しょうしつ
『愚かなるもの
消え失せよ凡て』
――それは叱責を越えて
諭すことさえ投げ出した
山の果ての怒りの噴出だったのです。
あの源流の怒り。
その爆心地の温度の確かに煮える静かな音。
避難は先より促されていました。
けれども人は安寧を享受し続けており、
従わぬもの
歩けぬもの
共に融けゆこうと山に祈りを捧げたもの達などが大勢おりまして、噴火する山の町に留まってしまったのです。
その数、およそ、700から800と言われております。
――総てが生命を落としました。
山は町の総てを水の下へおとしこんで仕舞ったのです。
動かれぬと覚悟をして身を委ねたものは鮎となり湖の外の川まで行き、泳いだそうです。
敢えてその時を待ち、山近く進み被害が軽く済むようにと頭を垂れ祈り待ったものは、美山の更に上の池に遊ぶ銀の尾の金色の鱒になったと伝えられております。
そして怠惰に逃げそびれ呑まれたものは……、泥底に溶かされ埋められたのです。
栄えた宿場町を山の怒りが焼き落とし、その真中へ山はそれまで抱えていた支流を幾本も崩し集め、大きな湖として新たな名を成し、その水中へ人の暮らしを丸ごと一つ沈めてしまった……、という、本当にあったお話で御座います。
狭く長いこの国の起伏の激しさに応じ、人々の町は時に神宿る山のすぐ下へ拓かれるものでした。
その恵みを信仰深く頂く、善き人々の処へさえ、しかし御山のお怒りは下っていくものなのです。
――山の音を忘れてはなりません。
遣いの鳥の予兆を見過ごしてはなりません。
原初の畏れを忘れてはいけないのです――
許されて見えていても、その実、禁に関しては人は何事も赦されてはいないのですから。
ですから決りは守らなくてはなりません。
この国の山神も海神もけして穏やかな面だけではあらっしゃらないのです。
これは決められた呪です。
恵みを受ける望があるのならば覚えておかなければならないのですよ。
遠く近く手を合わせたり、お辞儀をして仰ぐ気持ちを常に心にいれておかなくてはいけません。
宿場町には、山の高さへ向けて鳥居が連なっていました。神社は無かったと伝わりますが、立派な祠は建っておりました。
――それでも御山は怒りを沸かせたのです。
……これは口伝と私の師、先代の見立てなのですが、なにか旅の小心者の男がふざけて小さな冒瀆を夜に放ったらしい……、と私はそう教わりました。
穢れた手で霊ある巖にでも触れながら悪口を放ったのでしょうか……、まさか祠を開いて手を出して何かいじりでもしまったものなのでしょうか。
――なんにせよ長年の人と山との調停は数百年前、それで切られたのです。禁を破った咎人があったのは、確かなのです。
人という括りで御山はそれらの愚かさを見下しました。
――そう、赦されなかったのです。
奥山美山霊山すべてが。
それだけの過ちを赦さなかった。
山裾の宿場町ぐるりが水でした。
全てが最初から山のものだったのです。
怒った山は誰にも、それこそ他の神々にすら、止められはしませんでした。
……ああ、あの過ちを放った火元の男。あれは邦へ帰っておりましたが、山に追い掛けられて火伏せも効かず、また祟りにも気が付かないという呆れ果てた有様だったらしいです。
それから、彼だけが災いのなかいつも一人燃え残るようになるのです。
人の手で人の造った火で幾万と彼が焼かれるまで、御山は赦さないでしょう。
――必ずこの豊葦原の國に生まれ直させられ、人の手で焼かれる結末を迎えさせられる。
そう旧く
新しく
決まっておるのです。
……だからお気をお付けください。
謙虚であることは、人に対してだけ、行うものでは有りません。
感謝と尊崇の気持ちを忘れずに。
いかんせん、点いてしまった火の始末は、容易くは出来ませんものですから。
人にも自然にも礼儀を持って、接することを心掛けて頂きたいものです。
――そう。あの男の子孫が私たちだと口伝には謂れております。
私はこの御山を拝み、人をこの堂に入れ、修行のお手伝いなどをこれからも続けます。
――どうぞ皆様もお健やかにお過ごしください。
□■□
崩れた堂に座す、鬼の末裔だという、僧形の修験者の若者は、少ない観光客を集めた中でそう説いて、丁寧に一人ひとりを見送って祓えをしてから、堂の扉を締め切った。
話が終わっても出て行かず残っていた者も一人いた。
その男は撮ってはいけないと言われていた奥の院に入り込み、暗がりに手を伸ばしてはスマートフォンでフラッシュを明るくたいて「やば」「すげ」「あ、いた! これ鬼じゃん」等とマイクに向かって言っている。
「……あの話の男が独りだったとは私は言っていない」
僧形の若者は、残った者を睨め付けて言葉から色を失せさせつつも、熱をこめてそう短く大きな声で威圧した。
「あーあ、怒られちゃった〜〜すいませ〜〜ん」
残った男は悪びれる様子もなく、若者へいっとき振り返り、軽く首だけを前方に出して、表面上は謝りながら、まだ彼方此方を撮り笑っている。
「……あの話の男には腹に子がある嫁がいたのだ」
「はぇ? ごめんなさ〜〜い、オハナシ忘れちゃいまして〜〜凹 後で録画確認しておきま〜〜す! ところで、もっとオニ! っぽいものってありませ〜〜ん?! 鬼のミイラとか!! わー、見たーい! です!!」
「……男は特別な輪廻を組まれた。あれは焼かれることに疲れて沈んだ町に最期の身投げをした事もある」
「おおっと! オハナシ続けちゃう感じですね~〜?! それよりオニの角とかってないですかぁ(シツレイ?)?」
「……気付けぬ男に誰かが忠告をしたのだろうね 『万世に渡り男は赦されない』と。活火山が焔をすっかり吸い上げられでもしない限りはね」
――御山に心がある限りには。
「ここは山の懐だ、今や誰も住んではいない。お前を入れた後には山は閉じる、その録画も写真も世には出ないぞ。出たとて燃やされて消されるばかりだ」
「……やだー、こわなぁぃ?! 怪談はいりまーす!」
――こう言っても未だ解らないのか
「この國全てが沈まぬ限り、お前のやった事は消えない」
「えぇ! おれ、なにしちゃったの〜〜?!」
「寄りにもよって、古い古い神の一番うえの父御を怒らせたお前は神にも人にも仏にも赦されはしない」
「神様も許さないのーー?!」
永劫だ。
わからないか。
「解ってしまっては余りに恐ろしいから、そんなにまで狂ったふりを敢えて続けているのか……国津神の文字通りの最高峰はあの神の娘御がお宿りなさる。お前でも流石に知っているだろう。この國のその山の御名前は。二言でいい、答えよ」
――口に出してみよ。この國で一番高い美山は。
「え、そりゃ知ってるって……」
――知っているのじゃあないか。
「では、判るな」 「山が」 「怒れば」
「――どうなるか」
堂の中にやまびこが雪崩れ込んできた。
それを合図に、人二人だけの気配では足りないもので、山中の堂はひしめき合った。
「怒りは消えない」
「お前が焼失しても消えない」
有機物の直接出す声音なのか風の音が歪んで吹き抜けて不気味にそう聞こえるのかも解らない、そんな音が堂に叩きつけられる。
――お前は地獄は信じまい。
「無間地獄と言っても判るまい」
だから用意された転生の呪いなのだ。
幾万幾億、人の手に掛かり焼かれ逝け。
神の焔はお前を避ける。
「……はぁ?! んな、そんなの、俺のせいじゃ……」
男はようやく怯えた。情けなく涙声で叫んだが、山の音はそれも掻き消し轟く。
――憶えていない前世の罪だと?
ゴウゴウゴウゴウ
「それはお前だけの屁理屈だ」
僧形の若者は眼尻を吊り上げた。
「……嫁の腹の子から続く、火刑の鬼の名を訪ねて遊興にこの山にお前が来たのが……偶然だとでも思っているのか」
――理の内の事とも解らないのだな。
「お前だけが何時迄も無知に駄々を捏ねている」
――赦しはない――
ゴウゴウゴウゴウ
若者の口が笑う。怒りを突き抜けて嘲笑い始める。
堂はボコボコと時ならぬ雹に空から打ち付けられ出した。
山の天気は確かに変わりやすかったのだ。
「今世に生きる火刑の鬼はお前を見付けた。のこのことやって来た捨天の愚か者」
赦される法があるなら、私たち鬼の方でとっくに試されていたろうさ。
――この御役目が終わるように、と!
糞親父、或いは莫迦な糞餓鬼。
「お前はいつも捕まえられる」
――人を山で殺し棄てた事があるだろう、今世でも。
ゴウゴウゴウゴウ、だんだんだんだんだん
『 逃げられはしない 』
若者は目をかっぴらいてへたり込んだ男を上から凝視した。
「ぁ……、あ、おれ、おれ、俺は違う……俺じゃない、アレは俺が主犯じゃ……」
ヒュぅぅぅぅぅ……ばきん!
……ボリ……ぱりッ゙……ザヂュリぃぃィ
ザヂュ
若者の頭蓋に向けて、堂の屋根を貫き氷柱が真っ直ぐに落ちてきた。
夏の最中の御山の空の天候は本当に読めぬものである。
「……!!」
男は遂に声を失くした。
真っ赤に割れた『鬼』の頭から、角が二本、確かに生えて、それからゴロリと床に落ちた。
「……これがこの堂に棲む鬼の角である」
乱れる事もなく、鬼は己の角を拾い、ギラリと男に差し出した。
「とれ」
男は動けなくなっていたが、鬼の角の先から火が吹き出したのを知覚してしまうと、短く痙攣したあと、弾かれたように堂の扉まで全力で走った。
男の背後に山と鬼の足音が重なり合って、追ってくるのが感じられる。
「あい……、開いてく」
ゲタゲタげたゲタゲタゲタゲタげた
――鬼さん此方――
「「「逃げ行く呆氣」」」
ゴウゴウゴウゴウがたがたゲタゲタ
「開いて……! あい……」
!!バシン!!
男が泣き崩れながら入らない力で蹴ったのにも関わらず、堂の扉は開いた。
そして男は何故だか山裾の大きな湖へと落下した。
落ち行く男の目に、鬼は元の若者の姿に戻って見えた。
!!バヂャン!!
溺れる男には水底の宿場町を観察する事は出来なかった。しかし男の息は不思議と続き、湖岸へと泳ぎ着く事には成功した。
男は這々の体で転がるように山から逃げ、友人の車で家に着くと数日間寝込み、己のアパートで、隣人の火の不始末からくる火災にひどく焼かれた後に、公的に調べられ、獄に繋がれた。
後に男の紛失していたスマートフォンが山奥深くで発見されたが、そのデータは全て黒く焼け焦げたようだったという。
……お気をつけください……




