少し、遅くなってしまった。だから、きっと、
「間に合わなかったわ。」
女の子がすすっと足を擦らせて近づいてくる。
目の前まで来て、女の子が両手を体の前で組んでいるのに気がついた。
きっと、その手の中には
胸がどきどきする。知っている。これから見ることを。
わかっている。これから知らされる事実を。
だって目の前の女の子は、「死神」だから。
だって後ろの鳥籠には、ピーコはいないから。
つまり。
「お別れの挨拶もまだ済んでいないでしょう?」
女の子がそっと差し出した両の手のひらの上に。
黄色い体が横たわっていた。
「ピーコ……。」
「ピーコはアナタの帰りを待っていた。だけど、間に合わなかったの。アナタの帰りが。」
「……。」
「病気だったから。今日が峠だった。悲しまなくていいわ。いずれ……生き物は逝ってしまうから。」
悲しまなくても、いい?
そんなこと、できるわけない。
だってピーコは大切な友達で――ううん、最期を看取れなかったとしても、
世話をサボっていたことも自分のせいだから、何とも言えないんだけど。
それでもピーコは本当に大切で――。
「幸せだったと言っていたわ。ピーコは、アナタに歌を聴いてもらって、幸せだったって。アナタが一緒にいてくれて幸せだったって。」
「……そ、んな」
「死んじゃったから、そんなことないって言いたい?」
「あ……。」
「死んじゃってもね、良かったって。だって最期のその瞬間まで、幸せな記憶に包まれていたもの。怖くなかったはずよ。」
女の子は笑わない。
なんだか暗い目をしているけれども、優しい声で私に言葉をかけてくれる。
励まして、くれているんだ。
「本当に、そうだったのかな………」
ユイは、苦しそうに呟いた。
日本人形のような女の子は、ユイに優しくピーコを差し出した。
手のひらに乗る、命の重み。
「…………なんだか、軽いね。」
「人は、人に限らず命を持つモノは、死ぬと魂の分だけ軽くなるのよ。その重み。忘れないで。貴女の中には、きっと残っているはずよ。その子の温もりが、重みが、思い出が。」
ユイは、笑った。
ピーコ。ありがとう、と。