↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

婚約破棄されたので、契約通り王家にすべてお返しします

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/09/06


「エリナ。君との婚約を破棄する」


 王立学院の卒業舞踏会。


 大勢の貴族が見守る中、第一王子レオニード殿下は、私にそう告げた。

 隣には、男爵令嬢のミレーヌがいる。

 彼女は殿下の腕にしがみつき、申し訳なさそうにこちらを見ていた。


「私はミレーヌを愛している。彼女を妃に迎える」


 会場がざわめく。

 誰かが小さく息を呑んだ。

 誰かが私を憐れんだ。


 けれど私は、少しだけ首を傾げた。


「承知いたしました」

「……え?」


 殿下が間の抜けた声を出した。


「ですから、婚約破棄を承知いたしました」

「いや……君は……」

「殿下がお決めになったことです。私に拒否する理由はありません」


 私は一礼した。

 そして、持っていた手帳を開く。


「では、契約書の第十四条に従い、明日の正午までに王家へ返還するものを整理いたします」

「…………何?」


 会場が静まり返った。


「婚約に伴い、ヴァレンティア公爵家から王家へ提供していたものです」


 一つ。


「王都南部の穀倉二棟」


 二つ。


「王立学院の奨学金制度に対する公爵家の年間拠出金」


 三つ。


「王宮の冬季暖房用として納入していた北部炭鉱の優先供給権」


 四つ。


「王都と南部を結ぶ街道の補修費」


 殿下の顔が引きつった。


「待て」

「はい?」

「それは……婚約とは関係ないだろう」

「関係ございます」


 私は契約書をめくった。


「婚約成立時に交わされた付帯契約に、明記されています」


 私は微笑んだ。


「『婚約が当事者の一方的な意思によって破棄された場合、婚姻を前提として提供された一切の便宜を終了する』と」

「…………」


 誰も喋らなくなった。

 私は続ける。


「もちろん、契約ですから」


 そして、にっこり笑った。


「守らなければなりませんよね?」





     ◇


 翌朝。

 私は父の執務室で、返還一覧を確認していた。


「本当に全部返すのか?」

「はい」

「南部の穀倉は?」

「王家へ」

「街道補修費は?」

「停止します。今後は王家に」

「王立学院への拠出金は?」

「今年度分を最後に我々からは終了します」


 父は頭を抱えた。

 既に実務を私に任せている身だ。

 今更身を引いた自分が執り仕切ることも難しいだろう。


「王都の人間が泣くぞ」

「契約ですから」

「……お前は昔から、そういうところだけ妙に真面目だな」


 父がため息をついた。

 私は少しだけ笑う。

 私だって、好きでこんなことをしているわけではない。

 ただ、決められたことは守る。


 それだけだ。


 婚約が成立したとき、私は父から言われた。


『公爵家と王家は、婚姻だけで結ばれているわけではない。互いに約束を守ることで国を支えている』


 だから、私は約束を守ってきた。


 王太子妃教育も。

 王宮への出仕も。

 王家への財政支援も。

 全部。


 けれど、向こうが約束を破棄するというのなら。


 こちらも契約に従う。

 ただ、それだけだった。




     ◇


 昼になる前に、王宮から使者が来た。


「エリナ様。昨日の件について、殿下からお話がございます」

「お断りします」

「……え?」

「婚約者ではなくなった以上、私が王宮へ出向く理由はありません」

「しかし殿下が――」

「それと」


 私は返還一覧を差し出した。


「こちらを陛下にお渡しください」


 使者は紙を見て、顔を青くした。


「こ、これは……」

「婚約破棄に伴う契約履行の通知書です」

「…………」

「よろしくお願いいたします」




     ◇


 その日の夕方。

 王都では大混乱が起きていた。


 南部の穀倉が閉鎖された。

 学院への補助金が停止された。

 王宮への炭の優先供給がなくなった。

 街道補修も打ち切られた。

 翌朝には、王都の市場で小麦の値段が跳ね上がった。


「どうしてこんなことに!」


 王宮では財務官たちが走り回っていたらしい。


 答えは簡単だった。

 王家が、公爵家との約束を破ったからだ。

 私はただ、その結果を受け入れただけ。


 ところが三日後。

 王宮から正式な書面と共に、緊急の呼び出しが来た。


 さすがに今回は断れなかった。

 私は父とともに、国王陛下の前へ通された。


「エリナ」


 国王陛下は疲れ切った顔をしていた。


「なぜここまで徹底している?」

「契約に従っております」

「王都が混乱している」

「承知しております」

「民が困っている」

「はい」

「それでも返還を続けるのか?」

「はい」


 私はまっすぐ陛下を見る。

 そして言葉を紡ぐ。


「返還したそれぞれについて、既にマニュアルなどは用意しておりますし、金銭面も国庫からの余裕分で賄える量かと考えております」


 これには陛下もぐっ、と呻き声をあげる。


 では最後に一言。


「私が勝手に王家へ便宜を与えれば、それこそ契約違反になります」


 陛下は黙り込んだ。

 その横で、王太子殿下が口を開く。


「エリナ。もういい」

「何がでしょう?」

「婚約破棄を取り消す」


 私は瞬きをした。


「……はい?」

「ミレーヌとの婚約も破棄する。だから、元に戻してくれ」


 私はしばらく殿下を見つめた。


「お断りします」

「なっ……」

「一度破棄された婚約を、殿下の都合で元に戻すことはできません」

「国が困っているんだぞ!」

「では、なぜ最初に破棄されたのですか?」

「それは……」


 殿下が言葉を失った。

 私は手帳を閉じた。


「私は殿下の決定を尊重しています」

「……」

「ですから、殿下も私の決定を尊重してください」


 沈黙が落ちる。


 そのときだった。


「――もういい」


 国王陛下が立ち上がった。


「エリナ嬢」

「はい」

「お前は何も知らないのだな」

「……何をでしょうか?」


 陛下は殿下を見る。


「レオニード。もう話せ」

「父上……」

「このままでは、彼女まで巻き込むことになる」


 殿下はしばらく俯いていた。


 やがて、静かに口を開いた。


「……婚約破棄は、私の本心ではない」

「?」

「三か月前、王宮内部で反乱計画が発覚した」


 私は黙って聞いた。


「反乱を企てていたのは、王妃派の一部だ。狙いは王位継承争いだった」

「……」

「そして、その連中が最初に狙ったのが君だった」


 私は息を呑んだ。


「公爵家は王家に近すぎる。君が王太子妃になれば、反乱派にとって邪魔になる」

「では……」

「君との婚約を維持すれば、君は王宮にいる。狙われやすくなる」


 殿下は苦しそうに笑った。


「だから、婚約を破棄した」

「……私を守るために?」

「そうだ」


 私は言葉を失った。


 あの夜。

 大勢の前で。

 ミレーヌと腕を組みながら。

 私を捨てた。


 あれが、私を王宮から遠ざけるためだった?


「ミレーヌ嬢も協力者だった」

「え?」

「彼女の家は王都の商会をいくつも持っている。婚約者の振りをすることで、反乱派の目をそちらへ向ける必要があった」


 つまり。

 あの婚約破棄は、偽物だった。


 私を守るための。

 王家を守るための。


 そして――国を守るための。


「……殿下」

「ああ」

「それなら、最初にそう言ってください」

「言えるわけがないだろう。反乱派に情報が漏れる。我々には常に、彼らのマークがついていた」

「では、別の方法がありました」

「どんな?」

「私に相談することです」


 殿下が固まった。


「サロンなどで皆の前で話すことはもちろん無理でしょう。……ですが、婚約者との睦言、という名目であれば簡単な会話なら出来るでしょう。下品な噂が立たないようにする必要はありますが、それもどうとでもできます」


 そこで私は言葉を一度切る。

 そして、


「私は、そこまで頼りない婚約者でしたか?」


 殿下がうなだれる。


「……」

「三年間、王太子妃になるために勉強してきました」


 私は少しだけ笑った。


「国と自分の身を守る話くらい、一緒に考えられます」


 殿下は俯いた。


「……すまない」

「はい」

「怒っているか?」

「怒っています」

「……そうか」

「とても」

「……」

「ですが」


 私は少し考えてから言った。


「私を守ろうとしてくださったことについては、感謝します」


 殿下が顔を上げた。


「ただし」

「まだあるのか?」

「あります」


 私は手帳を開いた。


「婚約破棄は成立しています」

「…………」

「一度捨てた婚約者を、国が困ったからといって戻すのは筋が通りません」

「エリナ……」

「私は、もう王太子妃になるつもりはありません」


 殿下が息を呑んだ。

 私は父を見る。


「公爵家の領地へ戻ります」


 父が頷いた。


「それでいい」


 私は踵を返した。

 けれど、扉へ向かう直前。


「エリナ!」


 殿下に呼び止められた。


「……君が王太子妃でなくても、私は――」

「殿下」


 私は振り返った。


「それ以上は、今は言わないでください」

「……」

「私たちは婚約者ではありません」

「分かった」


 殿下は苦笑した。


「では、いつか別の形で言わせてくれ」

「それは――」


 私は少しだけ考えた。


「殿下ご自身の力で、国民に胸を張れる王になったら考えます」

「……分かった」


 その返事だけを聞いて、私は王宮を出た。




     ◇


 半年後。


 私は領地の水路工事を指揮していた。


 王家との契約がなくなったことで、これまで王都へ回していた資金を領地へ戻せるようになった。

 結果として、農村の収穫量は増えた。


 学院への補助金も、今度は公爵家が独自に奨学金として運用した。


 街道も別の商会と契約した。


 王家に頼らなくても、領地は回る。

 むしろ以前より良くなった。


 そんなある日のこと。

 一通の手紙が届いた。


 差出人は、元婚約者。

 私は封を切る。


『エリナへ』

『私は今、王太子としてではなく、一人の人間として国を見ている』

『君がいなくなって初めて、君がどれだけ多くの仕事をしていたのか分かった』

『君が守っていたものを、今度は私自身が守れるようになりたい』


 そこまで読んで、私は手紙を閉じた。

 そして、少し笑った。


「遅いですよ、殿下」


 机の上には、新しい契約書があった。

 今度は王家とのものではない。

 領民との約束。


 今年の冬までに、新しい水路を完成させる。


 私はペンを取った。

 一行目に日付を書き。

 最後に、自分の名前を記す。


 契約とは。

 誰かに縛られるためだけのものではない。

 互いに守ると決めた未来を、形にするためのものだ。


 だから私は、これからも約束を守る。

 誰かに命じられたからではない。


 ――自分で選んだ約束だから。


 窓の外で、工事の槌音が響いていた。

 私は手帳を閉じる。


 そして、最後のページに一言だけ書いた。


『婚約破棄――完了』


 少し考えてから、その下に付け足す。


『人生――再契約』


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。