18話 お父さん
逃げ出す形で仕事を放棄してしまった私は行き場が無くて困っていた。
何処の教室も人が居るし、何処を歩いても人が居る。
保健室に行ってベッドで布団でも被って寝ようかと思ったけど、そこではピンク色のナース服を着た保険医が、だらしない顔をした男子生徒に囲まれて嬉しそうにはしゃいでいる。
(お、岡本君、鼻血!鼻血―――!?)
保健室も断念した私はマジで途方に暮れた。
(将来の夢について・・・考え直した方が良いのかも知れない・・・うーん)
途中、暁君と森ノ宮君に遭遇して、散々からかわれた挙句に写メを取られて慌てて逃げた。
(何で彼らは燕尾服を着ていたのか不明だけど、文化祭はコスプレの宝庫なのかも知れないなー)
思い切って家に帰ろうかとも思ったけど・・・私だって、この恰好じゃ何処にも行けないし。
出来るだけ人のいない所を歩いて辿り着いたのは科学教室。
扉に力を入れてみたら、意外な事に鍵は掛かっていなくて無人だった。
科学教室の窓からは、グラウンドが半分と体育館の屋根が半分見える。
グランウンドでは、先生達が小さな子どもにバルーンアートで犬や亀や花を作ってあげている。
貰って喜んでいる子供はお母さんと一緒で嬉しそうだ。
中にはお父さんと一緒の子供もいるが、数は少ない。
(お父さん、か)
私の父に関する記憶は少ない。
平日は勿論だけど、土曜も日曜も祝日も家に居た事が殆ど無い父親だった。
仕事も忙しかったんだろうけど、ゴルフだ釣りだと誘われれば断れない人だったらしい。
どちらかと言えば口数の少ない人で、いつでもやさしい笑顔で見守ってくれているタイプの父親だった。
私はそんな父が好きだったが、一緒に遊んでもらえない事が寂しくて、結構我儘を言っていた記憶がある。
「お父さん、海に行こうよ」「お父さん、公園に行こうよ」「お父さん、遊ぼうよ」
父は「うん」「うん」と言うけど、海にも公園にも一緒に行った事は無かった。
「お父さんの嘘つき」そんな言葉を投げつけた事も何度かあった。
約束は守られない物だと知ったのはそんな幼い頃だったけど、それを我慢したり諦めたり出来るようになったのはもうすぐ成人になる頃だったと思う。
父が病気で他界し、父と交わした約束を果たせなかった自分に初めて悔いた時、やっとあの頃の父の気持ちが分かった気がした。
「そのうち花嫁衣裳を見せるね」
何時になるか分からない約束だったのに、父はやさしい顔で笑っていた。
正直な所、私は約束事が苦手だ。
その日、その時間に、相手が来るのか不安になるし、直前まで「行けなくなった」と言われるんじゃないかとドキドキしてしまう。
だから出来るだけ楽しみにしないように心掛けて待っていると言う、至って後ろ向きな考え方をしてしまう訳で、この辺が可愛く無い所だと分かっている。表面上は気にしない振りをしているし、わざと約束時間より遅く出かけたりする事もあるから余計可愛く無い。
もう少し素直になれたらと思う事はあるけど、実年齢が邪魔をしてなかなか上手く行かないのも現実なのだ。
それに、現在の両親に対して素直な行動に出るのは得策で無い事も承知している。
転生した先の両親、特に父親に関して言えば、まったく逆の性格の持ち主で、私と交わした約束は仕事が入ろうが風邪を引こうが、まるっと無視して約束を守る人である。
逆に私の方から日程をずらそう等と言うと、泣いて落ち込む父親である。
どうしてこうも両極端なんだか。
本当に足して2で割ったら丁度良い父親が出来上がると思うのは失礼だろうか。
//ブーン// //ブーン//
首からぶら下げていた携帯のバイブが振動した。
開いて見ると、柚からのメールで到着を知らせる物だった。
顔を見たいとの内容だったから、柚の現在地を聞いて其処へ赴く事にしたのだけど、柚に会うまで「?」の状態である。
(顔って、先週も見たじゃない?)
「おーーー!道明寺だ!」
「マジでうさぎだな」
「・・・本当だったんだね」
「なっ、なんでお前達が来るんだっ!?」
柚と一緒にいたのは中学の時の友達で、佐藤貴志と斉藤真志というT大付属高を目指した仲間だった。私だけが落ちてこの3人は合格したけど、彼らは何かを察しており、随分と宥めて貰ったのは記憶にまだ新しい。
「これ、これ」
貴志が差し出した携帯電話には、何でか今現在の私の姿がある。真っ白くてふわふわの耳を自分で掴んでぶータレている姿だ。
「えぇっ!?何で、どうしてー!?」
彼等には今会ったばかりの筈だけど。
「美千代が【号外】ってタイトルでメール寄こしたんだよ。でさ、これは見に行かなきゃと思って貴志を誘ってきたら、丁度御影に会ったんだ」
美千代は真志の彼女で、桜ノ宮に通っている同級生だ。
「みーが、みーが犯人かっ!」
そう言えば、学校に来て早々会った気がするし、私を見て笑っていた気もする。
ちくしょう。今度あったらただじゃおかないからねっ!
「しかし、道明寺、変わったな」
「そうそう、一皮も二皮も剥けたよな」
「人を爬虫類と同列に並べるな!」
「中学までは結構大人しいイメージだったじゃん」
「大人しいってか、優等生って言うかね」
柚はくすくすと笑っているけど、それは私が変な行動を取らないように気を付けていたからであって、決して優等生などではないのだ。
桜ノ宮に来てからというもの、私の今までの努力が無になろうとしている気がする。
お願いだよー、私に静かで平和な日を返して下さい。
柚とは一緒に帰る約束をして、3人は催し物を見物に、私はお仕事に戻る事にした。
「うわぁーん、うわあーんっっっ」
職員玄関側の通用門の所で小さな男の子が泣いている。
隣にしゃがみ込んでいるのはお母さんで、子供と空を交互に見ては困った顔をしている。
その視線を追う様に空を見れば、そこにはふわふわと浮かぶ風船があった。
今日は穏やかな日で、風も殆ど吹いて居ない。
職員玄関の前には銀杏の木が数本植えてあって、丁度その木に引っ掛かっているようだ。
文化祭で使用する為の箱や脚立がその辺にあるので、ちょっと拝借。
風は殆ど吹いて居ないけど、まるっきり無風な訳じゃない。
もう少しで届きそうと思う時に、風はいたずらにふわりと動く。
(あ、あと少し)
と思った時、自分の手の中に風船の糸が舞い込んだ。
風船を手に木から降りると、さっきまで泣いていた男の子が目を輝かせて走り出した。
隣のお母さんが咄嗟の事に口をパクパクとさせていたが、やっと発した言葉は言葉に成らず子供を捕まえようと伸ばした両手が空を掴む。何度も何度も空を掴むその手が、私にはゆっくりとした動きに見えている。
子供が走り出したのは学校と道路を隔てた歩道だった。
職員玄関側の道路は国道と環状線を繋ぐ裏道として、周辺に住む人達には知られている道路で、渋滞する程混む道路では無いが、人が横断するには渡りずらい道路であり、その為に横断歩道が引かれている。但し、信号機の無い横断歩道で、その利便性には疑問が残る。
私の視線には、急に飛び出した子供に驚いた顔をしてハンドルを切る人の顔が見えた。驚愕に目を開き、手にしているハンドルを切ったまま、私と視線が重なった。
スローだった映像が、突然早回しの様に動き出したのは子供を突き飛ばした瞬間で、それと大差無く耳元で音にならない爆音が聞こえた。
「さくらっ!!!」
宙を漂っていた私に聞こえたのは、自分の名前のようだけど、とても遠くに聞こえる声だった。
目の前には掴んだはずの白い風船。
ふわふわと回りながら見えた白い風船には、長い耳が伸びたうさぎの顔が書かれていた。




