5話 担任
〈 キリキリキリッ 〉
静寂の中に弓を引く音だけが耳に聞こえる。
〈 ッパーーーーーーーーーーーーーーーーン! 〉
的を射ぬく音が耳に木霊する。
龍ちゃんの袴姿は物凄く凛々しい。
綺麗に澄んだ空気を身に纏って立つ姿は、汚れた物を寄せ付けない潔白さが漂っている。
それは周りの人も感じるのだろう、彼に声を掛ける人は数少ない。
「龍太郎、もうちょい笑え」
弓道部の顧問は別として。
「お前の顔は怖いんだから、もうちょい笑えっての」
龍ちゃんは左の眉を僅かに動かしただけで、何時もの表情に変わりはない。
弓道部の顧問、袴田聡先生は龍ちゃんと同級生で、実は1年1組の担任でもある。
担当教科は科学、いつもラフな服装の上に長い白衣を羽織っている。
ウエーブの掛かった茶色の髪の毛を無造作に一纏めにしていて、その頭の上にいつでも銀色のめがねが乗っかっている。
そのめがねを掛けて行われる授業は大概が実験ばかりで、机に向かっている授業よりは断然楽しいと評判が良い。
龍ちゃんも袴田先生もT大付属高の卒業生で、袴田先生がこの学校に赴任されてから、しょっちゅう呼び出されていると言ってたっけ。
お蔭で龍ちゃんに会えるんだから、袴田先生に感謝しなきゃいけないのかな。
「道明寺さん、他を見に行かない?」
今は部活の見学期間で、何処の部活でも見学が出来るようになっている。
弓道部は道場の庭先にベンチを置いて、そこに座って見学が出来るようになっていたから、今日は迷わずここに居ようと決めている。
同じクラスの子が見学に来て、私を見つけて声を掛けてくれた事は凄く嬉しい。
「ありがとう。もう少し見ているよ」
だって、こんなに近くで見れるのは滅多に無い事なのだ。
この先、男子弓道部に入部しない限りはこんなに間近で見る事は叶わない。この庭の向こうにあるフェンス越しからしか見る事は出来なくなるんだ。
なのに、このチャンスを私が逃がす訳が無いだろう。
「さくら」
バイバイ、と友達に手を振っていたら龍ちゃんが私の隣に腰を掛けた。
「休憩?」
龍ちゃんは嗚呼と返事をして、懐から取り出したタオルで汗を拭いている。
男子部員の練習風景を、二人で並んで見られるのは嬉しい。
こうやって静かに流れる時間が落ち着くわー。
これでお茶なんかあったら、縁側でまどろむじーさんばーさんだねー。
「おい、年寄り臭いぞ」
「うわっ!?」マズイ!猫背になってた!?年寄りだってバレた!?
「聡」と龍ちゃんが顔を向けたのは、私と彼の間からひょこっと顔を出した袴田先生だった。
「あれ?道明寺さくら、さん?」
私の方に顔を向けて、驚いた顔をしている袴田先生・・・ち、近いですっ!?
横から大きな手が袴田先生の顔を鷲掴みして、そのまま後ろへ押し込めた。
「・・・!ぃ、ぃたた・・・ぅわっ!?」
ドサリ、と鈍い音がしたけど、龍ちゃんが私の頭を押さえているから振り返る事が出来ない。(見るな、関わるなって事かな?)
「龍太郎? もしかして・・・」
「近寄るな、妊娠する」
「に、に、えぇー!?」
龍ちゃんの珍しいギャグ(?)に、私も袴田先生もツッコミを入れるのを忘れてしまったのはしょうがない事だと思う。
「あのぅ・・・」
妖精の声が聞こえた気がして入口の方を見ると、儚げなヒロイン下條撫子が立っていた。
「下條さんも見学?」
「はい。ご一緒させて頂いても宜しいかと・・・」
少し斜めに傾けた顔には、今の私の状況を見て、声を掛けて良かったのかしらと思っているようだ。
「俺のクラスは美人揃いだねえ~」後ろから袴田先生の声が聞こえた。
「戻るぞ」隣の龍ちゃんはゆっくりと腰を上げて、袴田先生の後ろ襟を掴んで引っ張って行った。
「タイミング、悪かったみたいですね・・・」
「ううん。全然そんな事無いよ」
どうぞ、と言って隣の席を勧め、失礼します、と彼女は言って、並んで見学する事になった。
・・・あれ?気のせいか?さっきよりも弓を引く部員数が増えた気がするんだけど?
あー、ヒロイン効果ね!
同じクラスだし、日直も一緒だったし、ただ黙って見てるのも何となく落ち着かなくて、そう言えば先日の生徒会室での事の顛末も気になってたから、話し掛けようと思って口を開いた。
「し 」
「さくらさーん!」
私よりも大きな声で被せられたから、「し」の後を続けられなくて振り向いた。
ゲームに関係する主要キャラが声を掛けた訳じゃ無いよ。
中学校の同級生でクラスが分かれた友達が数人駆け寄って来たのだ。
「久しぶりだねー」等と言いながら、やっぱり知り合いに会うと話も弾む物でして。
あ、と思って隣の席を見て見たら、そこに下條さんは居なくて空席になっていた。
(ちょっと五月蠅かったかな。悪い事したな)
明日、教室で会ったら謝っておこうと思って、懐かしい話しに戻って行った。
数日後の事。
「おーい、日直―、プリント取りに来てくれー」
袴田先生が声を掛けるが、返事が返って来ない。
「先生―、日直はもう移動教室に行ったみたいですよー」
次の時間は袴田先生の科学の授業だ。
「なんだ、じゃ・・・」
クラスの数名の女子生徒が目を輝かせて先生を見つめている。この先生、結構人気があるらしい。
「じゃ、さくらもち、お前来い」
クラス中の(残っていた半数)が目をきょろきょろさせて「誰のこと?」とクラスメイトの顔を見回している。
何故か先生の視線は私に定まっていて、左側の口の端を起用に上に持ち上げてこうおっしゃった。
「お前だ、道明寺さくら。このクラスに道明寺が二人いるからな。お前はさくらもちでいいだろう」
クスクス クスクス やだぁ先生ったらぁ~ 私もそう思った事ある~ クスクス クスクス
今や私はクラス中の笑いのツボだった。
覚えてやがれえー!袴田聡めーーー!!
その日の夜。
龍ちゃんに電話を掛けて、盛大に文句を言ったのは当然の権利だと思ってる。