13話 回想
木之本龍太郎(龍ちゃん)sid
最近、さくらの様子がおかしい。
メールを送っても返事が来ない事も度々あるし、来たかと思えば予定があるという断り文句ばかりだ。
「龍太郎、新薬の臨床試験はどうなってる」
「・・・・・」
「龍太郎?」
「ああ 親父、悪い、もう少し時間をくれ」
さっぱり仕事に身が入らないとは、我ながら情けない。
少し早いが、今日は弓を引かせて貰おうと思い、桜ノ宮に車を走らせた。
部員達が来る前の静かさは、心を落ち着かせ、自分の集中力が高まる。
矢が的を打ち抜く気持ちの良い音に、自分の心の中の靄が晴れて行くようだ。
幾分スッキリとした面持ちになると、非常に喉が渇いている事に気が付く。
水分を取っていなかった事、そのままで汗をかいた事、これでは当然かと気が付き入り口に置かれた自動販売機まで足を運んだ。
「あの、宜しければ、これを」
陸上大会の事が縁で、最近話をする様になった茶道部の下條から、良く冷えた緑茶を手渡された。
あの時は保健室に運んだだけの事で、此れと言って礼を言われる程の事でもない。
顔を合わせた時に礼を言って貰えれば良い、程度の事の筈が、彼女はこうやって気を使ってくれている。
ありがたいと言えばありがたいが、少々面倒でもある。
辺り障りの無い話しをしていると、予定があると言っていたさくらが顔を出した。
最近の余所余所しさに若干腹を立てたが、やっぱり来てくれたのかと思うと嬉しさが込み上げてくる。
しかし、後からやって来た青い髪の少年と約束があると言って、笑いながら並んで歩いて行った後ろ姿に納得出来なかった。
「今日の木之本先生、こ、怖いっすね」
「何かあったのかなー」
やって来た部員達にそう言われている事にも気が付かない程落ち込んでいただけだった。
さくらと会ったのは18歳の時。
数日後に控えた全日本高等学校弓道大会の事で頭が一杯の時だった。
1年の時は団体で準優勝・個人で優勝。2年の時は団体・個人共に優勝した。そして3年で優勝すれば高校生では初めてのV3になると騒がれていた。
自分の中では優勝など当たり前としていたが、気の緩みからかインフルエンザを発症してしまい、完治したのは数日前だった。
1週間続いた高熱で体力は落ち、食事の量も今までの半分程度しか食べられない状態では練習する事自体が辛かった。分かっていても気が焦る。イライラしているから集中出来ない。
『やっぱりV3は無理じゃないか』
そんな噂まで出るほど、的の中心からずれて行く日が続いていた。
多分親父は気分転換になれば、と俺を連れ出してくれたんだろう。
道明寺グループの創業120周年記念のパーティーは、俺の人生においても忘れられない日となった。
「お兄ちゃん、具合が悪いの?」
「・・・・・」
「何か飲む?」
「・・・放っておいてくれ」
この時、まだ18歳の人間が、この世の終わりみたいな顔をしていたんだと思う。
こんな小さな子供にまで気を使われたのかと思うと、余りに情けなくて惨めだった。
「成功と失敗の違いって何だと思う?」
「えっ?」
「驕るか精進するかの違い」
「・・・・・」
あの時のさくらの表情は別人の顔に見えた気がしたが、驚いていた俺に「ばいばい」と無邪気な笑顔を見せて何処かへ行ってしまった。
その場に残された俺は、意外にも笑っていたと思い出す。
3連覇を逃したら逃したまでの事と、結構気軽に挑んだ大会で俺はあっさりと優勝を手にしていた。
周りは大騒ぎだったが、手にしたトロフィーの余りの軽さに笑ってしまった。
(俺は何が欲しかったんだろうな)
思い出すのは幼い少女が見せた大人の顔だった。
「お前、ロリコンだったのか!?」
友人達からは散々な言われようだったが、あの少女の事が気に掛ってしょうがなかった。
分かった事は、道明寺グループ当時の社長(現会長)の孫娘で8歳と言う事と、5歳上の兄を負かす程の頭脳の持ち主だと言う事だった。
(嗚呼成程、と納得できるのはあの日の会話の所為だろう)
さくらが小学生だと言う事、自分が高校生だと言う事で接点は無い。
気になったとは言っても、小学生の子供をどうにかしたい訳ではないから(当たり前だ)そのまま記憶の隅に追いやられたのは早かった。
しかし、彼女がもう直ぐ卒業を迎える2月の終わり頃。
彼女の通う小学校の近くに用が有り、車を駐車場に置いて歩こうとした時の事だ。
学校の校門から出てくる小さな子が1人。
校門を挟んだ左手からサングラスに帽子を目深く被った男が一人歩いて来て、右手には窓を黒く覆った白いバンが止まっている、
これはマズイなと思った矢先、サングラスの男がポケットから何かを取り出したと同時に、校門から3人の生徒が現れそのうちの1人が男の足をすくって転ばせた。
もう1人は手にした竹刀で男の顔面を殴打し、残りの1人は走り去ろうとするバンにカラーボールを投げつけた。
最初の生徒が小さな子を保護して校門へ走ると、それから直ぐに先生達が走ってきた。
なんとまあ、危ない事をする生徒達だと思って暫く見ていたが、先生の1人が「道明寺!」と呼ぶ声に反応した生徒の顔を見て更に驚いた。
4年前には幼かった少女が、あの時の片鱗を覗かせた様な顔をしていたからである。
顔には幼さが残って居るが、その表情は大人に見えたのだ。
最初に男に足を掛け、子供を連れて逃げた少女、それがさくらだった。
その事件は未遂だった事と、政治関係絡みだったらしく、公にはされなかったが大いに興味が湧いた。
それから一月も経たないうちに親父から彼女の家庭教師の依頼を受けて、二つ返事で了承したのは言うまでもない。
中学の3年間(実質的には2年だな)で、ただの興味だったのが別の存在に変わって行くのには十分な時間だった。
高校生になったら遠慮などするつもりは毛頭なかったが、如何せん仕事が忙しくなり初めて思う様に誘えない。
で、今の状況な訳だ。
あいつは小さい頃から人に気を使う所がある。
年下に気を使われる大人として、それはどうかと文句を言いたいが、それと分かっているのは俺位なもので、他の人や両親でさえ気が付いて居ない感じだった。
時折見せる、感情が削ぎ落ちた表情。
見た目と掛け離れた大人な雰囲気に色香が立ち上る。
何を考えているんだ。さくら。
直接会って話した方が良いと考え、弓道部の練習の後、真っ直ぐにさくらの家へと車を走らせた。
途中、さくらの好きなケーキ店を見つけ、「大好きなのー!」と言って喜ぶ顔を思い浮かべて注文をした。
ケーキを受け取り店を出ようとしたら、店の前を楽しそうにはしゃぐ男女の高校生が通り過ぎて行く。
男の方は青い髪、女の方は色素の薄い白茶の髪、お互い手にはソフトクリームをもっていて、手にしているスプーンで互いの味見をしては笑っている。
(そう言う事か)
高校生には高校生に見合った付き合い方がある。
26歳の俺と、16歳の彼女では無理があるのだろう。
ケーキの箱を助手席に置いて、来た道とは反対の帰路へと車を走らせた。
家に持ち帰ったら妹の杏璃から「太らせる気―?」と文句を言われたが(妊婦の杏璃は主治医から太り過ぎと注意をされているらしい)、それでも嬉しそうに受け取ってくれた。
そう言えば、さくらの髪色を「白茶」と言ったのは誰だっただろう。
上手く思い出せないが、さくらと同じ髪色の人だったと思う。
そんな事を考えながら、つらつらと眠りに付いたのは、空が薄らと白み始めた頃だった。




