1.3 輝く世界
エズラは、光の塔の出入り口から頭を出して、周辺に人気が無い事を丹念に調べる。全く周辺に人が居ない事を確認できた彼は、紫色に光る少女ノーヴの手を握って一目散に駆け出した。
彼の瞬発力や走る速度が余りにも速いものだったから、ノーヴは繋がった右腕を軸として彼の体に向かってすっ飛んで行く。当然エズラ自体が移動しているので、停止するまで延々と彼女はすっ飛ぶ事になってしまった。
広葉樹が等間隔に生える少し高い丘の上で、エズラは走る速度を徐々に落としていった。やがて停止するのだろうと言う事をノーヴは理解したから、彼が強く握った手の力を弱めていくと、エズラもその積もりだったらしく、呼応して握った手の力を弱めていった。
完全に二人が走る事を止めた所で、エズラの手近にあった大きな樹に彼は右腕を付け、持たれるようにしてから乱れる息を整える。不思議と、同じ距離を走っていたにも関わらずノーヴは息が上がらなかった。
エズラは手をついたまま頭を下に向けて、目だけでノーヴを見た。
「ここから、僕の住む光の町の全部が見えるよ」
エズラがそう言ったので、ノーヴはエズラよりも数歩程前に出て、それを見た。
*
キラキラとしていて、空は青くて、風は心地よくて、それで。それで。
そうだ。とても、美しい――。
*
彼女はそう思った。美しいという概念を知っていた事よりも、この景色が余りに衝撃的である事に、ノーヴの心の比重は傾く。彼女の眼前に広がる石で出来た町は、雲の無い空から降り注ぐ日光を余すところなく浴びる事で、黄金色に輝いて見える。その黄金色の隙間にポツリポツリと人が行きかい、明らかに町に活気がある事が伺えた。
そんなものを恐らく初めて見たので、ノーヴはかなり長い時間、一言も発する事無く止まってしまった。
ふと我に返ったノーヴは、彼女の視界の右端にフェードインしてきたエズラに気付いた。彼はノーヴに視線をくれずに、同じ方向を向いて語りだす。
「この町はね、光の町っていうんだよ。君がいた光の塔から溢れ出る不可思議な力の恩恵を受けてるから、光の町」
「……」
エズラの言葉を聞いて、ノーヴは初めて自分のいた場所が光の塔と呼ばれている事を知った。そして、冷たい石の塔の外が黄金色の光に満ち溢れている事を知った。そして、風が心地よいものだという事を知った。
だから彼女は、多分もっともっと、知らない事で溢れているであろう外の世界の事を知りたくなって、先ずは些細な事からエズラに質問をする。
「ねえ、エズラ。『不思議な力』は、どうやって使われているの?」
「そうだなぁ。不思議な力は、手で触れるものなんだ。それは、紫色に光ってる。丁度君みたいにね。それが湧く場所から持ってきて、病人に飲ませたりけがのある所に触れさせたりするんだ。そうすると、病気の人は元気になるし、怪我した人は傷が治る。僕は工房で働いているから、不思議な力を火にくべる。それに意味があるかはわからないけどね」
「工房って、なに?」
何となくではあるが、ノーヴは彼の言っている事を理解できた。だから、彼女はわからない事をピックアップして彼に追加で聞いた。
エズラは「うーん」としばらく唸ってから再びノーヴの手を握って「今から行ってみようよ!」と言い出したので、嬉しくなってしまったノーヴは直ぐに頷いた。彼は、先ほどの様にもの凄い瞬発力で走ったりしなかったのだが、ノーヴよりも歩幅が大きい。なのでノーヴは、精一杯の努力でエズラの歩幅に合わせつつ、彼に先導されて黄金色に輝く町へと向かった。
*
エズラは、先ず自分の働いている工房を案内する事にした。そこで彼はほんのちょっと驚く。休日にも関わらず、工房で鉄を鍛える音が聞こえてきたからだ。恐らくヘファイスは、今の今まで休日云々関係なしに、こうして工房に来ていたのだろう。
既に握っていた手を離していたエズラは、自分の働く工房であるにも関わらず、ゆっくりと、慎重に、ノーヴと共に工房に入る。もし手を握ったまま工房に入ったら、絶対にヘファイスにからかわれる事がエズラには解っていた。
「なんだ、エズラ。コソ泥みたいに」
突然エズラのサイドから声がしたので、「うわぁ!」と大声をあげてしまった。そこから、鉄を鍛えるガチンガチンという音が止んだ。
「ズーさん、居たんですか! 脅かさないでください!」
町一番の狩り人は、腕を組み、右足の底を壁につく様な形で寄りかかっていた。彼女はエズラの反応を見て満足したのだろうか、「ふふっ」と笑って組んでいた腕をほどいてから、直近の丸太に大股を開いて座った。
「その子、お前のガールフレンド?」
エズラは、すごく恥ずかしい気持ちになって「違いますよ!」と大声で弁明したのだが、「なんだ、浮気か」などとよくわからない事を言っていたので、恐らく彼女が聞いていないものだと判断する。そうしている内に、工房のおくからノッシノッシと巨体を左右に揺らしながらヘファイスが現れた。
「お前、休みに工房に来るとは珍しいな。その子はガールフレンドか何かか?」
二回も同じ質問が飛んできた事に一驚しつつ、二回も同じセリフをいう事になるとは思わなかったエズラ。とりあえずヘファイスは鉄を鍛える事を中断したらしい、ズーの座った丸太の正面の椅子に座りこんだ。その内にズーは、ノーヴの体が淡い紫色の光を放っている事に気付いて、目を丸くしながらノーヴを見つめて言う。
「おい、その子……」
どうしようと、エズラは焦る。何しろ彼は、立ち入りの禁止されている塔に勝手に侵入して、そこで不可思議な少女を見つけたのだ。そんな事実を彼らに伝える事なんて出来ない。
そんな事を考えていたエズラの視界に、ヘファイスの直近の机上に置かれた大きい弾丸に興味津々のノーヴが入って来た。徐々に彼女は、机に向かって歩みを進める。
「これは、何?」
遂にノーヴは大きな弾丸を小さな手に取り、そしてそれを穴が開く程見回しながら聞いた。特に回答者は誰でも良いのだろうからエズラが答えようとしたのだが、ヘファイスの大きい声に先を越される。
「おい、お嬢ちゃんライフルの弾みるのは初めてなのか? そいつは、狩りに使う弾だ」
ヘファイスの回答を受けたノーヴは「ふーん」と小さい声で言ったが、そんな様子を見ていたズーは何やら不満げな表情をしている。遂に我慢できなくなった彼女はノーヴに問う。
「君は、一体どこから来たんだ? この町の者では無い様だが……」
「私は、ノーヴ。あなた達が光の塔と呼んでいる所から来た」
ノーヴの答えは、衝撃が大きすぎた。ヘファイスやズーはそれを聞いて、一言も発しなくなったかと思えば、完全に停止してしまった。だから、彼らの気持ちを少しでも落ち着かせようと考えたエズラは、致し方なくこれまでの経緯を話す事を決心した。
「僕が光の塔に入って、ノーヴを見つけたんだ。ノーヴはずっとそこに居たんだって。だから、外の世界を見せてあげようと思ってここに連れてきたんだ」
沈黙の重さが、その場に蔓延っていた。渦中のノーヴは全くそんな様子を気にしていないが。しばらくしてヘファイスが口を開くまで、エズラは延々とも感じる時間を味わった。
「お前 ……そのお嬢ちゃんは、光の塔から来たってのか。何てこった……」
「……」
エズラは何を言って良いのかわからなくなってしまったので、ヘファイスの言葉を黙って聞いていた。だが、ヘファイスは「オッホン」という大きな咳払いをしたかと思えば、驚愕の表情から一変、頑固職人のそれに戻って再び口を開く。
「エズラ、お嬢ちゃんが光の塔の主だってなら、色んなモンを見してやれ。俺たちは光の塔に寄りかかって生きてるんだから、神様に色々知ってもらっても悪い事はねぇだろ」
頑固職人がここまで物わかりの良い人物だったとは、エズラは初めて知った。彼がそんな些末な事に驚いている内に、ズーが「とんでもないガキンチョだな」と言って台詞と裏腹に笑ったものだから、更にエズラは安堵した。
*
エズラ達は工房を後にしてから、しばらく町のあちこちを歩き回ったり、いつも食べている『いもチーズ』を二人分買ったりした。それから、町の中心辺りにある広場のベンチに座って、それを二人で食べていた。
エズラは、神様も人間の食事を口に出来るのかと懸念していたのだが、「おいしい」と言って口を動かすノーヴを見て、とりあえずは安堵した。食べる食べない以前に、彼女はちゃんと味も解るらしい。
「ノーヴはいつも、何をしてすごしてるの?」
エズラの突然思いついた質問に対して、「えーと……」と言いながら口を動かし続けるノーヴ。そんな様子を黙って見ていたエズラは、最初に出会ったときに言っていた『何もしてない』というのが本当にそのままの意味なのではないかと不安になってしまった。
ノーヴは突然、かなり急な動作で空を見上げてから言う。
「私には、何かしないといけない事があったような気がするんだけど…… いつもそれを思い出そうとして、思い出せないの。だから、なんていうか、その………………そう! 退屈。退屈してる」
エズラはそれを聞いて、しないといけない事とは何だろうと思ったが、神様の高尚な仕事に一介の人間が口出しをする図が頭に浮かんだので、敢えて聞かなかった。それよりも、あの真っ暗な遺跡の中で、一人ぼっちで長い時間を過ごしてきた事に驚く。「そりゃ退屈する訳だ」とエズラは口にしたが、それを聞いて脳内に疑問符でも浮かんだのだろうか、ノーヴは首を傾げてエズラを見た。そんな彼女は純真そのものなのだろうと彼は思う。
そのうちにエズラは、広場の高いところに設置されている大きな鐘がある塔に人がのぼるのを見た。だから彼は、ノーヴがいもチーズを食べ終わった事を確認してから、「そろそろ帰らないと」と彼女に言った。
相変わらず純真なノーヴは、首を傾げて「どうして」とエズラに聞いたので、彼は「鐘が鳴ったら帰らないといけないんだ」と答えて、名残惜しかったのだが、彼女の手をとって光の塔に歩き出した。
*
この時ノーヴは、初めて世界に別れと言う概念がある事を知った。