旅人と少女と遭難と
普段より遥か頭上に広がる青い空と、崖。
そして自身が負った怪我の具合を見て、男は堪らずぼやいた。
「まいったなあ・・・」
【旅人と少女と遭難と】
男の怪我は幸いなことにそこまで深いものではなかった。杖のようなものがあったら、どうにか歩くことができるかもしれないぐらいの軽度なものだった。これは、今自分の頭上にそびえる崖から落ちたことを考えると、とてつもない幸運なことだろう。
なんせここは滅多に人が立ち入らないだろう深い森の中。どんなに叫び、助けを求めようが人っ子一人気付きやしない。移動手段が残されているだけでも運がいい。
唯一助けとなる希望があるとしたら、この森に入る前に立ち寄った森近くの村だろうが、あまり期待はできなかった。
少しの間滞在した村の村人は余所者の自分を受け入れる気前の良さと特有の温かさがあり居心地がよかった。だが、この森に関してだけは話が違った。
この森を信仰対象としている村人は、この森の守り神を敬いつつも畏怖している。
その為、今時では珍しく古くからの言い伝えを信じている村人からはこの森について知る前から「恐ろしい」やら「連れ込まれる」やら、信仰一割恐怖九割な忠告を散々に聞かされていることから、この森に村人が入ることはまずない。
それを無視してこの森の中に入ったのだから自業自得としか言いようが無い。
もちろん、今の現状に至ったのは守り神のせいではない。というか男自身がそういった類を信じない。
最初は森の中の雰囲気を味わったり、動物と戯れたり、気まぐれで怪我した動物を手当したりと散策を楽しんでいた。次第に男の道無き道を行く旅人気質と好奇心が森深くまで行かせ、途中で発生した霧が方向感覚と視覚を奪う。最後に気付かない間に崖の際まで来て、そのまま落下。
なんとも情けない話だ。
いつもの旅でも面白さの為に寄り道という名の無茶はするがここまでの事態に陥ったのは旅に慣れていない初めの頃以来だ。
記憶を辿っている内に後悔と羞恥で思わず顔を覆うが、すぐさま思考を切り替え、これからの事を考える。
が、その思考も近くから聞こえてきた落ち葉を踏みしめるような音に遮られた。
こんな山奥だ。野生動物がいてもおかしくない。足音からしてそこまで重い動物ではないとは思うが、油断はできない。念の為近くにあった木の棒を握り、息を殺し、相手の様子を伺う。
足音は近くの茂みで止まり、それ以降の動きは見せない。相手も出方を伺っているのだろうと、男は茂みから一瞬たりとも目を離さなかった。
しばらくすると茂みが多く揺れ、ついに来るかと木の棒に込める力を強くすると同時にそこから一つの影が飛び出た。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
たっぷりと間を置いて思わずそんな間抜けな声が出た。
茂みから顔を出したのは想像していたような野性動物ではなく、一人の、こんな場所にいるはずのないあどけない少女だった。
呆気に取られている男を気にも留めず、背負っていた風呂敷を下ろし、少女は何やらごそごそと探し始める。けん玉やらコマやらが入り混じった荷物の中からお目当ての物を見つけたのか、少女はとびっきりの笑顔を浮かべた。そして、その笑顔とともにそれを取り出し、男に突き出した。
「おそなえもの!」
「は?」
お供え物?俺への?
と、少女の突拍子のない言葉に色々と考えが巡りながら、そのまま先程と同じだが、答える速さが全く違う台詞とともに少女から差し出された物―――笹で包まれたそれを反射的に受け取った。
********
笹で包まれたもの―――おにぎりを渡した途端に少女は姿を消してしまった。
その時は今までの混乱に新たな混乱が加わっていた為に少女を引き止めて助けを求めることができなかった。現状で唯一の助かる機会ともいえる場面を逃してしまったために後悔をしながらその日を終えた。
ちなみに、夜の冷え込みには相当堪えたが思っていた以上に疲れが溜まっていたのだろう、すんなりと眠ることができた。
朝の日差しの眩しさに起こされた時、違和感を感じた。
朝だということもあり、気温が上がったのだろう、あんなにも冷え込んでいたのに寒さはまったく感じない。むしろ暑い。そして、体が何故か重い。だるさとかそういうものでなく、物理的に。
起きたばかりということもあり回らない頭のまま体を捩らせ、自分の体の上にかぶさっている物を見る。そして一気に覚醒して、昨日同様の混乱をした。
確か、眠る前に寒さをしのごうと荷物の中から服やらなんやらと掛け布団代わりになりそうなものを引っ張りだした記憶がある。だから、自分にかぶさっているものは見覚えのある布類であり、決して藁やら大きな葉というものではない。
混乱していると、楽しそうな幼い声が耳に入った。
「あ・・・」
目を向け、そこにある光景に思わずそんな声が漏れた。
そこには、昨日笹の葉で包まれたおにぎりをくれた少女が、見覚えのある服を着て遊んでいたのだ。
着方を間違えたのかズボンが被り物化しており、少女が走る度に揺れている。そして体格に似合わない服を着て、余った袖をぶらぶらさせたりもしている。それが楽しいのだろうか、衣服が揺れる度に笑い声が出ていた。
「あのー、お嬢ちゃん?」
なんか変質者みたいな声掛けになった気もするが、この際それは気にしないでおこう。
少女はその声にぴたりと遊ぶのをやめ、大きな丸い目をこちらに向ける。警戒するように、じり、と後退した。
あ、これヤバイ。
と思った瞬間、少女は脱兎の如く逃げた。
「俺の服・・・、じゃなくて、」
思わず伸ばした手はもちろん届くこともなく、少女の姿は茂みへと消えていった。
その昔、友人から「おまえ、いい奴なんだけどさ、なんか・・・残念なんだよな」と苦笑しながら言われた台詞を二度目の機会を逃したのを悔いながらなんとなく思い出した。
********
あんなに早くに逃げたのだ。きっと自分は怖がられており、少女とはもう会えないだろうと思った。幼い少女に理由もなく逃げられたことは意外と相当なショックを受けるものだ。が、そんなことはなく、あれから幾度となく少女は姿を見せた。
ある時は食料を。
ある時は薬草を。
ある時は藁の防寒具を。
そのまたある時は昔ながらの遊び道具を。
少女はそういった物を渡して、すぐに逃げる。
逃げられることは悲しいが、おかげで飢えや寒さに困ることはなかった。
そんなことが三・四日続けば、応急処置しかできなかった怪我もある程度の快方に向かう。流石に万全とは言い難いが、――――幼い少女を捕まえるには十分には動ける状態だった。
四日目の朝に寝たフリをして、自分の上に藁やらをかぶせてくれる少女の腕を掴んだ。フルフルと震え、逃げようとする少女に罪悪感で居た堪れないが、状況が状況なのでこの際無視だ。
話しかけても逃げられるなら、行動に実行するしかなかったのだから。
できるだけ優しく、だけど逃げられないように少女の腕を掴み、少女と目線を合わせた。
「えーと、怯えさせてごめんな。ちょっと聞きたいことがあるんだ」
できる限りの優しい声音でそう言うと、少女は少し力を抜いた。だが、まだ警戒や怯えが強いのだろう、少し体が引き気味だ。
「お嬢ちゃんは、どこの子かな?」
少女が村の子だという可能性は極めて低いだろう。この森を信仰し、畏怖している村人だ。耳にたこができるくらいには森の恐ろしさを子供に言っているはずだ。遭難しているとはいえ、ここ山奥ということだけは分かる。もし好奇心で入ったとしても、そんな場所に幼い子供が一人で来れるはずがない。
考えられるとしたら、この森の中に誰かが住み着いていることだ。こんな山奥に少女一人が生活していけるはずもないし、きっと大人がいるはずだ。
そう期待して少女の返答を待った。
「・・・・・もり?」
「いや、そうじゃなくて」
首を傾げながらぽつりと返ってきた、疑問符つきの答えに思わず脱力する。
幼い故に言葉がまだ未熟なのかもしれないと思い、気を取り直す。
「お母さんやお父さん、他にも大人の人とかを知らないかな」
「おとな・・・ひと・・・?」
再び首を傾げ、考えるような仕草をした後、思い至ったのか、満面の笑顔を浮かべた。
「しってる! こっち!」
「え? って、ちょっ、ストップ!」
いつの間にか掴む力が弱くなっており、少女はいとも簡単に男の手から腕を抜き、走り出した。慌てて、止まるよう呼びかけたが、止まる気配はなく森の中に入っていく。
荷物を掴み、多少動けるようになってから見つけた木の杖を使い、追いかけた。
どんなに呼びかけても止まることのない少女は幼いとはいえ、中々に素早かった。だが、こちらも怪我をしているとはいえ旅で鍛えた体を持つ。どうにか少女の姿が視界に入るぐらいには追いつけた。
だが、それ以上に距離が縮まることはなかった。怪我している体に加え、整備されていない森の中と、地の利を得ている少女と対照的な自分。色々な要素が加わり、思いの外に体力が尽きるのが早かったからだ。
それでも助かる方法を逃したくないあまりに少女の後を必死に追う。そのため周囲の状況に注意を向ける余裕がなく、1メートルぐらいの段差に気付かずにそのまま落ちてしまった。
一瞬の浮遊感のあと、すぐに体全体に鈍い痛みを感じた。
すぐに立ち上がり、追いかけなくてはと思うものの瞼が重くなり、抗えないまま意識を失った。
一瞬だけ意識を取り戻した時、柔らかくて温かなものに乗っている感覚と黄金色な何かが見えた気がした。
********
頬を叩かれる感覚がして目を覚ますと、見覚えのある女が心配そうに顔をのぞいていた。
「ああ、よかった! 目を覚ましたんだね!」
「・・・・・・おかみさん?」
見覚えのある女性―――つい数日前まで滞在させてもらった家の女主人は、男の様子に安堵をもらした。
「驚いたよ。昨日出て行ったはずの旅人さんが、道の上で傷だらけで倒れてんだからさ。でもよかった。元気そうだし、そこまで重い怪我じゃ・・・」
「ちょっと待った、おかみさん」
心底心配してくれたのだろう、女主人の言葉を甘受していた男だが、聞き捨てならない言葉を耳にして、女主人の言葉を遮る。
「昨日ってどういうことだ? 俺がおかみさんの家を出たのは四日前だろ?」
「何寝ぼけたこと言ってんのさ。旅人さんが出ていったのは昨日のはずだよ」
食い違う二人の言葉に、女主人と男は顔を合わせる。女主人は「まさか」と呟いた。
「旅人さん、あんた森に入ったね?」
低い声色で疑問ではなく肯定で言ってのけたところが何とも言えない。しかも事実なので大人しく頷くと、頭に痛み―――女主人の拳骨が下った。女性がやったとは思えない痛みだが、痛みに悶える隙を与えず女主人は言葉を並びたてた。
「なんて危ない真似をしたんだい! あれほど森は危ないと言っただろ!?」
「本っ当にごめんなさい!!!」
「こんなに怪我をして! きっとお狐様が助けてくださったからいいものの、もしこのまま死んでしまっていたらどうするつもりだったんだい!」
「ごめんなさい、本当にごめんなさ・・・・お狐様?」
「・・・・・森の話、聞いてなかったのかい?」
女主人の怒りがさらに上がる気配を感じ、そして女主人がゆっくりと拳を作るのを見て、慌てて男は首を横に振った。
「森には守り神がいるとだけは聞きました!」
「ああ、なるほどね。言わなかったかい? 守り神様は狐なんだよ」
「狐が・・・?」
「そう。・・・・とりあえず今はこの件保留にしようか。旅人さんを運べる村の男共呼んでくるから、ちょっと待ってな」
「え、俺一人で歩けるけど」
「流石にそんな怪我してる人に歩かせるほど人を捨ててないよ」
呆れたようにそう言われたが、その怪我人に女性とは思えない重い一発をしたのはどこの誰だろうか。と、そんなことが言えるはずもなく、近場にいるだろう村人を探しに行った女主人を大人しく見送った。
その間男は怪我の確認をしたりと暇を潰していたが、ふと荷物が無いことに気付いた。
「やば・・・っ!?」
旅をしているため、荷物はリュックサック一つに収まるぐらいだが、そのために貴重な物が多く入っている。失くすなんて言語道断だ。
立ち上がり、森に向かおうとした男の足元にぼとっと何かが落とされた。見ると、そこには見慣れた黒いリュクサックが一つ落ちていた。慌てて中身を確認すると、入っている物全てが紛れもなく自分の物だった。唯一あの時少女に奪われた服がなかったが。
確認し終え、坂になっている道の先を見ると、坂の上であの時少女に奪われたはずの衣服を、少女と同じ着方をした一匹の狐がそこに座っていた。
思わず固まり、狐と見つめあったままの長い沈黙のあと、男は振り絞るように一つの言葉を口にした。
「・・・・・・ありがとう・・・?」
そう呟くと狐は満足そうに鼻を鳴らし、森の方向に体を向けた。
呆然とそれを見送った男は、今の今まで忘れていた一つの出来事を思い出し、ぽつりと呟いた。
「そういや俺・・・・狐助けたっけ」
正直に言うと、
「おそなえもの!」「は?」
というセリフを入れたいがために書いた小説です。
もちろん少女を出すつもりでしたが、まさか最終的に人外になるとは・・・色々あるもんですねえ。
本当は少女と男の掛け合いを書きたかったのに・・・・
ど う し て こ う な っ た
少女より女主人との会話が多いという。
しかも少女との方は地の文だけがむやみやたらに長い。
ど う し て こ う な っ た(二回目)
・・・誰か小説の書き方教えてくださいm(__)m