表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

ピアニストの追憶


 有名ではなかったけれど、夢があった。

 決して上手ではなかったけれど、弾きたかった。

 いつまでも、音楽と共にいたかった。

 多くはないけれど、私の腕を認めてくれる人もいた。

 それなのに、

 その腕はもう、ない。




  ピ ア ニ ス ト の 追 憶





 その人は、ピアノの前に座っていました。

 昔、其処は巨大な音楽ホールだったといいます。

 今は屋根が抜け落ち、瓦礫の山と化した観客席。

 舞台上にぽつんと佇むホコリまみれのグランドピアノだけが、燦々と月夜に照らされていました。


「私は有名ではなかった。けれど、夢があった。」


 女性は月明かりの下、静かに話し始めました。


「初めての公演日だった。もうすぐ私の番だった。とても緊張していたわ。

 舞台袖で、前の番の演奏者のピアノをずっと見ていた。

 とても綺麗な音色で、嫉妬しちゃうくらい。

 もうすぐ曲が終わる。そうして彼女がお辞儀をして舞台から降りたら、次は私の名前が呼ばれるんだわ、って。

 その時だった。大きな揺れだったのを覚えてる。とても怖かったから。

 目の前に照明が落ちてきて、観客席の屋根が真っ先に落ちて。悲鳴が聞こえたわ。

 たくさんの悲鳴……。カーテンにくるまってやり過ごそうとしたのだけど……。

 遅かったのね。カーテンレールが落ちてきて、私の肩に……。」


 ぽつぽつと思い出を語る彼女の右肩から下はなく、赤いドレスの袖だけが、だらんと垂れていました。


「私の弾く曲で、誰かひとりだけでも、感動してほしい。

 ひとりだけでいい。誰でもいい。心動いてほしかった。  腕が飛んでいったのを見たわ。そして、その直後には、視界が真っ暗になった。

 気がついたら瓦礫の山の上にいて、たくさんの救急車が来て……。

 運ばれていったわ。私の右腕と、私の死体。」

「自分の死体を見るのは、どういう気持ちでしたか?」

「不思議だった。あれが、私? って、思った。」

「わかります。私も、一度経験しましたから。」


 そうね、死神さんだって、昔は人だったのでしょうね。と、彼女は上品に笑いました。

 彼女は左手で、ホコリをかぶった鍵盤を撫でていました。

 その目は悔しさと悲しさとが織り交じった、寂しい目でした。


「香月麗華さん。その夢、叶えてみませんか?」

「え?」



 死神は、奇跡だって起こせます。




 驚いた彼女が顔をあげると、其処には観客席いっぱいの人が映ったことでしょう。

 会場に溢れんばかりの拍手がこみ上げ、司会者がマイクを通して言うのです。


『次は、香月麗華さんによる、バダルゼフスカ作曲「乙女の祈り」です。』


 その声に驚き、彼女はしばらく立ちすくんでいましたが、

 はっと我にかえりぎこちなくも上品にお辞儀をひとつしました。

 グランドピアノの前に座り、一息、つきます。



 そして彼女の演奏が始まりました。




 鍵盤の上を流れるように縦横無尽に滑る右手。

 一定のリズムを刻む左手。

 入れ替わり高低音を奏でる両手。


 とても美しい音色でした。

 素人の私には、上手下手などわかりませんが。

 だけど、心がこもっていることはわかりました。






 月夜の下、大喝采が夜空に響き渡りました。

 拍手の渦に飲まれながら涙を流す彼女の姿は、もうありません。

 後にはただ、瓦礫の山と、ほんの少し輝きを取り戻したグランドピアノだけが、

 ひっそりと過去の大震災の傷跡をそこに刻んでいるのみでした。





「お疲れ様。初めての仕事ね。」

「あ、先輩。」


 赤い浴衣の少女が、其処にいました。

 肌寒いこの季節には多少ちぐはぐなその姿も、私たち死神には感覚がないので、衣装のようなものです。


「無事に成仏できたようです。麗華さん。」

「そう。よかったわ。で、アナタは?」

「……ご覧の有様です。彼女は、私と何も関係なかったようですね。」


 私たちは、死神。

 死んだ人を無事に送り届ける役目を担っています。



「じゃ、次の仕事にいくわよ。」

「はい!」






 夢を叶えられる仕事。

 悲しい涙を、幸せな涙に変えられる。




 私たちなら。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ